第21話「事件」

「……聖良さん? 大丈夫? さっきから、ずっと上の空みたいだけど」


 多聞さんの整った顔がいきなり視界一杯に広がって、私は思わず後退った。


「わっ……! ごめんなさい。ちょっと、考え事してました!」


 いけない、いけない。今日は、多聞さんと相模坊さんが自慢している城庭を歩こうと、誘われていたんだった。


 けど、こんな時にも思い出してしまうのは、那由多さんのことだ。この前のお祭り楽しかったとか、今何をしているんだろうとか。


「はは。良いよ。けど、もしかして、何か考え事をしていた? 難しい顔になってたから」


 多聞さんは二人きりで歩いているというのに、気もそぞろだった私に対してとても優しい。そう。彼は、本当に優し過ぎる。


 年齢の事を言えば、彼は本当に何倍も歳を重ねているのだから、それなりの余裕は当たり前なのかもしれない。けど、あやかしにとっては人間とは年齢の感覚は全く違うようなので、多聞さんがただただ底抜けに優しい性格であるのは間違いないのだ。


「どうかした? 僕で良ければ、聞くけど」


 そう言ってくれた多聞さんの言葉に、喉が詰まる思いがした。


 彼は私を花嫁にしたいと思ってくれているのは、知っているけど。私はもう那由多さんに心を決めていた。この先、ずっと覆ることはないと思う。


 けれど、その事実を言わないままで、このまま多聞さんに好かれていることに、どうしても罪悪感が湧いた。彼は気にしないとそう言うかもしれないけど、どうしても。


「あっ……あのっ……私。その……」


「うん? 何か、言いづらいこと?」


 多聞さんは優しく微笑み、私の言葉を待ってくれた。


「私、あの……ごめんなさい。詳しくは言えないんだけど、心を決めたの。伝えるのは、早い方が良いと思って……」


 私の言い方は、余りに曖昧だった。言えないというルールは理解しているけど、こんなに優しい彼を期待させたままにして、それが大きくなってしまう事を防ぎたかった。


 けど、多聞はすぐに察してくれたようだった。彼は、決して嫌な顔はしなかった。ただ、少し困ったように微笑んだだけ。


「そっか。僕は、聖良さん気に入ってたから、残念だ。こういった状況で……僕に対して、そういう誠実な対応をしてくれるところも、僕の好みだった」


「ごめんなさい……」


「いいや。聖良さんが、謝ることでもない。単なる僕の、魅力不足だ。恋に落とすことが出来なくて、残念な限り。君の幸せを、願っている……後悔はしない?」


 悪戯っぽく微笑んだ多聞さんは、首を傾げた。


「はい。後悔はしないです」


 言い切った私に、彼は言った。


「もし、後悔したなら。僕の元に来てくれても良い。ニか月後までは、勝負はつかないからね。兎の足には勝てないが、兎がゴール直前で寝ているかもしれないし」


「多聞さんは、亀ですか?」


「どうかな。けど、僕は亀が好きだ。あの甲羅も芸術的でとても良いと思わない?」


 あの有名な昔話を例に出した彼の反応を、物凄く緊張して待っていた私は自然に笑ってしまった。


 うん。わかってる。これは、私を笑わせてくれたんだ。多聞さんは、優しいから。



◇◆◇



 相模坊さんの城には、巨大で沢山の人が住んでいる。そして、浴室も数多くある。


 私が使用している浴室は、檜で造られているのでとても良い木の香りがする。お湯はかけ流しで、このお湯はどこから来ているのかいつも不思議にはなる。けど、このかくりよの生活における技術そのものが良くわからないので、聞いてもわからないかもしれない。


 多聞さんは、本当に優しかった。あんなことを勝手に途中で言われて気分を害さなかった訳はないのに、心配はないからと背中を撫でて安心させてくれた。


 那由多さんが居なかったら……? ううん。仮定の話をしても仕方ないけど、私は那由多さんしか、考えられなかった。


 考え事をしつつ、私は浴室を出て着替えを取ろうとして、着替えを置いていた籠が無くなっていることに気が付いた。


「っ……え!?」


 もちろん、お風呂に入っていたのだから、私は裸で……なんなら、近くには誰もいない。


 嘘……どうしよう!

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