第14話「川下り」

 そして、二人目となる伽羅さんとのデートの日。


 まだ薄暗い早朝を出発時間に設定した彼は、そのヤンチャっぽい外見を裏切ることなく、アクティブなデートを提案してきた。


「……川下り?」


 私は彼の部屋に迎えに行って、挨拶もそこそこに有無を言わさずに連れて来られた山中で、激流とも言える流れの早い川を見下ろしていた。


 とてもじゃないけど、可愛く水遊びして普通に泳げそうな可愛い川ではない。


「そうそう! 俺。そういうの、好きなんだよねー……あ。舟借りて来るから、ちょっと待ってて!」


 私の中にある川下りと言えば、景観の良い川を優雅に下っていく悠々とした楽しみだと思っていた。けど、今目の前にあるのは、ちょっと間違ってしまったら、足を取られてすぐに溺れてしまいそうな川だった。


 ちなみに私はこちらに来てからというもの、踊りで着付けにも慣れていることもあり、天狗族の皆さんが用意してくれた可愛らしい着物を着ていて常に和装だった。つまりは、川下りをするのにはま全く適していない。


 そう。もし、これで川に落ちてしまえば、溺れて死んでしまうのは目に見えていた。


「聖良さーん! 借りて来た! こっち来て!」


 木で出来た年代物っぽい舟を浮かべて伽羅さんが櫂を大きく振って、舟の縁を掴んだまま私を呼んでいる。川下りっていうか、アウトドアスポーツでも激流を下ることを楽しむラフティングのような気がしなくもない。


 けど、伽羅さんの屈託のない満面の笑顔に対し、どう言ってこの場を穏便に断れるものなのか迷った。


「あっ……あの、私。着物着てるし……」


 恐れを抱いて尻込みする私に、伽羅さんは我関せずな様子で、ぐっと強引に手を引いて自分の乗っていた舟へと乗せた。不安定な小さな舟はぐっと傾いで、私は思わず短い悲鳴を上げた。


「だいじょーぶだいじょーぶ。なんとかなるから。乗って乗って!」


 なんとか、ならなそう。だから、怖いんだけど!?


 顔を青くした言葉にならない悲鳴を残して、伽羅さんは手際よく縄を解いて櫂を動かし舟を流れに乗せた。


 滑るように川面を動き出した舟は、すいすいと岩を避けて下流へと進んでいく。


「うわぁっ……」


 遊園地のジェットコースターとは言わないまでも、速度は速いし爽快感がある。楽しい。


 ただ、私の身体に安全を約束するベルトは巻かれていなくて、伽羅さんの操舵に自分の命を握られていることは、変わりないままだけど。


「ね? 思ったより、平気でしょ?」


 余裕そうに微笑む彼の整った顔には、悪意は欠片も見つからない。


 けど「自分はこれを楽しいから、他の人にも楽しさを味わって欲しい」と思うのなら、私が舟に乗る前の説得に時間を掛けるべきだったとは思う。


 こんな激流ではなくて、穏やかな川から始めるとか。


 三人の中ではこの伽羅さんが一番年下だというけど、私の何倍も年齢を経ているはずなのに、やっている事は高校生の男の子のようだった。


 そういう意味では、少しだけ彼の幼さを感じてしまった。けれど多分その理由は、経験が少ないだけだろう。今まで修行に時間を取られて女人と関わることが出来なかったとすれば、それは仕方ないのない話なのかもしれない。


「操舵。上手いですね」


「まーね。山篭りも修験道の修行の一環としてあるんだけど、俺はこういう移動に川を使うのは好きだった。聖良さんも、楽しいかなと思って」


 伽羅さんは真っ直ぐな性格っぽいし、女性をこれを喜ぶだろうと思う思考の方向性は少しだけ間違えていそうだけど、彼が優しいことには変わりなさそう。


「……天狗族の方って、産まれた時から天狗じゃないんですか?」


 そういえば。


 これまでの人生のほとんどを修験道の修行をしていたと、前に彼が言った気がする。天狗の息子は天狗ではないのかと、彼らの生態を知らない私の素朴な疑問に伽羅さんは苦笑して首を横に振って答えた。


「そうだなー。確かに俺たちは産まれた時から、天狗と呼ばれるあやかしではある。だけど、偉大な親の後を継ぐために、天狗族を率いる大天狗の一人となるには生まれ持った能力を出来るだけ伸ばすために幼い頃から修験道の修行をするしかない。死ぬほどキツい幾種類もの修行を、延々と百年間だよ……天狗も、本当に楽じゃないから……」


 長きに渡る修行の辛さを思い出してか、わざとらしいくらいに大きな溜め息をついた伽羅さんに、私は声をあげて笑った。


「あやかしにも、色々とあってさ。俺たちみたいに、人の娘を攫って、花嫁にしたいと望む奴らも居れば、人と見ればすぐに食べてしまう奴も居る。俺ら一族の大事な花嫁となる聖良さんにはまず近付かせないし、危険なそいつらをこの先目にすることはないと思うけど……一応、注意はしといて」


「人を……食べる……?」


 思ってもみなかった血なまぐさい不穏な話の方向に私が息をのむと、彼は舟へと迫り来る無数の岩を、次々と素晴らしい操舵で避けつつ、真顔のままで言葉を続けた。


「代表的なあやかしは人食いの、九頭竜だ。あいつは人が困るように大きな川を敢えて荒らし、大人しくなる条件にと、若い娘を生贄を差し出させ人を食らう。凶悪で、非道な行いを平気でするんだ。かくりよに住む人も少ないし、ここで暮らす以上は勝手は出来ないから。流石に大人しくなったようだけど、以前……かくりよが大荒れに荒れた時に、あいつも……っ……聖良さん! 危ない! 頭を伏せて!」


 語っていた伽羅さんがいきなり話の途中で言葉を切り、私が彼の言う通りに咄嗟に顔を伏せた時、川の中から大量の水が舞い上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る