【幕間】彩芽とカナタのモノガタリ

彩芽語り

第31話

 目を開け見えるのは空。

 体を横たえるのは大地。


 離れた先にある神を祀る宮。

 私を隠すのは木々の群れ。

 に連れてこられてからの日々。

 あるのは望みもしない、人々の称賛と祈りの声を聞き続けること。



 ——生き神様、我らにご加護を。


 ——どうかこの土地に、安寧と繁栄をお与えください。



 生き神様。

 生き神様。


 我らを護りたまえ。



「生きた神様。……私が」


 何故そう呼ばれなければいけないのだろう。

 他の人とは違う姿。

 ただ……それだけで。


 白い髪と深紅の目。

 髪と同じ真っ白な肌の色、それは黄昏時にだけ青みがかったものに変化する。

 生まれ持った体。

 それは家族と町の住人に恐怖を呼び寄せた。


 ——この子を誰にも見せてはいけない。私達は災いを呼び寄せた。この子は……呪われている。


 私を異形の者とみなし、蔵の中に閉じ込めた両親。与えられたのは、少しだけの食事と薄汚れた衣。外に出るのを許されたのは、朝、昼、晩の排泄と夕刻の入浴時。

 話し相手がいなければ遊べるものもなかった。

 ほしかったものを与えられることもなく。

 誰もが生きながら、与えられるはずの愛情と名前。私はただ……という存在でしかない。


 食べなければいつかは命尽きる。

 私が死んでも誰ひとり泣く者はいない。


 これを最後に食べるのをやめてしまおうか。


 食べずにいれば、いずれは死が訪れる。

 痛みも苦しみもなく。

 日々そればかりを考えた。

 それなのに……


「あの雲、おむすびに似てる」


 母様が作ってくれたおむすび。

 塩をつけただけのそれは、与えられたものの中で1番のご馳走だった。いつかまた、家に帰ったら食べられるだろうか。

 蔵に閉じ込められてもいい、母様のおむすびが食べたい。


 こんなにも食べることを望む。

 生きていくために。

 望みを捨てないのは何故なのか。

 考えずともわかる。


 私は……死ぬのが怖いんだ。


 死ぬのは嫌。

 楽しむことを知らないままに。


 いつかは父様と旅をしてみたい。

 母様と肩を並べておむすびを作れたら。

 それに……友達がほしい。

 いっぱい遊んで、おむすびを半分ずつ食べる。


 いつかは叶う時がくる。

 何度も自分に言い聞かせた。


 願いが私を生かそうとする。

 生きるために食べなければ。


 いつの日か……父様と母様に愛されるために。

 そして、かけがえのない友達と出会う。



 響きだした男達のざわめき。

 私を探してるんだ。


「いたか? 小娘は」

「何処にもいない。行くあてはないんだ、町へは出てないと思うが」

「小娘が、何が不満だと言うのか。不自由なく暮らしてるというのに」

「夕刻までに見つけだせ。町の者が神と崇める時までに。……あれは、そのためにだけ引き取られた」


 苛立たしげに男達は話す。

 顔を合わせれば、にこやかに笑って私を持ち上げるくせに。


 不自由はない代わりに、望みもしないことばかり。

 私は神様じゃない、他の人と姿が違うだけ。

 それに食べたいのは母様が作ってくれるもの。

 ここで出されるものが美味しくても、私にとっては生きるための糧でしかない。

 少しだけの食事でも、母様のものが……何よりも。



 ガサッ

 ザザ……



 木の葉が音を立てた。

 気のせいかな、風は吹いてない。体を起こし音がした所に目を向けた。


「……鹿?」


 信じられない気持ちで呟いた。

 現れたのは鹿。

 大きな金色の角、真っ白な毛の。


「君、綺麗な毛ね」


 気のせいかな。

 鹿がうなづいたように見えた。


「私の髪と同じ色、お揃いだよ」


 コクリと頭を下げた鹿。

 やっぱりうなづいたように見える。私が言っていることがわかるみたいに。

 ちょっとだけ期待する。

 本当に、私の言葉がわかるなら。


「君はわかるの? 私が言ってること」


 はっきりと鹿はうなづいた。私を見る目が親しげな光を宿す。


「わかるのね? 本当に……君は」


 トクリと弾んだ心。

 なんだか、夢を見てるみたい。


 ゆっくりと鹿に近づいた。

 怖がらせないように、笑みを浮かべて。


「ありがとう、ここに来てくれて。嬉しいな……私、ずっと……ひとりだったから」

「ボクも」



 トクリ



 心がまた音を立てた。

 鹿が答えてくれた気がする。

 嗄れた声、よく聞き取れなかったけど。

 私が首を傾げると鹿は口を開いた。

『ボクもひとり』だと。

 やっぱり夢を見てるんじゃ。こんな不思議なことが起こりっこない。


「君はボクと同じだ」


 鹿は語った。


「ボクの体の色、ボクが喋れること……どうしてだと思う?」

「さぁ」

「君は考えたことがある? 自分の体の色が、他の人と違うのはどうしてなのか」

「ううん、何も」


 考えてもこの姿を変えることは出来ない。変えられないならわからないままがいい。


「ボクは人の願いが形になったものなんだ」


 ……願い?


「町に住む人達、彼らが願う安寧と繁栄。それは長い時を経てボクを生みだした。ボクはこの町の護り神なんだよ」

「護り神……君が?」


 木々が風に揺れる。

 暖かな春、なのに私達を包む風はやけに冷たい。空に響く鳥のさえずりすら重く感じる。

 陽が照らす金色の角。

 艶やかに輝く真っ白な毛。私を見上げる凛とした目の輝き。

 まさか……本当に?


「君にはわかるの? どうして私の体は……他の人達と違うのか」

「運命のいたずら。願いと逆のものを、君は背負わされたんだ」

「どういうこと?」

「人は時に負の感情を抱く。妬み、憎しみ、嫉妬……それらは稀に、ひとつの命となり人として生まれてくる。君の体は負の象徴なんだ」

「そんな……私は」


 誰も憎んでない。

 望むのは少しだけの幸せなのに。


「私はただ、母様のおむすびを。父様と母様に愛されて……それから」


 友達を作りたかった。


「私は……私は」

「ボクも同じだよ。何もいらなかった、思うままに大地を駆ける以外には。仲間達はボクを恐れ離れていく。ボクは……仲間達と同じ姿で生まれたかった。同じなら一緒に遊べるのに」


 この鹿は私と同じだ。

 ひとりで寂しくて……それでも願いを秘め続けてる。


「君の名前は? 私は……ううん、名前なんて私にはなかったんだ。ごめん、馬鹿なこと聞いちゃった」


 私には何もない。

 ひとつでも教えられる何かがあればいいのに。


「あやめ」

「え?」

「浮かんできたんだ。あやめって名前はどうかな?」

「うん、それって……どんな意味があるの?」

「鮮やかな彩りの芽吹き、それの彩芽」

「芽吹き……彩芽」



 トクリ



 心が音を立てた。

 ずっとほしかった名前。


 彩芽……私は彩芽。


「彩芽、ボクにも名前をくれる?」

「私が? 考えていいの?」

「彩芽はボクと同じ。ボク達は友達だよ」



 トクリ

 トクリ

 


 心が弾む音を立てる。

 私を友達って言ってくれた。

 夢でもいい。

 幸せな夢、ずっと……覚めないで。


「なんでもいい? そうだな、カナタはどう?」

「それが、彩芽がくれる名前?」

「うん、気に入ってくれたら嬉しいな」


 カナタ。

 私の初めての友達。


 願い続けた日々の中、遠い彼方からやってきた。



 幸せな……奇跡。

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