第24話「キス」

私が仕掛けたキスはと言えばただ唇を無理に押し当てただけの、本当に不器用で拙いものだった。初めての私は目を閉じていなかったんだけど、那由多さんは驚きに目を見開いたまま身体は微動だにしない。


 私だけが動かない彼の首に手を掛けて、必死でねだるような姿勢になっていた。何度かスタンプを押すようにキスを仕掛けた。それからいきなり動いた彼の両腕が、私の背中に回り彼の舌がぬるりと唇に触れたのはすぐだった。


 閉じていた唇を押し開くようにして軟体生物を思わせる熱い舌は、口中に滑り込んだ。ゆっくりと歯列をなぞり、躊躇うようにしてゆっくりとした動きで何かを求めるように進む。私はまるで自ら誘いこむように、口を開いた。


 那由多さんは自分から仕掛けたというのにどうして良いか戸惑ったままだった私の舌を躊躇なく吸い上げた。舌を擦り合わせるように動き出した時にはもう、お互いに深いキスに夢中になっていた。


 たった、これだけ。濡れた粘膜が擦れ合っている動きだけだというのに、こんなに気持ちが良い体験は産まれて初めてのことだった。口の中に入る唾液だって、那由多さんのものだと思えば、美味しく感じてしまう不思議。


 二人抱き合ったままで、目を閉じない彼と視線を合わせたまま私は、もう何も考えられなくなった。ただただ、二人溶け合ってしまえるくらいにこのまま近付きたかった。


「っ……ふっ……はあっ……はああっ……」


 いきなり彼に顔を離されて、私は荒い息をついた。二人の間に一瞬だけ銀糸が見えて、儚く消えた。


「ごめんっ……俺、もう帰る……ダメだ。このままだと……止まれなくなるっ……」


 那由多さんは立ち上がりつつ荒っぽく身体を離したので、私は思わずバランスを崩した。後ろに倒れそうだった私を支えてくれたのも、彼。


 彼から長めの羽織りを貸りていた私が、その下に着ていたものというと大きな布を巻きつけただけ。思わぬ体勢にそれがどうなったかというと、留めてあったはずの布があっさりと解けて胸が露わになった。


「っ……キャッ……」


 とんでもない姿になってしまった私は、とりあえず両手で胸を押さえた。


 羽織りの前の紐も、さっき彼ときつく抱き合った時にでも解けてしまっていたのか。肩から大きな羽織りが抜けて、腰のほうで二枚の布が溜っているだけ……これは、全然私が意図していた事ではなかったんだけど、咄嗟に那由多さんを確認すれば彼の喉が大きく動いたのを見てしまった。


 二人、そのままの体勢のままで暫し見つめ合った。下にある布を引き戻したいんだけど、そうすると手を動かさなきゃいけないことになって……これから、下手に動いてしまうと、腰元にある布だってどうなっていしまうかわからない。


「あの……」


 じっと見つめ合ったままで、動かない那由多さんに焦れて私は彼の顔を見上げた。整った顔には、何も浮かんでいない。このままだと……動けない。


「ごめん……向こう向くから、服直して……ごめん……我慢っ」


 最後の一言は、なんだか叫びのようにも思えるくらい大きな声だったので、私は驚きつつ着物を上げた。


「ごめん。なんか、思わず欲に負けそうだった……お願いだから。俺の前から、いなくならないで……」


 切実な声でぎゅっと後ろから抱きこまれて、私はその時の那由多の顔は見られなかった。けど、言いたいことはわかった。前に居た彼女のように……いなくなって欲しくないと……そう言っているんだと思う。


「大丈夫だよ……あの……寿命の話、したでしょう? 私の寿命って、これで少しは結構延びてるの?」


 さっき深いキスをした彼と初めて会った時に、伽羅さんから聞いた寿命の話を思い出して私が聞けば、那由多はゆっくりと頷いた。


「うん……そういう意図ではなかったけど、俺の唾液も……体内に取り込んでいるから、寿命は少しは延びてると思う。どのくらいとかは……わからないけど、その間は老けることはないよ。天狗は大体成長期が終われば、姿は変わらなくなるから」


「すごい……不老不死だ……」


 天狗族の嫁になれば手に入る副産物の思ってもみなかった恩恵を知って、私は心から驚いた。そんなの。絶対に、フィクションの世界でしか存在しないと思っていたのに。


「うん。俺と一緒になれば、手に入るよ。どう? 天狗の嫁。お得だよ?」


 那由多は私の肩口から顔を上げて、楽し気な表情になった。目の縁が赤くなっているのは、私は見なかった振りをした。


「ごめん。やっと俺、頭の中が冷静になって来た。もし、告白し合った事がバレたら掟破りだから……絶対に、二人だけの秘密にしてて」


 急に真剣な表情になった那由多が面白くて、私は笑いながら頷いた。


「私は……誰にも、言わないよ……うん。でも、わかった」

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