黄昏の契り、闇の誘(いざな)い
第30話
彼と高瀬さんが泊まりだしてから数日が過ぎた。
たわいのない話で盛り上がる食事の席や、チロちゃんの可愛さに癒されるひと時。沙月爺が作ってくれるご飯をチロちゃんは楽しみにしてるみたい。
なんだか、沙月爺がチロちゃんの飼い主みたいだな。
お店に顔を出せば玲香さんがいる。ふたりが泊まりだした他は、いつもと変わらない時が過ぎていく。
そんな中、彼からの返事を待っている私。
「浮かない顔ね? あずささん」
悠華さんが微笑む。
今日も彼女は黒いドレスを纏ってる。ドレスに隠された胸の間で、妖魔は私を見てるんだろうな。ひとつだけの目をギョロギョロさせながら。
訪れたオカルト研究会。
テーブルに並ぶティーカップ、窓のそばで本を読んでいる悠斗さん。
悠華さんに会おうと思ったのは聞きたいことがあったから。
彩芽という少女は何者なのか。
それと、カナタと呼ばれる真っ白な鹿のこと。
彼らに何があったかを知りたい。
「私が話してもいいけれど」
悠華さんはコクリとミルクティーを飲む。
「あなたは知ることになるわ。もうすぐ……あなたに訪れる幸せが導く形でね」
「いつですか? どんなふうに?」
「もうすぐだと言っているでしょう。面白い人ね、あなたは」
クスクスと悠華さんは笑う。
「未来を知ること、怖いんじゃなかったの?」
「それは」
ミサキに連れられて訪れたオカルト研究会。
あの時悠華さんに言ったっけ。未来を知るのは怖いことだと。
「そんな顔をしないで。変わっていくものよ、人の想いも考えも。それによって生き方も変わっていく」
「そう……ですよね」
私が出会った人達、みんながそうだ。
喜びと悲しみを交差させながら。足掻き……もがきながらも歩み続けている。
本を閉じる音と『悠華』と語りかける悠斗さんの声。
「彼女を帰す頃だろう。もうすぐ訪れる幸せな時、それは今日のことなんだから」
「えっ⁉︎」
思わぬことに動揺する。
まさかとは思うけど、悠斗さんが知ってるってことは。
「あずささんが考えたとおりよ。お兄様と話しているの。あなたに訪れる幸せ、それは……夢物語の鍵が開くことでもある」
「それって」
彼の復讐が近いってこと?
そんなこと言われたら幸せでも喜べない。
妖魔と刺し違えても。
妖魔が死なないなら、同化した彼も生きている。
だけど……
「彼の復讐、妖魔が死んでしまったら。彼も……道連れになるんですよね」
「死なないわ。復讐を遂げたあとも、霧島愁夜は生きている」
「ほんとですか?」
「嘘をつく理由が私にあると思う? さぁ、今日のお茶会は終わり。次に会うのを楽しみにしているわ」
ふたりに見送られ、オカルト研究会をあとにした。
ざわめきに包まれた廊下を歩く。
考えるのは悠華さんが言う幸せがなんなのか。ほっとしたことは、妖魔への復讐が彼の死には繋がらないこと。
「いらっしゃいませー‼︎ カレーコロッケ揚げたてですよー‼︎」
千代おばさんの店は今日もお客さんで賑わってる。神坂食堂から流れてくる美味しそうな匂い。
私の足を止めたのは彼。悠幻堂の店先にひとりで立っている。私に気づくなり彼が近づいてきた。
「一緒に来てもらおう」
「これから? 何処に行くんですか?」
「来ればわかる」
何処に行くんだろう。
家の跡地、それとも……蒼真君のお屋敷?
「タクシーを待たせている。早く来るんだ」
「あの、高瀬さんは?」
「飼い犬を連れ外出だ。四六時中、彼といる訳じゃない」
私達が近づくなりタクシーのドアが開いた。
彼のあとを追って乗った後部席。走りだした車内で、彼は窓の外を見つめている。
町を包む秋めいた風。それでもまだ暑い日は続いてる。コートで身を包む彼を、運転手はどう思っているだろう。頬にある生々しい傷痕も。
「霧島さん、好きな季節は?」
返ってくる声がない。
彼がそっけないのはいつものこと。話したいことを頭の中で整理する。
「私は春が好きです。桜が咲くのが待ち遠しくて。東京の桜も綺麗なのかな。来年も再来年も……一緒に桜が見れたらなって思うんです」
窓の外の知らない町並み。
彼が何処に行こうとしてるのか。わからないけど私を連れてってくれる。少しだけは、心を開いてくれたんだよね。
タクシーが止まったのは、住宅地から離れた空き地のそば。
空き地の隅に見える木造の小屋。タクシーが走り去ったあと、彼は空き地に足を踏み入れた。ついて来いとでも言うように振り向いた彼。すぐにあとを追いかけた。
彼は何も言わず小屋に近づいていく。
「霧島さん、ここは」
「妖魔を解放する少し前、瑠衣と足を運んだ場所だ。あの小屋は圭太と見つけた秘密基地」
そういえば、この景色見たことがある。
どこだっけ……そうだ、妖魔の中で見ていた夢。
瑠衣ちゃんに出会った場所だ。
——あずささん、お兄ちゃんをよろしく。
瑠衣ちゃんの可愛らしい声が私の中を巡る。
彼が戸を開けるなり、埃の匂いにむせかえった。
室内に散らばるガラクタ、ひび割れた窓ガラス。彼は気にする様子もなく入りコートを脱ぎ捨てた。
「僕が知る限り、変わっていないのはここだけだ」
壁にもたれ座り込む、彼が見上げるのは窓ガラス。
「ここで瑠衣に歌を教えた。瑠衣と一緒に見たガラス越しの黄昏。あの時は考えもしなかった、家族が妖魔に喰い殺されるなど」
もうすぐ訪れる黄昏時。
一緒に見れるかな、色鮮やかな金色の空を。
彼に近づきゆっくりと座り込む。
「嬉しいです、少しずつあなたを知れることが。私のことも……知ってほしいと思います」
ガラクタの中に見つけたロボットのおもちゃ。そばに落ちたいくつかのパンの空袋。
「大学で悠華さんと話しました。妖魔への復讐が、あなたを死なせることはない。そう言われ安心したんです」
「死なない。……そうか」
噛み締めるように彼は呟いた。
「東京に行ってからの日々、僕はひとつの恐怖を抱き続けていた。妖魔がいつ僕の心臓を潰すのか。殺されるのは今日か明日なのか……それだけを考えた日々。だが妖魔が僕を殺すことはなかった。殺すどころか、僕を待ち続けてるとは」
「高瀬さんが言うとおり、霧島さんを友達だと思ってるんですね。友達の存在って大きいんですよ。私にもいます、子供の時からの仲良しが。彼女は言ってくれました、私が最高の友達だって。あなたにとっても圭太さんは」
「そうだな、圭太はずっと……僕の帰りを待っていてくれた」
彼の顔が、微かな柔らかみを帯びた気がする。
「常に死を感じていた。未知のものへの復讐、果たしても死ねば終わりだと。そうじゃないなら……少なくとも、生きられる未来があるなら」
強い力に引き寄せられた。
私を包む温かな感触。
彼の……腕の中にいる。
金色に染まった窓。
訪れた黄昏時。
「変わっていない場所。時を止めたここから、始めていける何かがある。君は本当に……僕を受け入れてくれるのか」
ゆっくりと手を伸ばした。
彼を、抱きしめるために。
「後悔しないか? 僕は……化け物も同然の」
何も言わずうなづいた。
後悔の理由なんてない。
彼のすべてを受け止める……そう決めたんだから。
「君の気持ちを確かめようとここへ連れてきた。ここでなら僕は、僕を取り戻せる……そんな気がしたんだ」
彼の手で露わになった私の肌。彼の胸元に伸ばした手。シャツのボタンを外していく。
体を寄せ合い、もつれるように倒れ込んだ。
埃の匂い。
肌が感じ取る床の冷たさと彼の重み。
「君は温かい」
呟いた声のあと、落とされた唇が首筋を這う。
窓越しに私達を照らす黄昏の光。
「綺麗だ……あずさ」
彼が私を呼んだ。
甘く響いた囁き。
それは私を弾かせ甘美な時へと
彼にすべてを捧げ
彼のすべてを受け入れる
私のすべてを晒し
私のすべてを乱れさせる
彼の背中に腕を回し、なぞる手に力を込めた。
微睡みから覚めて、聞こえるのは彼の息使い。
窓越しに室内を照らす月の光。
彼と肌を重ねる中、私の中に響きだした少女の声。
微睡みの中見えていたもの。
少女の名は彩芽。見えたのは、彼女と
彼の体、斑点の群れが……すべてを私に見せた。
悠華さんが言ったとおりに。
胸の傷痕を指でなぞり、口づける。
彼のすべてが……愛おしい。
「夜になったのか」
目を覚ました彼が私の髪を撫でた。
私達を包む埃の匂い。喉の渇きと、体に残る愛された
「喉が渇きませんか? 飲み物、冷たいものしかないんですけど」
「それでいい。君が僕を温めてくれた」
「ちょっと待っててください。服を着たら渡しますから」
微かな月明かりを頼りに服を着る。
今何時だろう、帰りが遅くなったら怒られるかな。
悠華さんが言った幸せは、彼とひとつになれたことだった。それは同時に……悠華さんの夢物語の鍵を開ける。
怖いことはない、彼が死ぬことはないのだから。
私に出来ることは、彼のそばで……
「霧島さん、これ」
ズズ……
ゴボリ……
不気味な音が響いた。
私のすぐ近くから。
彼に差し出したペットボトル。
私の手に何かが巻きついた。
這いずり、私を飲み込んでいく何か。
この……感触
「……妖」
月明かりが彼を照らす。
私に向け……伸ばされた手。
「あずさ‼︎」
彼の叫びと私を引きずり込む強い力。
闇の中、私は見ていたものを思いだす。
妖魔を生みだした彼らの記憶。
彩芽とカナタのモノガタリを。
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