第32話「名前」

「じゃあ……私はあやかしが一同に会する集まりで、九頭竜と呼ばれているあやかしの前で舞を踊れば良いのね」


「そう……だから、それまではここに滞在してくれ」


 鞍馬山の那由多と名乗った若い天狗は、荒れに荒れているかくりよの現状と、わざわざ迎えに来た私がこれからすべきことについて淡々と説明をした。


 飛行を終えて、腰を落ち着けて。


 向かい合ってまじまじと彼を見れば、端正で可愛らしい顔立ちをしている。


 あやかしの中でも天狗族は長寿で人間の私とは比べ物にならないほどの年月を生きるんだろうけど……なんとなくの勘で、彼はとても若い気がする。


「那由多って……いくつなの?」


「今年七十」


「……ななじゅう……そうなんだー……え。おじいさんだ」


 彼の年齢を聞いた私は、素直にそう評してしまった。ちょっと間違えれば十代に見えるこの男の子が、七十歳。


 ただの人間とは全く違う、かけ離れた生き物であることは間違いない。


「天狗族では、若い方だ」


 幼い頃から踊りだけを踊って来た私の無遠慮な言いように、気分を害したのか彼はムッとした表情を浮かべた。


 こういうところを見れば、確かに彼は若い気もするけど。七十歳……。


 私が連れて来られた天狗族の里というのは、黒い城を取り巻くようにして集落があった。とても落ち着いているとは、言えない。物々しい、戦時中のような張りつめた雰囲気。


「那由多。良い男だよね。結婚は、してないの?」


「……天狗族は、百歳くらいで結婚する」


 それは、曖昧な表現ではあった。私の揶揄うような質問に答えているようで、答えてない。


 ここでまた重ねて、私は彼に確認することにした。だって、天狗の花嫁になって天狗族になれば、このかくりよでも生きていけるって言ったのは向こうだし。


「じゃあ、私の旦那さんにもなれるね」


「は?」


 にこにこと微笑んだ私の言葉に虚を突かれたようにして、彼は呆気に取られた表情をした。彼の顔を見て笑ったら、すっかり拗ねてしまったので謝った。


「ごめんごめん。でも、天狗の花嫁になれば、かくりよに住めるって言ったのは、そっちでしょう?」


「……人の娘の花嫁争奪戦には、その時点で条件の良い若い天狗が三人選ばれる。その中から、選んでしまえば、天狗の花嫁だ……」


「え。じゃあ、那由多さんも出れば良いのに。私の、花嫁争奪戦」


「……さっき言ったと思うけど、俺は花嫁を娶るには、まだ年齢的に早い。大天狗の息子だって、適齢期だけどまだ結婚して居ない天狗が居るし……俺は選ばれないと思う」


「えー……那由多さんは、出て来ないの? つまんないの」


 彼の凛々しい外見は私の好みだし、性格もなんだかんだ言って合いそうで、それは少し残念だった。


 天狗の花嫁になれば、かくりよに住めると言われても知らない天狗と結婚したくはない。九頭竜を鎮めて貰える報酬は、考え直した方が良さそう。


「……花嫁争奪戦が始まって、二月経ってもその中で心が決まらなければ、他の天狗にまた替わるから。それが何度か続けば、俺も参加することが出来るかも……」


「あ、そうなの!? じゃあ、そうしてよ!」


 私が笑ってそう言えば、那由多は驚いた顔をして、そして頷いた。


 九頭竜を鎮めるという私の役目は、三日後らしい。


 産まれてから今までにずっと私の舞を見て、どんなあかやしだって簡単に調伏することが出来た。だから、私はその日が全然怖くはなかった。幼い頃からずっとして来たことを、またここで披露するだけだと。


 かくりよに連れて来るという案内人の役目を果たしたはずなのに、那由多は私の傍を離れず目の届く範囲内に居る。


 本当に着かず離れずのべったりだったので、私は少し心配になった。私は良いとしても、城に居る彼以外の天狗たちは、本当に忙しく走り回っている。


 この城の主の息子なのに、客人の私と遊んでいる場合ではない雰囲気ではあった。


 庭を散歩している時も、三歩も離れない。近い。


「ねえ……那由多。いつも私と一緒に居てくれるけど、自分の仕事は大丈夫なの?」


「……一応、貴女の警護をしている」


 あ。なるほど。そういう事だったかと私は手を叩いた。


「そっか。なんか、それもそうだよね……こんなにいつも一緒に居るから……そっか……なんだか、すごく勘違いしてた」


「ははっ……じゃあ、何でこんなに一緒に居ると思ってたんだ?」


「私と一緒に居たいのかなあって……ずっと、そう思ってたけど」


 私が背の高い彼を見上げれば、彼はすうっと息を吸って顔を赤くした。


「いや。仕事なんで……」


「なんだー……仕事だけか。なんだ。残念だなあ……」


「……残念……なんで?」


「なんでかなあ……? なんでだと思う?」


 那由多は私に質問を聞き返されて、顔を赤くした。可愛い。気まずい雰囲気を打ち壊そうとしたのか、那由多は大きく息をついて話を変えた。


「……あの神社で、幼い頃から……ずっと出られなかったのか?」


「うん。私の家は代々、そういう家系なの。私は舞うことで能力を調伏の能力を発揮出来たけど、お父様は札を書いたり。お姉さまは歌を歌ったり。やり方は、それぞれ違うんだけどね。幼い頃から毎日毎日、あやかしに憑かれた人を助けて来た。もうずっと予定が入っているから、外に遊びに行くことももう出来なくて……」


「外に、遊びにも……?」


「うん。私、あの神社から出たことがないんだ。多分、帰っても死ぬまで出られないと思う。私は代々の中でも、特に力が強いんだって……だから……きっと死ぬまで、手放さないから」


 死ぬまで、祈りの舞を踊るは定め。天狗の彼に「お願いしたいことがある」と言って、かくりよに案内されなければ。来る日も来る日も、踊っていただろう。


 踊るのは、好き。けど、自由にもなりたい。大きな翼を持つ彼のように、空に舞い上がってずっと遠くまで。


「……何処か、行きたいところがあるか?」


「連れて行ってくれるの!?」


 喜び勇んで思わず彼の両手を握った私に、那由多は神妙な顔をして頷いた。


「何処でも……俺が、連れて行ける範囲なら」


「私。藤の花が、一番好きなの。零れるような、薄紫の花。藤棚に行きたい」


「かくりよでも、有名な藤棚がある。連れて行こう」


「本当に!? じゃあ、指切りしましょう。約束を破ったら……わかっているわよね?」


「わかってる……約束だ……   ……」


 那由多は苦笑して小指を出しつつ、私の名前を呼んだ。

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