第27話「罠」

「なんで、こんな城の中に……薄汚い狐が、一匹入り込んでいるの? 天狗に袋叩きになる覚悟は、もちろんあるわよね?」


 私の背後に居る誰かに対し白蘭さんが出した声はさっき話していた時より数段低くなっていて、思わず身を竦ませてしまった。


 き……狐? 相模坊さんは、さっき出て行く前に城の中なら大丈夫だと言ってた。なのに、妖狐族が入り込んでいる……? どういうこと?


「大天狗香川白峰山相模坊の、ご息女より。素敵なご挨拶頂きまして、感激しきり。ただ、少し誤解があるようで……俺は別に、入り込んだ訳ではありません」


 飄々とした声を聞いて、私はバッと後ろを振り返った。


 そこに居たのは、ごく普通の和装の青年だった。


 ただ……ちょっとだけ、妙に角度のある釣り目だとは思ったけど。狐が人型になっていると思えば、それも不思議ではないのかもしれない。


「……はあ? 何の話? ああ……もしかして。前に、伽羅に捕らえられた狐の内の一匹? ふうん。お父様の、牢の結界を破ったんだ? あんた。これ全部、ここまでの流れも、謀ったわね? 何が目的? 天狗族を、本気で怒らせてまで。こんなことをすれば、他地方の大天狗だって黙ってないわよ……一体、何がしたいのよ」


 脅すように言った白蘭さんは、自らが戦闘態勢であることを示すように赤い瞳を輝かせながら、身を竦ませたままの私を庇うようにして前に出た。


 白蘭さんの強い言葉など歯牙にもかける様子を見せない彼は、飄々として肩を竦めた。


「はは。天狗はたまに人の娘を、花嫁として攫って……大事にする……天狗の嫁取りは、久しぶりじゃないですか。知っての通り。俺たちは、天狗が嫌いなんでね。はしゃいで楽しそうなところに、水でも差してやろうかと。そう思っただけですよ」


 あくまでにこにことした明るい顔で、とんでもなく酷い事を言った彼に、私は背筋にぞくりとした寒気が走った。


 なんだか……とてもまともな思考では、ない気がするのだ。


「本当に、妖狐は性格悪いわね。嫌いな天狗が楽しそうだと、邪魔をしたくなる? あっきれた。ただの、子どもじゃない。お生憎様だけど、これからも楽しくさせて貰うわ。嫌いな一族が幸せな様子を指でも咥えて、見てれば良いわよ。本当に、可哀想な狐たちは」


 顔を顰めた白蘭さんは、そう冷たく言い放った。


「……うん。まあ、事前情報通りだったな……相模坊の娘白蘭は直情的で、感情に任せて物を言う。そして、周囲の幼馴染が異性ばかりだったので一人甘やかされ、自分が煽られていることすらわからないバカか」


「は……? なんですって?!」


「あのー、敵側の俺も。こんなにも甘やかされたお姫様を見れば、少し心配になるなあ。この状況でさ……こうして出て来た俺が単独だと思うのって、絶対におかしくない? あの時に、豊前坊の息子が捕らえた妖狐の数を覚えていたら……もし、俺だったら、自分が一人しか居ないと見れば、即刻大事な人の娘を連れて逃げてるけどねえ……もう。遅いけど」


「っ……聖良さん! ちょっと! 返しなさいよ!」


 私は白蘭さんから名前を呼ばれても、返事を返すことが出来なかった。背後から私を捕らえている人に、口を塞ぐように大きな手を当てられていたからだ。


「っ……んん---!!」


 とにかく見知らぬ誰かに後ろから手を回されて身動き出来なくなって、不快で堪らなかった。


「ちょっと! その子に手を出したら……わかっているんでしょう? 私たちは絶対に許さないわよ」


 赤い瞳が燃えるような白蘭さんは、怒りの余りに手に輝く何かの力を集めているようだけど、それは放てない。だって……きっとそれを当てたい人の前には、盾のようにして私が居るからだ。


 白蘭さんの様子からして、きっと彼女だけなら。この妖狐族二人が居ても、大丈夫だったのだ。けど、私には自分を守る力も持ってなくて……ただ、自分が攫われていくのに、抵抗する事も出来ない。


 どうしよう。那由多。あの人を、もう悲しませたくはない。


「そのくらいの脅しで、止まるようなら。そもそもこんな事しないって。相模坊はかくりよの中でも、有数の人格者で知られてるが……娘を甘やかすと、ろくなことにならない見本だなー……はいはい。じゃあ、お姫様は存分に怒られてねー……俺たちは、任務完了」


「ちょっと……!! もう!! なんで、誰も帰って来ないの!?」


 白蘭さんの悲鳴のような声に、私の身を確保した人はとても低い掠れたような声で応えた。


「九尾狐が出て来ているのに、何の準備もなかった天狗族は総力戦にならない訳がない。そんなこともわからないのか。女を甘やかすと、本当にダメだな……行くぞ」


「待ちなさいよ! 伽羅!! 多聞!! 那由多!! もうっ!! なんで、こんな時に居ないのよ!!」


 何かふわりとした毛のような柔らかい物が手に触れて、私は驚いた。


 彼らは、人型のままでぼんやりと光る狐の耳と尻尾を出していたからだ。ゆっくりとした速度で、私の身体は背後の居た彼と共に、宙へと舞い上がり始めた。


「ははは。これで、天狗の花嫁、確保ー! 悔しがる奴らの顔を、想像すると……気持ち良い。嫌いな奴への嫌がらせは、本当に……楽しいよねえ。癖になるわ」

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