第31話「回想」
「……え?」
夕食後にまったりとして自室に居た私の事を、切羽詰まった表情で呼びに来た伽羅さんの言葉を頭は理解出来なかった。理解したくなくて、追い出したというべきか。
「だから! 俺と、早く逃げるよ! 早く! 手を握るね。ごめん!」
慌てている伽羅さんは私の手を握り、広い板敷の廊下を走り出した。城の中も、ざわざわとしていて、ついこの前妖狐族が攻めて来た時のように物々しい。
「っ……ちょっと! ちょっと、待って! 何なの!? どういうこと!?」
伽羅さんは背が高いし、足も凄く長い。
一応私に気遣ってくれている様子で全速力ではない彼に先行されれば、私は足が縺れないようにして必死でついて走るしかない。
「くっそ。妖狐族……まじこれが収まったら、全員ボコボコにしないと気が済まねえ」
怒った様子の伽羅さんは、走る足音も荒い。どうしようもない苛立ちをそこにぶつけているようだった。
「っ……え? ちょっと……どういうこと?」
「かくりよきっての乱暴者の、九頭竜だ。すぐそこまで、来ている。あいつらっ、妖狐族が九頭竜に今、天狗の花嫁が攫われて来たばかりだという情報を、よりにもよってあいつに流しやがった。城の近くに来るまで、あいつらの幻影で見えなくしたんだ。きっとこれも、妖狐たちが絡んでいる。だから、俺らもさっきまで全然気が付かなかった」
「え!? えっ……! もうっ……良く意味が、わかんないんだけど! 私にも、わかるようにっ簡単に説明してっ……!」
私も走りつつだったし、いきなりの事態に驚きすぎて頭が真っ白。
九頭竜って、五十年前にかくりよを荒らしたっていう……そう。那由多の好きだった人を確か……。
「ごめん! 俺も本当にこれは全く想像してもなかったから、今混乱してる! 九頭竜が出てくれば、またかくりよは荒れる。要するに、九頭竜は人間を食うのが好きなんだ。かくりよに只人が居るなんて、稀なことだから。だから……聖良さんを狙っている。本当に、最悪だ。嫌がらせにも、程があるだろ。この前のことは、相模坊さまの管轄だからと他の大天狗も堪えたが、もう親父達も黙ってない。また……荒れるだろうな」
私は伽羅さんの話を理解するにつれて、呆然としてしまった。
言葉もない様子の私を痛まし気に見て、伽羅さんは大きな鷹のような茶色の翼を出すと、私を抱いて空へと舞い上がった。
「……そんな」
唇からぽつりとこぼれた言葉を、風が強い上空にあっても彼の耳は拾ってくれたようだった。
「こんな事になって、怖いよな……けど、大丈夫。俺たちがきっと守るから。心配しないで。近くに居る大天狗も何人かは、駆けつけて来る手筈になっている。親父達であれば、あの九頭竜も吹き飛ばすことも可能だから。それまでに……どうにか、持ちこたえてくれれば……」
持ち堪える? 私はその言葉を、不思議に思った。それに、その場合。普通であれば、私と共に居るのは伽羅さんじゃなくて……。
「あのっ……気を悪くしないで欲しいんだけど、那由多は? 那由多はどこなの?」
今はもう夜。空の色は黒く、丸い月が煌々と輝いていた。
こんなにも恐ろしい事態の只中だというのに、一番に来てくれるはずの彼が傍に居ないことが不思議だった。
「はは。俺でごめん。あいつなら、九頭竜を食い止めるために、真っ先に出て行った。多分、聖良さんを逃がす役目をするのは、あいつになるのが一番良いんだけど。俺らも止める暇もなくて。最前線で戦ってると思うよ。あいつも、今は本調子じゃないから。流石にもう、ガルラ召喚は無理だとは……思うけどね」
「えっ……でも、九頭竜って……」
「うん。あいつにとってしてみれば、愛した人を殺した仇だから……ほら。あそこに居る」
私は彼に促され、何気なく視線をそちらに向けた。
そして、何本も頭を持つ巨大な竜。その禍々しい姿を目にして……心の奥底に眠っていた記憶が奔流のように流れ込んで来た。
◇◆◇
「ふうん。そうなの。こちらの、人の世も争いばかり。本当に、嫌になるわね」
扇を持って私が溜め息をつきつつ、そう言っても。綺麗な顔をした若い天狗は、表情をあまり変えなかった。
神社で祈りを捧げ、舞を奉納することを日課にしている私も、こうしてあやかしの天狗を見たのは、初めてのことだった。
大昔から言い伝えられている通り、その若い天狗は山伏のような恰好をしている。神社にお参りに来る男性のように、お洒落をすれば映えるだろうなと、余計なことを考えたりした。
背中にある大きな黒い翼を除けば、ただの人間と変わりないようにも見える。突然現れた彼の申し出を快諾した私を連れて空を飛んでも、態度は全く変わらず淡々としたものだ。
「九頭竜を、鎮めてくれれば……きっと。必ず、天狗に出来る限りの礼をしよう」
あまり言葉が上手くない彼は、不器用なのかもしれない。そう思った。私からすれば、それは好ましい性質だった。
優しく誠実そうで。そう。もし、人生の伴侶にするならこんな人が良い。
けど、彼は私を荒れたかくりよの平定のために、連れて行きたいだけの案内人だった。勘違いしてはいけない。
「……そう? 何にしようかしら……そうね。私、もう祈りの舞姫なんて、したくないのよね。どんな穢れをも祓うと言われても、その結果でお金で稼いでいるのは……私ではないもの」
「……お前が平和にする、かくりよに住めば良い」
私は、間近にあった彼の整った顔をまじまじと見た。
「私。あやかしではないから、住めないわ」
このかくりよでは妖力のない人間は、いずれ死んでしまう。その話は、私も聞いたことがあった。周囲のあやかしの妖力に侵されて、どんどん生命力を失ってしまうのだ。
「……天狗の嫁になれば……神通力を、渡すことが出来る」
天狗たちは人の娘を花嫁にするために、攫う事があるという話は有名だった。神隠しにあった若い女の子は、大体そういうことなんだろうという話。
けど、私はなんとなく自分の嫁にするとは、言わないんだなと少し不満に思っていたりもした。
「あら。良い申し出を、ありがとう。この争いが終われば、詳しく聞きたいわ」
微笑んだ私に向かって、彼は真面目に頷いた。その漆黒の目には、感情が見えにくい。
祈りの、舞姫。人の世から荒れたかくりよの原因、九頭竜を鎮めるために連れて来られた存在。
そっか。それは私だったんだ……。
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