第36話「罰」
「何をやっておるんだ! お前は!」
いきなりの九頭竜の襲撃を受け、戦闘態勢に入り緊張感のあった天狗族も、ようやく落ち着きを取り戻した頃。
那由多に連れられて帰って来た私は、地面に降り立った途端に鼓膜にキーンと響き渡る大声を聞いた。全く予想していない出来事だったので、呆気に取られてしまった。
そこに居たのは大天狗相模坊さまほどの大きな身体を持つ、黒い翼を持ち鴉の嘴のような面を付けている天狗だった。
「親父……」
那由多は九頭竜に対抗するための援軍としてやって来ていた彼にこうして怒られることは覚悟の上だったのか、神妙な面持ちをして私の肩を一度叩いて一人歩み出た。
那由多のお父さんってことは……鞍馬山の僧正坊さん?
「争奪戦の途中で相模坊の預かりの身になっていながら、命令無視で暴走して勝手な振る舞いをしたことは聞いた。それに……お前。争奪戦の掟も、破っているな? 儂が見たところ、完全に人の花嫁と恋仲になっているではないか。掟破りは、決して許されんぞ。那由多」
「覚悟はしています。どんな罰でも後で受けますので、争奪戦への失格だけは……許してください」
那由多は父親である僧正坊さんに厳しく叱責されても、決然として表情でそう言った。
私と寄り添っていたところを見られているし、恐らく踊っていた後で抱き合っていたのも彼に見られていたようだった。
あんな姿を見れば誰だって、理解するはずだ。私と那由多が好き同士だって。
天狗族の掟については、私だって事前に説明を受けていた。
二か月経つまでは例え心を決めても口に出すなと言われたのを破ったのは、那由多ではなくて私だ。どうしても、那由多が好きだったから……彼が、待ってと止めるのも聞かずに。
「成人もしていると言うのに、子どもじみた我が儘が過ぎないか。那由多。これだけの多くの人数を抱える天狗族が纏まるためには、掟を守ることは肝要だ。儂の跡を継ぐはずのお前が、掟を破りなど……何をしている!? 他の者に、示しがつかんではないか!」
僧正坊さんは、怒り心頭の様子だった。何気なく周囲に居た人たちが思わず後退ってしまうくらいに、激しい勢いで息子に雷を落としていた。
那由多は、それでも真っ直ぐに父親を見ていた。
「罰なら、なんでも受けます。聖良と別れることだけは、どうかお許しください」
「まだっ……」
尚も言い募ろうとした僧正坊さんの肩を、相模坊さんが叩いた。大きな身体でいかにも大天狗の二人が揃えば、辺りを払う得も言われぬ迫力があった。
「まあまあ……そこまでだ。お前の花嫁争奪戦での話をここでしても良いぞ? お前だって、息子と同じことをしていただろう。血は争えないな」
相模坊さんが執り成すようにして、目の前の那由多と私を交互に見た。
「……儂の時は、もっと緩い掟で……その後に、完全に争奪戦が終わるまでは、一切何も告げないということになったはずだ」
僧正坊さんは掟破りだというのは心外だとばかりに言ったものの、相模坊さんの言葉の正しさを示すようにして、先程までの激しい勢いを失ってしまった。
「ははは。あれだって掟破りには、違いあるまい。幼い子も、いつまでも子どもではない。お前の息子にだって、言い分はあるだろう。それに恋する二人を、一族の勝手で引き裂く訳にはいかぬ。かくりよに来て我らの一族へと迎える、人の花嫁の決断が一番大事だろう」
宥めるような相模坊さんの言葉を聞き、僧正坊さんは息をついて肩を竦めた。
「……今回の花嫁争奪戦の監督は、相模坊だからな。お主が取り仕切るとあらば……部外者の儂は、もう何も言わんでおくか……那由多。花嫁を手に入れたことは、良くやった。母さんも……お前のことは、本当に心配していたからな。連れ帰れば喜ぶだろう」
僧正坊さんはそう言って踵を返し、城の中へと去って行ってしまった。
これまでの詳しい事情を知れば、それは当たり前のことなんだけど。
那由多のお母さまは、落ち込んでいた息子のことを酷く心配してたんだろうなと理解出来てしまった。だからこそ、花嫁を得ればそれがなんとかなるのではないかと思って、争奪戦参加を勧めたんだと思う。
那由多がそんなにまで落ち込んでいた原因となっていた前世のせりの記憶を持っている私は、なんだか責任を感じてしまった。
ちらっと那由多を見上げれば、彼は相模坊さん向けて姿勢良くお辞儀をしていた。
「相模坊さま……申し訳ありません。掟破りの全責任はすべて俺にありますので、何なりと罰を申し付けてください」
「えっと……! すみません。相模坊さん。私がっ……私が、那由多は止めたのに……彼に思いを告げたんです。彼のせいではありません」
私は慌てて前に出たんだけど、相模坊さんはいつものように柔和な笑顔で頷いた。
「君たちも知っているように、掟破りは掟破りだ。このまま何もなくは、一族に示しが付かない。天狗族の一員として、約束を破った責任は取らねばならない。わかるね?」
「はいっ……何だってします!」
「聖良っ……ちょっと、なんだっては……」
那由多は慌てた様子で私の言葉を遮ったけど、相模坊さんはそんな私たちの様子を見て楽しそうに笑った。
「この先夫婦となる二人がとても仲が良くて、何よりだ。よし……それでは、天狗族の掟を破った罰を与えよう。心の準備は良いね?」
私と那由多は一度目を合わせて、そして相模坊さんに頷いた。彼は勿体ぶった様子で厳かに言った。
「良し。城の庭の掃除を、二人で一か月担当しなさい。そうすれば、その期間に争奪戦も終わりの期日になる。二人でこの広い庭を綺麗に掃除していれば、夜はもうくたくたで、それから妙なことも考えまい。良いね? これは、掟破りへの罰だよ。決して、おろそかにしてはいけないよ」
私は監督責任のある相模坊さんの温情ある処置に、二人で揃って返事をした。
相模坊さん……そういえば、妖狐族にもかくりよでも有名な人格者だって言われていたっけ。通りで優しくて……情け深い人だと思う。
そして、私たち二人は相模坊さんの言い付け通りに、翌日から広い城の庭掃除に明け暮れて、本当に争奪戦終了までは甘いことなんて一切考えないくらいには本当に大変だった。
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