第26話「舞姫」
先に翼を出して飛んで行ってしまった彼らに続こうとして、身体のサイズがより大きい大天狗の相模坊さんは私が唖然として驚くような巨大な翼を出した。
「……聖良さん。この城の中に居れば、問題はないと思いますが……白蘭! こっちへ! 彼女を安全な場所へ連れて行け」
私は彼が自分の娘を呼んだ声を聞いて、私は微妙な表情になってしまったと思う。だって、ついこの前に私は白蘭さんに、わかりやすく嫌がらせを受け、理不尽な理由で罵倒されたから。
けど、こんな緊急事態の中で、彼女からされたことを告げ口する気にはなれない。父に呼ばれて渋々やって来た様子の白蘭さんと、戦いへと赴く相模坊さんを見送った。
「あんた。踊りを踊れるんだね。ねえ、那由多にしたら? 那由多は、あの戦乱の時に目の前で舞姫を亡くして以来、ずーっと目が死んで本当に元気がなかったけど……あんたがここに来てから、まるで生まれ変わったみたい。亡くなった人に、操を捧げるなんて、不健康だし」
「……祈りの、舞姫?」
私は白蘭さんの口にして名前を聞いて、妙な胸騒ぎを感じた。那由多の過去の恋の相手。その人を表すという言葉だと、ただ悟っただけではなくて……心の奥から、何かが呼んでいるような感覚がした。
「乱暴者の九頭竜を鎮めるために、呼ばれた人の舞姫よ。その時代では、有名だったみたい。知らないの? けど、結局は鎮めるのに……最後の最後で失敗して、九頭竜に食い殺されることになったけど。彼女のおかげで、かくりよに平和が訪れた。那由多は、彼女をこのかくりよに連れて来た案内人を任されていたから。あれから結構長い間、とても見ていられないくらいに、憔悴して……本当に、可哀想だった」
「……案内人……」
恋した彼女をかくりよへと連れて来たのは、那由多だった。そして、彼女は目の前で……なんていう、惨い悲劇なんだろう。
「那由多だって、大天狗の息子の一人で。性格だって、融通が利かないけどすごく良いわよ。多聞ほどではないけど、顔も良いし……」
妖狐族と交戦中の今。この城の長い廊下には、当たり前だけどほとんど人影を見ることはない。ここで働く皆は、危急の事態に何かの役割をこなしているはずだ。
そして、私はもう……那由多のことを売り込む白蘭さんに、本当のことを言わないままで居ることに、耐えられなくなってしまった。
「あのね。白蘭さん。内緒にして欲しいんだけど、私もう。那由多さん……那由多を既に選んでいるの。だから、私に多聞さんを取られたくないと思うなら。安心して良いよ」
私がそう言えば、白蘭さんは驚くだろうと思いきや肩を竦めて笑った。
「……だと、思った。なんか、今日は二人の間の空気が、恋人同士みたいな感じだったから。那由多はあれから長い間、暗い表情だったのに。そわそわしてて、なんか可愛いし。死んだ人を自分も死ぬまで、ずーっと思い続けるなんて。私は不健全だと思うから……那由多を、幸せにしてあげて」
私はこの前に会った時とは、全く違う様子の白蘭さんが不思議だった。脱衣所で、私を睨み付けた時とは、まるで別人のようだった。
私が那由多を選んでいて、多聞さんを選ぶことはないという……そういう、ことだけではないと思ったから。
「白蘭さん。何かありました?」
問い掛けには応えずに、彼女は微笑んでから私より先を歩き始めた。顔は見えない。白くて綺麗な長い髪が、彼女の歩調に合わせて揺れた。
「……私ね。自分のこと、ずっとずっと嫌いだったの。自分のこと、嫌いだったから。自分を決して好きにはならない多聞に、ずっと執着してた。絶対に好きにならないから、安心してた。自分を好きな人なんて、良くわからなくて嫌悪してた。こんな自分を好きな人なんて、どこかおかしいんだって」
「そんなこと……」
「でも、そうじゃないって……わかった。私の悪いところも、ずっと見てくれてて……それでも好きって言ってくれた人が居たから。多聞に迷惑を掛けるの……もう止めようって、思ったの」
彼女が言う、白蘭さんに告白した人に予想がついてしまった私は、思わず飛び上がってしまうくらいに嬉しかった。伽羅さん。ちゃんと言ったんだ……勇気を出して、好きだって伝えたんだ。良かった。
「けど……多聞は、本当に好き! 幼い頃から、ずっと好きだった。迷惑掛けているって、わかっていても。それでも、止められないくらいに好きだった……けど、私だってわかってた。何の罪もない多聞に近付く女の子を脅して回っても、何の意味もないってこと」
「けど、私もそれはわかるよ……多聞さん。素敵だもんね。あんな人が傍に居たら、好きになっちゃうよね」
私は多聞さんを好きになることはなかったけど……もし、あの中で那由多が居なかったら、それでも好きにならなかったかと言われると肯定は出来ない。
だって、とても素敵な容姿を持っている上に、優しくてさりげなく気遣いが出来る。言葉選びも上手で、纏う空気も柔和。
そう。自分の好きな女の子を傷つけたくないと思うあまりに、ついつい甘やかしすぎちゃうくらいに。彼は優しいのだ。
「けど、那由多を選ぶんだね……あの……私、幼馴染だから。言うんだけど……那由多を、もう傷つけないであげて。あの子。もう十分に傷ついて……辛い思いを、味わっているから」
言い辛そうにする彼女は、多分……彼の前の恋の相手を、私がどう思うか心配しているのだと思った。那由多の心についた傷は深く、まだ癒えていないに違いない。長い長い時を経ても、尚もまだ。
「うん。白蘭さん。心配してくれて、ありがとう……いっぱい、那由多のこと。教えてくれてありがとう。彼からは……事情は、聞けないから」
「……そりゃそうだよね……でも、あんな那由多の明るい顔を見たら、天狗族の皆はあんたを歓迎するよ。だから……」
白蘭さんは私にそう何かを言い掛けて、一瞬黙り込む。彼女の赤い目が、薄暗い廊下で、強く光った。
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