第38話「祝言」

 私が嫁入りすることになったかくりよの鞍馬山は、聖域を感じさせるほどに空気が良くて緑深く美しかった。


 那由多のお父さんの鞍馬山僧正坊の居城は、真っ黒でどっしりとした威圧感がある。これまでずっと居候させて貰っていた相模坊さんの美しい赤い居城とは、また違った風情を漂わせていた。


 そして、前々からの予定通りに早々に執り行われた祝言の日は、緊張しっぱなしだった。


 大天狗の息子で、未来の大天狗の那由多が結婚すると言えば当たり前のことなんだけど、天狗族の幹部の大天狗八人も勢揃いして、天狗族と仲の良い鬼族や猫又族なんかのお偉いさんなども駆け付けて来ていた。


 那由多の立場に相応しく立派に挨拶の口上をしたり、次々にお祝いにやって来る面々と対等に渡り合ったり。今までに知らなかった一面を見て、また彼のことを一層好きになってしまった。


「……疲れた?」


 ざわざわとした披露宴も、滞りなく進行し終わった頃。やっとお祝いの人の列が途切れた彼の隣で、ただにこにことしているだけだった私を、気遣うようにして那由多は言った。


 本当にどうにかして目を凝らしても、欠点と言えるものが見つからない。


「ううん。座っているだけだった私なんかより、那由多の方が絶対に疲れているよね。貫禄ある対応で、話していた皆が感心してたもん……なんだか、惚れ直した。私の旦那さんになる人は、本当に素敵な天狗なんだなって」


 私が着用している那由多のお母さんが彼のお嫁さんにと用意してくれていた白無垢は、美しい。お師匠さんの高価な舞台衣装なんかを見て、着物には目が肥えてしまっている私も思わず唸ってしまうくらいに、素晴らしいものだった。


 そして、綿帽子を被った狭い視界の中には、那由多の整った顔だけになってしまっている。


 これからは私はそう言った意味では、彼一人のことだけしか見えないんだけど。


「……うん。聖良にいつもそんな風に思って貰えるように、これからも真摯に精進します。だから、俺の傍に居てください。これから、一生」


 那由多から結婚して欲しいっていう直接的なプロポーズは、そういえばこれまでに受けていなかったかも。


 私の花嫁争奪戦に参加しているのなら、それは言わなくてもわかるだろうって言われれば、それだけの話なんだけど。


 こうして、ちゃんと私を前にして言葉にしてくれて、心から嬉しくなったのは本当で。なんだか、それを聞いて胸がいっぱいになってしまった。


「はい……不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」


 そう言って手を握って微笑み合った私たちに、この城で働く可愛い小天狗がそろそろ披露宴も終わる時間だという耳打ちをして来た。



◇◆◇



「わー……」


 私は重い祝言用の白無垢を脱ぎお世話して貰ってお風呂から上がると、案内された部屋はわかりやすく結婚初夜のそういう雰囲気。


 けど、披露宴後の宴会は、主役が抜けてからが本番と言った様子で。まだまだこれからも続くみたい。遠い喧噪が、どこからか聞こえて来る。


「……聖良。お疲れ様」


 声が聞こえて来た方を見れば、那由多が窓際に座っていた。彼もやはり風呂上りで、漆黒の髪が軽く湿っている。那由多の整った容姿は、本当に通常でも絵になる。


「那由多も……今日は、お疲れ様。大変だったよね。本当に、お祝いに来てくれた人はすごい人数だったもん……」


 私は彼が居る方向へと近付きつつ、微笑んだ。


 かくりよのあやかしが、このお城に一同に会したんじゃないかと思うくらい多種多様のあやかし達が居た。もちろん、あの妖狐族は見なかった。天狗族と彼らは、本当に天敵同士なんだとは思った。


 援軍に来た大天狗たちに抗議された妖狐たちは九頭竜の件に関しては、知らぬ存ぜぬ。せっかく鎮まって居なくなった九頭竜に、誰から聞いたかを教えて貰いに行く訳にも行かないし、大天狗たちは怒り心頭だったようだった。


 けど、理由もなく攻め込む訳にもいかなくて、一旦は退くことにしたみたいだった。


「ううん。俺は……全然、疲れてないよ。ずっと、この日が来ることを夢見ていた。修験道の修行に明け暮れていた時も、こうしていつか……幸せな結婚が出来ればと心に過ぎっていた。それは……あの時は、せりが居なくなって……幸せを願うことは良くないことだと思って、いつも打ち消していたけど、今こうして聖良と結婚することが出来た」


 幸せを願うことは良くないことだと思っていたという言葉に、私の胸は痛んだ。せりを亡くしてから、どれだけこの人が苦しんだか……それは、那由多じゃない私は推測するしか出来ないけど……どれだけ辛かったんだろうと、それだけで思ってしまったからだ。


「……ずっと、私を待っててくれたんだもんね」


 私は、窓際の那由多の隣に腰掛けた。窓の外には、美しい三日月が見える。日々形を変える月のように人の心だって、こうして満ち欠けもするはずだ。


 そのはずなのに、那由多は五十年という長い間、亡くなったせりのことが忘れられずにずっと好きなままだった。自分の前世と言われたら、それまでなんだけで嬉しくもある……けど、せりは私であって私じゃない。


 どうしても、嫉妬してしまう。私が那由多のことを、誰よりも独占したいと思っているから。


「聖良が現れるのを待ってたことは、確かに間違いないとは思うんだけど……せりのことは本当に、本気で好きだったし。だから、あれほどにまでにずっと忘れられなかったんだと思う。けど、聖良はせりに似ていたからって、好きになった訳じゃないよ」


 だからその時の彼の言葉は、私にしてみれば少し意外だった。


 私は城の近くで踊っているのを見掛けた時に、きっと舞姫のせりと似ていると認識して彼は興味を持ったんだと思っていたから。


「……そうなの?」


「せりはせりで、ちゃんと好きだったけど……聖良は、聖良で好きになったんだ。これって、浮気になる?」


 心配そうな黒い目は、こちらの様子を慎重に窺うようだった。


「ならないっ……! ふふっ……本当に真面目だね……そっか。那由多は、前世と同じように、私の事も好きになってくれたんだね……嬉しい」


「うん……だから、こうして今一緒に居られて嬉しいよ」


 そうして那由多は立ち上がって、私の頬に手を滑らせた。誘うような色気ある視線に、言葉がなくても私は彼の意図していることを悟って心得たようにして頷いた。


 黒い空に三日月が浮かぶ美しい夜に、私は大好きな彼と夫婦になった。

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