第17話「看病」

 そして、翌日。私は、見事に風邪を引いてしまった。


 暖かくなる季節だとは言え、川に落ちて空を飛んで一目散に帰り、すぐにお風呂に入ったとは言え、身体は芯から冷えてしまっていたのだと思う。


 相模坊さんの居城は当たり前の事だけど、和室ばかり。なので私はお日様の匂いのするふかふかのお布団に入り、ぐったりして寝込んでいる。


 甲斐甲斐しくお世話してくれる優しい小天狗さんは、何かあればすぐに備えられるようにと、部屋の中で待機してくれるとは言ってくれた。


 けど、悪い人ではないとはわかりつつ、どうしても部屋の中の気配が気になった。自分の部屋に家族ではない人が居ると落ち着かないからと言って、本来の持ち場へと帰ってもらった。


 寝ている間にも、日は暮れてもう夕方だった。本来白いはずの障子は、赤い光に染め上げられている。


 頭がぼーっとして気怠い身体をゆっくりと起こした私は、水を飲んではあっと溜め息をついた。本来だったら、今日こそ那由多さんの番だったからだ。


 彼と二人で話すのは凄く緊張するのに、とても楽しみにしていた。あっという間に、時は過ぎてしまったはずだ。


 部屋の空気を入れ替えをしようと思ったのは、ほんの思い付きだ。


 なんとなくでゆっくりと障子を開いて、私は思わず息をのんだ。最近、扉を開いて驚いてばかりな気もするんだけど、それは仕方ない。本来何もない場所に続く障子を開けて、人が居ると普通ならば思わない。


「那由多さん……」


 呟くように彼を呼んだ私の声に、瓦の上に座っていた那由多さんは気が付いて振り返り微笑んだ。


「……少しは、良くなったか?」


 外気は確かに予想した通りにひんやりして、肺に入れば心地よかった。部屋の中で淀んで停滞していた空気が、部屋の外へと逃れていく。


「いつから、こんなところに居たんですか? 言ってくれたら良かったのに」


 那由多さんが飛行出来るほどの大きな翼を出すことの出来る天狗だとしても、その場所はとてもじゃないけど、寛ぐことなど考えられないかなりの高度があった。


 もし万が一何かの拍子に落ちてしまったらどうしようと、思わず恐怖を感じてしまうほどに。


「いや……知っているだろう。俺の方から訪ねるのは、掟ではご法度だ。だが、聖良さんが自分で障子を開ければ、そこに俺が居たのは偶然で仕方ないと思うけど」


「早く……部屋の中に、入ってください。私が部屋に招き入れる分には、良いんですよね?」


 私の言葉を聞いて那由多さんは少しだけ迷ったようだったけど、ゆっくりと頷いて窓から部屋へと入った。


「風邪はもう良いのか?」


 那由多さんは私が出して来た座布団に座ったものの、所在なさげに困った顔をしている。


「今日は一日中、ゆっくり寝られたので。もう……あんな所に居て、寒くなかったですか?」


 私は専用の鈴を鳴らして、小天狗を呼んだ。彼は思いもしなかったのか部屋の中に居る那由多さんを見て、一瞬固まったものの私に温かいお茶を持ってきて欲しいと言われて慌てて去って行った。


「すまない。怒らせるつもりは、なかった」


 口調が強くなっていることに気が付いたのか、那由多さんは誤解して足を組んで頭を下げた。


「誤解しないでください。そうじゃないです……あんな、高くて寒いところで……私を、待たないでください」


「悪かった」


 想いが昂って私が声を震わせてしまったのに、気が付いたのか。那由多さんは立ち上がりかけた。


 けど、優秀なさっきの小天狗さんは、私の言いつけ通りにすぐに温かなお茶を持って入って来てくれた。


 慌て過ぎて、何もない畳の上でこけそうになっているのが可愛い。


「ありがとう……また、何かあったら呼ぶね」


 小天狗さんは、チラッと那由多さんに目配せしてから、お辞儀をして去って行った。


 あんな寒くて高い何もない所に彼がたった一人で長い時間居たという紛れもない事実や、それをどこか嬉しく思ってしまう気持ちがせめぎ合い心の中は複雑だった。


 むすっと拗ねたような顔になってしまった私は、小さな丸机の上にお茶を出すと、那由多さんは俯いていた。


「気分を悪くさせてしまい、すまない。風邪を引いて寝込んだと聞いて、居てもたっても居られなかった。今日は一族の仕事については元々休みを取っていたし、何をすれば良いかわからなかった」


 それも、そうだった。彼は私と会うはずだったんだから、丸一日何の予定もなかったはずだ。手持無沙汰だったと言われてしまえば、それは不慮の事態だったとは言え風邪をひいてしまった私に全責任がある。


 そう理解しているのに、そんな彼を自分が寂しい想いにさせてしまっていたことがただ悲しかった。


「……今まで、そういう時って何をしてるんですか? 趣味とか」


 ぽつりと尋ねた私に、那由多さんは予想もしていなかった言葉だったのか片眉を上げた。


「何してたのかな……何してたか、忘れた」


 要領を得ない彼の言葉を聞いて、私はますます難しい表情になったんだと思う。彼が慌てたように、こう言ったから。


「いや……そうではない。言葉に弊害があった。それを、忘れた訳ではないんだけど、聖良さんと居る時ほど楽しくない。だから、少しでも傍に居たかった。気を悪くさせて……すまない」

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