第29話「自室」
結局、那由多の喚び出したとてつもない存在を前にして、妖狐族は形勢不利と見てか、九尾狐は子分を引き連れてさっさと帰ってしまったらしい。
ちなみに父親である相模坊さんから、私を守るようにと言われていた白蘭さんは、何か透明な壁のようなもので閉じ込められていたので、私と一緒に帰って来た多聞さんに出して貰った。そして、泣いて謝られた。
けど、悪いのは意地の悪い妖狐族のせいで、守ってくれようとした彼女が悪い訳でもなんでもない。
天狗の花嫁を攫うということが、妖狐の彼らにとってどんな良いことになるのかはわからないけど。悪趣味なのは、確かだし。
私はあんなにまで多くの神通力を使ってしまったという那由多が、ただただ心配だった。
自室でそわそわとしつつ彼が帰って来るのを待っていたら、伽羅さんが那由多を担いで入って来た。
「あ。聖良さん……那由多の神通力、もう空っぽだから。当分身体も動けないし、悪さとかも出来ないと、思うからさー。相模坊に特別に許可貰って、ここに居ても良い事になった。良かったら、看病してあげてよ。聖良さんを助けようと思って、本当に……死にかけだから」
伽羅さんは私の部屋担当の小天狗たちが慌てて用意をした布団の上に、那由多を寝かせた。
「死にかけ!? だっ……大丈夫なの!? お医者さんとか……」
死にかけと聞いて、慌てた私に伽羅さんはにやっと笑った。
「俺ら天狗の神通力の回復方法は、時間薬。三日くらい寝てたら、回復するよ」
「っ……良かった。よかったぁ……」
涙を零して那由多の無事を喜ぶ私に、伽羅さんは揶揄うような表情で続けた。
「もし、すぐに回復させたいなら。一つだけ方法あるけど。聞く?」
「え!? うん! 聞きたい!」
そんな方法があったのかと目を輝かせて聞いた私に、伽羅さんは大きく頷いて言った。
「他の天狗から、神通力と一緒に体液貰ったりしたら回復するけど……うん。まあ……那由多も、同性嫌がるだろうし……女天狗とかの、異性とかなら……」
「……それは……」
嫌だ。私は確かに嫌なんだけど、それをはっきりと言ってしまうことに抵抗はあった。だって、私の我儘で、那由多を瀕死のまま置いておきたくないし……。
「……伽羅。もう良いから……出てけ」
私は背後の布団の中から、掠れた低い声が聞こえて振り向いた。
「那由多!」
「……神通力の受け渡しは、俺ら天狗は伴侶以外にはしないから……騙されないで」
伽羅さんに揶揄われたと思い、彼の居る方を振り向こうとしたところで、タンっと襖が閉まる音がした。怒られる前に、要領良く逃げた。
けど、もうそれはどうでも良かった。私は那由多の隣まで行って、彼の大きな手を握った。
「私のために。ありがとう」
「……聖良のためなら、なんでもする」
気が付くと、私たちは自然と唇を合わせていた。身体が動かない那由多は、動いていないはずなんだけど。私には、そうしようとしてそうした記憶はなかった。
それくらい、自然な流れるようなキスだった。触れるだけで終わって、離れれば優しい漆黒の目がこちらを見ていた。
「あの……本当に、凄かった。私、信じられなくて。驚いたよ。あれって、天狗族でも……大天狗でも、あまり出来る人が居ない。それくらい、凄いことだって多聞さんに聞いた……」
天狗族の大天狗と言えば、強大な力を持つがゆえに、広いかくりよでも指折り数えられるほどに恐れられ敬われている存在らしい。彼らは八人居るらしいんだけど、その中でも今日那由多がしたことを出来る人は少ないらしい。
だから、那由多は大天狗の一員になれるくらいの能力を、もう既に身に付けているのだ。いずれ彼は、父親の名である京都鞍馬山僧正坊を受け継ぐんだろうけど、それにしたって……強過ぎた。
「……俺は、もう二度と大事なものを失いたくない。その一心で、神通力を高めた。妖狐族なんて、あれを出さずとも、退けられたんだけど……俺たち三人には、争奪戦参加にあたって、特殊な術式を身に付けている。聖良に敵意ある者に奪われたと、知った時に口が勝手に陀羅尼を唱えていた。やり過ぎだって、怒られたけど……頭に血が上って、もう止められなかった」
愛する人を再び失うと思って、もう止められなかったという気持ちは痛いほどに伝わって来た。どれだけ、過去に愛する人を失って彼が傷ついてしまったのか。その辛そうな目を見れば、理解出来た。
「ごめんね。心配かけて……白蘭さんは、悪くないんだよ。妖狐が現れて危険だと気が付いた時点で、狙われている私が逃げるとか……良い判断が出来れば良かったんだけど……」
あの状況で最善を尽くしたかと言われれば、私は怯えておろおろとしているだけだった。あの状態でもなお守ってくれようとしていた白蘭さんを、責める気持ちにはなれない。
「戦いとは無縁だった聖良には、わからないと思うけど……逃げない方が正解だよ。身を隠す障害物が少ない屋内では、特に相手に背中を向けて逃げない方が良い。白蘭は……まあ。俺も甘やかした一人だと言われれば、同罪だ。女天狗は数も少ないし、幼い頃から知っている妹のようなもので情も湧いていた。叱るべき時に叱れなかった俺たちにも、責任はあるよ」
那由多は、どこか遠いところを見るようにして部屋の灯りをぼんやりと見た。そして、私は思い出した。那由多はその身にある神通力を使い果たし、本当に疲れているのだ。
まったく気遣いの出来ていなかった自分を恥じて、私は彼のさらりとした黒髪を撫でた。
「うん……じゃあ、もう寝る?」
そう言った私に、彼は珍しく甘えるようにして言った。
「……一緒に、寝てくれるなら」
「良いよ」
頷いて微笑んだ私を見て、那由多は安心したかのように瞼を閉じた。
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