第22話「痛み」
身体を拭く用の……いわば、かくりよでの生活で、タオルのような役割をする大きな布を巻きつけたまま、私は途方にくれた。
もちろんだけど、こんな恰好をして当たり前のような顔で廊下を歩く訳にはいかないし……いつも私のお世話をしてくれる小天狗を呼ぼうにも、この城で働いている彼らのような働き手は性別はほぼ男性なのだ。
だから、今思えば私の歓迎の宴の時に見掛けた白蘭さんという女天狗は、それだけ珍しい存在だと言って良い。だから、人の娘を花嫁にと攫ってくるのかもしれない。
多聞さんが白蘭さんは女天狗だと言っていたけど、彼女たちは珍しい上に、この城に住んでいるとなると……城の主の娘の白蘭さんか、珍しいと言っていたし居たとしても数人程度だろう。
ガラリと大きな音がして引き戸が開き、無防備な姿の私は思わず身構えてしまった。
「……なんで。あんたなんか」
私をきつく睨み付ける彼女の視線は、嫉妬の炎で燃えている。
白蘭さんは目を眇めつつ、じろじろと下から舐めるようにして、私を見た。けど、この状況で助けを求められるとすれば、同性の彼女一人しか居ない。
大ピンチの中で背に腹は、代えられない。
「すっ……すみません。お願いがあるんですけど……」
「嫌よ。貴女の言うことなんて、絶対に聞かない。もし、最後に多聞を選べば、これからどうなるか。わかっているわよね?」
脅しつけるように言い放った彼女に、私は多聞さんとはこの先添うことはないことを、どう説明すべきかと口を開きかけた。
そして、思い出した。
天狗族の掟では、三か月後の決定の日まで……他言無用。この前の多聞さんは……彼と話したり過ごした時間に感じた人柄には、私からの勝手な信用があった。
けど、憎々し気に私を見つめる白蘭さんには、どうか言わないで欲しいんだけどと秘密を守って欲しいとは言いづらい。あの掟を破ればどうなるかは、まだ聞いていないけど。
けど、多聞さんと同じ時間を過ごした事は、間違いない事実だった。
だから、それを理由に意地悪されて、バラされたり。そうされてしまえば、最悪の場合、私と那由多さんとの仲も、ダメになってしまうかもしれない。私はここで一か八かの賭けに出ることには、迷いがあった。
そう思い至り、彼女は言えないと判断し、返す言葉をなくした。
黙ったままの私に大して、白蘭さんはいきり立ち声を荒げて言った。
「珍しい、人の娘だからって! なんなのよ! それだけじゃない! 大して綺麗な訳でも、ないのに……良い気に、ならないでよね。貴女はまだ、誰の妻でもないって事は、天狗族でもない。天狗族が守るのは、天狗族だけよ。貴女はまだ天狗族じゃない……覚えてなさい!」
白蘭さんはそう言い放って、扉を大きく音をさせて乱暴に閉めて行ってしまった。
何の、証拠がないことを……そんな風に思ってはいけないことは、重々わかってはいるんだけど。私の服を隠した犯人は、きっと白蘭さんだろう。
本当にわかりやすいくらいに、彼女は幼馴染の多聞さんのことが大好きだったから。彼の花嫁候補という私が、心情的に許し難く嫌いだったに違いない。
あれだけの男性が幼い頃から一緒に居たというから、好きになってから諦め切れなかっら気持ちも、私にだって理解出来なくもないんだけど。
私はこれからどうしようという宛もなく、脱衣所にある椅子の腰掛けたまま、はあっと大きな溜め息をついた。
白蘭さんの態度を見て、これは信用が出来ないだろうと判断し、こちらだって事の次第を説明出来ないんだから、もう仕方ない。
白蘭さんだって、私は那由多さんを選ぶと知れば喜ぶだろうに。
そして、城の外から唐突にカアという鴉の高い鳴き声が聞こえた。今はしんとした場所で、特に何もしていないから気が付いたけど、普段であれば気にも留めない出来事に違いない。
那由多さんはそういえば、鞍馬山の烏天狗だという前情報を聞いた通り。私と一緒に飛んで移動する際には、とても艶やかで美しく、大きな黒い翼を出し飛行していた。
思い立った私はおもむろに、小さな小窓を開いた。そこには、赤い瓦の上に黒い鴉が居た。
なんとなくの、思い付きだ。このかくりよに住んでいるあやかしたちは、私たち人の常識など飛び越えた存在だった。
では、かくりよに住んでいる動物は?
「……ねえ。あの……出来たら、那由多さんを呼んで欲しいんだけど……」
こちらを見ていた鴉は私の言葉を聞いて、小さくカアと鳴いて飛び立った。それは、偶然だったかもしれない。けど、なんとなく彼はこの場所に来てくれるんじゃないかと思った。
本当に、なんとなくの勘だけど。
そして、私が睨んだ通りに、五分後にコンコンと脱衣所の扉を叩く音がした。
「……聖良さん? 大丈夫? 入るよ」
鴉が伝えてくれたみたいで、那由多さんがやっぱり来てくれた事を知って、私は慌てて扉まで駆け寄った。扉を開ければ、那由多さんは驚いた顔をして私の恰好を見て、目を見張っている。
「え?」
「あの……その……服を隠されてしまって……代わりになるような物を、持って来て貰っても良いですか?」
私の言葉で、那由多さんは何があったのかを、把握してくれたらしい。
「待って……これを。着て」
那由多さんは、さっと自分の羽織りを脱いで私に渡してくれた。こうなったのは、これで二回目でなんだか複雑な思い。
大きな羽織りに包まれて、私はほっと安心して息をつくことが出来た。身体の大きな彼の羽織りは、私だとワンピースのようになってふくらはぎまで覆ってしまった。
「……白蘭だな?」
何もかもをわかっていると言いたげな怒った目で私に問い掛けるので、どう言って良いものか、迷ってしまった。白蘭さんがこの脱衣所にまで来たのは、私が浴室に入っているとわかっているからこそというのは確かだ。
けれど、私は白蘭さんが私の服が入った籠を持って行く犯行現場を目撃した訳でも、なんでもなかった。それをしたのは白蘭さんかもしれないけど……また別の人かもしれない。
彼女こそが犯人だと、言い切ってしまうことは出来なかった。
「あの……私。見た訳ではないので」
「良いよ。俺が犯人には、やり返しておく。ふざけた真似は、二度とするなってね……聖良さんは、もう忘れて。さあ。部屋に帰ろう」
言葉を濁した私に対して急に無表情になった那由多さんは、私の手を引いて廊下を歩き始めた。
そして、部屋の程近くになった時に、私は思わず息を呑んでしまった。
正面から歩いてきたその人はぼさぼさの黒く長い髪を持ち、まるで般若の能面のような顔をしていたからだ。表情が動くので、きっとあれが彼の顔なのだろう。とても品の良い着物を身に付けてはいたが、その大きなギャップがまた彼の異様な様相を際立たせていた。
那由多さんは私の手を引き、廊下の隅へと寄って彼に礼をした。私もそれに習い、周囲の空気だけで恐ろしさをも感じさせる彼に道を開けた。
「……をはやみ……」
彼がすぐ傍を通り過ぎる時、何か呟いたかのように思えて私は思わず顔を上げてしまった。けれど、もうあの人は通り過ぎてしまった後だ。凛とした姿勢の良い背中が、廊下の先へと去ってしまった。
あの外見を一目見た時に感じた心臓が凍ってしまいそうな恐怖とは全く違い、去った後に何故か雅な匂いも感じさせる人だった。
「驚いた? ……あの方は、悲しい不運の人生の末に、夜叉天狗に変化された人だ。見た目は……聖良さんが見れば、確かに怖いかもしれないけど。繊細で、とても優しい方だから大丈夫。この場所に居城を構える相模坊さまのお役目のひとつには、あの方を鎮めることも含まれている。自分が、悪い訳でもないのに。あれだけの……酷いことをされたんだ。その恨みが晴らされるには、まだまだ長い長い時間が掛かるだろうな」
那由多さんは、特に先ほどの彼を恐れている様子もなく、また平然として手を引いて廊下を歩き始めた。
確かに背筋がゾッと寒くなるような、あの感覚は恐ろしい外見を持っていた彼への恐怖だった。けれど、非のない不運の末にあんな姿になってしまったと思うと、胸が痛んだ。
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