第34話「塗り替え」

「聖良さんが、これから何をしたいかは……僕にもなんとなく理解出来る。けど、前世の君に対し、九頭竜が何をしたかは覚えているよね?」


 戦いの音が鳴り響く中で、多聞さんは確認するようにして私に穏やかな声音で聞いた。


 荒ぶる九頭竜を鎮めるために舞を踊った前世の私は、あの時に産まれて初めての調伏に失敗した。そして思いも寄らぬ事態に焦ったその時、何もかもの対応が遅れて……。


 あの時に、天狗族は失敗した時の対処法も用意してくれていたのに、それも発動することも出来なかった。自分が生まれ持った素晴らしい能力への驕りが、そうさせてしまったことは、今ではもう理解はしていた。


「ええ。わかっています。今回は絶対に絶対に……失敗しません。あの時と違う舞ならば、もしかしたらとあの時思っていたんです。だから……今回は」


「とは、言ってもね……正直に言えば僕だって、君の話を聞いていても未だに半信半疑だ。完全に戦闘状態に入っている九頭竜相手に、確率の低い冒険は……出来ない」


 多聞さんは言葉を選ぶようにして、そう言った。


 その意見は尤もで、私にだってすんなりと理解できるものだ。彼はもう一度あの悲劇が起こるくらいなら。天狗族に多少の被害を受けたとしても、狙われている私は何処かに身を隠して出て来て欲しくないと思っているのだろう。


「けど……那由多は、きっと……再びまみえた九頭竜を前にして、本気で怒ってる……だから、彼は絶対に引かない。それは、私は一番にわかっています。愛情深くて、二度目は耐えられないと、そう言っていたから」


「もし。そうなら……僕が、あいつを昏倒でもさせてでも、ここから連れ出すよ。力を使い過ぎてしまえば、それは簡単に出来るだろう。那由多は、まだ本調子じゃない。あんな状態で戦場に出したくはないが、あいつの気持ちを思えば……僕たちもなにも言えなかった」


 多聞さんは、私の申し出に対し渋っている。


 またあんな悲劇の二度目があればと……そうやって心配してしまうのは、仕方ないことだ。私はかくりよに来てから、彼からも周囲からも何度も何度も聞いた。


 前世の私を目の前で喪うことになり、そんな彼がこれまでの間どれだけ苦しんで来たかを。


「多聞さん。お願いします。これから。私も那由多も。二人が前に進むためにも、これは必要なことなんです」


 多聞さんは、はあっと大きな溜め息をついた。


「……那由多の神通力だって、無尽蔵じゃない。大きな術を連発しているから。そろそろ……底を尽くだろう。僕は、もうすぐあいつを連れ出す頃合いかと思っていた。聖良さん……君はどうしたい?」


 那由多が抱えている、変えられぬ過去の記憶や何処までも追い掛けて来る悪夢。記憶を取り戻した私はこの九頭竜の襲来が、それを塗り替えられる良いチャンスかもしれないと思ったのだ。


 もう私は、何も知らない世間知らずの舞姫なんかじゃない。現世ではなったばかりだけど社会人だし、決して思い通りにならぬ世の無常も知った。


「私を、九頭竜が向かう岸へと置いてください。そこで、前世の私がしたかったことをします」



◇◆◇



 私が九頭竜を見上げた時に、那由多は狙いの私がこちらへと向かって来た頭を懸命に退けていた。私が見てわかるくらいに、彼はぼろぼろになって可哀想なくらい疲弊していた。


「那由多! 那由多、良いから! もう、逃げて! 九頭竜は、私だけが目的なのよ!」


「嫌だ!! もう絶対に、死なせたりしない」


 那由多の悲痛な叫び声は、遠いところにまで響いた。


「……完全に、あれがトラウマになってるな。そりゃあ、無理もないけど」


 伽羅さんは私を地面へと下ろしてから、那由多の様子を見て大きく息をついた。


「普通なら、あれだけ神通力を失えば他に任せて引くべきところではあるんだが……これは完全に周囲が、見えなくなっているね。聖良さん。なんとかなりそう?」


「はい。二人がこうして傍に居てくれて、凄く心強いです。それでは、私から少しだけ離れて貰って良いですか?」


 舞を踊るための舞台を開けて欲しいとお願いすれば、二人は顔を見合わせてから、私に向けて優しく微笑んだ。


「出来れば僕の花嫁にしたかったけど、那由多と前世からの縁だったとは。付け入る隙もなさそうだ……次の争奪戦は何年後かな。僕だって、結婚したい」


「多聞は妬まれるくらい人気あるんだから、女天狗と結婚すれば良いだろ。あ。白蘭はダメだ。わかってるとは、思うけど」


「白蘭と結婚する気があれば、もうしてるよ……伽羅も片付けば、僕が取り残されるなあ……寂しいことだ」


 話しながら私から距離を取る彼らを横目に、私はいつもの舞台前のように集中をしていた。九頭竜を鎮めるために踊るのは、私が現世で学んだ日舞のような踊りではない。神社で奉納される神楽舞の元となったような、そんな踊りだ。


 九頭竜の力を侮っていた前世の私は、いつもと同じようにただ舞っただけだった。けれど、今なら理解出来る。そんな生易しい舞で鎮められるような軽い存在ではなかった。


 だから、今回こそは絶対に失敗しない。

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