第29話
彼と白夜さん。
黒と白の同じ姿のふたり。
彼らには絶対に繋がりがある。それなのに……白夜さんが何も思いだせないのはどうして?
「沙月さん」
彼が口を開いた。
「僕に起きたこと、決着をつけるのは僕自身です。僕がいなくなれば、妖魔がここに興味を持つことはないでしょう。僕は今日中にここを出るつもりです」
「霧島さん、そんな」
彼が私に向け開いた手、それは呆気なく私の声を封じ込めた。私に向けられた目、それさえも私を黙らせようとする。
「そのまま君は、復讐に向け動くつもりか? 妖魔に勝てる見込みは」
「いいえ、何も」
「やれやれ」
呟きながら沙月爺はお茶を飲む。
『おかわりを』呟いた玲香さんがお母さんを連れ出て行った。
「妖魔は恐ろしい未知の存在です。出来ることがあるとしたら妖魔と刺し違えること。僕の心臓は……妖魔に奪われています」
「え?」
思わず声が漏れた。
奪われたってどういうこと?
妖魔の中に……彼の心臓が?
「刺し違えたとしても、妖魔が生きてるなら僕は死にません。心臓を奪われたことで、僕は妖魔と同化しているんです。妖魔にとって僕の復讐は、滑稽な見せ物かもしれない。それでも僕は、家族が味わった痛みを……この手で」
「霧島君、蒼真は君を友達と呼んだ。兄としてこれだけは言える、蒼真の気持ちに嘘はない。君は蒼真の初めての友達なんだ。……蒼真は板挟みなんだよ。友達を想う気持ちと、妖魔を受け入れた現実の間で」
——僕をわかってくれるのは、蒼波兄様と悠華だけ。
蒼真君の声が私の中を巡る。
悠華さんの中で、蒼真君は聞いてるのかな。
私達が今話してることを。
どんな気持ちで……耳を傾けてるの?
「僕は蒼真のような存在が2度と現れないことを願ってる。だから知りたいと思った、妖魔を生みだしたものがなんなのかを。それを知ることで、霧島君の手助けになるかもしれない」
「高瀬さん、あの」
「どうしたの? あずさちゃん」
話さなきゃ。
車の中、彼に触れ見えたものを。
少女の声と真っ白な鹿のことを。
「高瀬さん言ってましたよね。妖魔が生まれたことには、彩芽という少女と動物が関わってるって。動物は鹿だと思います」
「どうしてそう思うんだ?」
「見えたんです、車の中で。……霧島さんの」
私にもたれかかった彼の感触。
思いだすだけで胸が昂ぶる。
「眠っていた霧島さんの、体にぶつかった時」
「ぶつかった?」
高瀬さんの声が上ずる。
「あれは違うよ、君にもた」
「ぶつかったんですよっ‼︎ 私がっ‼︎ カーブの反動だったり、その……高瀬さんの運転が」
「僕が運転下手みたいな言い方だなぁ。まぁ、そういうことにしとこうか。一応はね」
高瀬さんが眼鏡をかけ直したの、私の慌てっぷりに呆れたから?
お母さん達が入ってきた。
持ってきた急須とポット。
ふたりは手際よく、湯呑み茶碗にお茶を注いでいく。
「で? なんで霧島君にぶつかって見えたのかな?」
「そんなのわかりません。だけど見えたのは……リアルなものでした」
「あなた達、なんの話をしてるの?」
玲香さんが問いかけてくる。困ったな、こんなの答えようがない。
「あずさちゃんが変なことを言いだしてね」
高瀬さんってば。
変って言い方……運転下手の仕返し?
「霧島君にぶつかって幻が見えたらしい。恋はナントカって言うからなぁ」
「呆れた、あなたは何も知らないのね。弟思いのお兄さん?」
「何かを知ってるような言い方だな、新米従業員さん」
「知ってるのは当然だろう。僕達の中、彼女は誰よりも妖魔に近い場所にいるのだから」
「確かにね、そのとおりだ沙月さん」
高瀬さんはうなづいた。
「君がいなければ、妖魔に近い存在は僕と霧島君のはずだった。妖魔の見張りともなれば、知らないことはないはずだ」
「あずさちゃんを変だと言った、あなたの役に立つつもりはないけれど」
玲香さん、私の味方してくれた。
やっぱり、お姉さんみたいな人。
お茶を淹れ直すなり、白夜さんと話しだしたお母さん。私達の話についてくるの諦めちゃったみたい。
「霧島愁夜、彼の体にあるはずよ。あずさちゃんに何かを見せたものが」
「……これのことか」
彼の手で外されていくシャツのボタン。はだけた服の中、見えだしたのは彼の胸元。抉られたような傷痕と……黒い斑点の群れ。
——僕がいた証。愁夜さんと同じもの……ほしい?
蒼真君が言ったことを思いだした。
彼の体にある
「
「それじゃあ、もしかして」
玲香さんの話はひとつの可能性を呼んだ。
白夜さんの記憶。
彼に触れることで呼び覚ますことが出来るんじゃ。
「……霧島さん」
彼を傷つけたままなのは頬だけじゃなかった。胸元の傷痕……あれは、心臓を奪われた時の。
今日中に出て行くと彼は言った。
向かう先で見つかるのかな、彼を温め傷痕を包み隠せる何かが。
行かないで。
私が出来るだけのことをするから。
行かないで。
何があっても……私があなたを守るから。
どうか……
「霧島さん、行かないでください。……何処へも」
私の声が沈黙を呼んだ。
みんなが私を見てる。
なんだか不思議。
こんな時、いつもなら動揺してる。
恥ずかしくて、照れ臭くて……誤魔化すのに必死になるのに。今の私はこんなにも落ち着いてる。
だって……彼がいなくなるのを考えただけでゾッとする。彼がいなくなったら、落ち着いてなんていられない。
「復讐を遂げるまででもいい。ここがあなたの居場所、帰る所でいいと思うんです。どうして……自分から、ひとりになろうとするんですか」
「沙月さんに言ったとおりだ。僕に起きたこと、決着をつけるのは僕自身。他になんの理由がある」
「誰ひとり、傷つけたくないから。あなたをひとりにさせようとしてるのは……あなたが秘める優しさです」
まっすぐに彼だけを見た。
みんながどう思おうと、彼にどう思われようと構わない。私は受け止めたい……彼のすべてを
「そばにいさせてくれませんか? あなたのために出来ることをしたいんです。何処へも……行かないでください。私は」
息を止め、精一杯の想いを込める。
ゆっくりと、息を吸い込んで……
「叶うなら、あなたに愛されたいです」
力が抜けていく感じ。
もう……彼の顔を見られない。
一生分の勇気を使い果たしちゃった。
これ以上のこと何を言えるだろう。
この他に……彼を引き止める言葉なんて思い浮かばない。
「どうするんだ? 霧島君」
高瀬さんの声がやけに遠く感じる。
みんなのざわめき。
何を言ってるのかよくわからないな。
「あずさちゃんがここまで言ってくれてるんだよ? 簡単には言えないよね、出て行くなんて」
彼はどう思ってるだろう。
知りたいのに……知るのが怖い。
「僕の育て方が悪かったのかもしれないな。東京で暮らす日々、君は誰にも甘えることが出来なかった。少しくらい甘えてもいいんじゃない? せっかく休暇を利用して帰ってきんだからさ。あずさちゃんは甘えさせてくれるよ。沙月さんとお母様が、どこまで許すかわからないけど?」
高瀬さんの言い方。
アドバイスなのか茶化してるのかどっち?
なんか……気まずい言われ方をされた気がする。
「さて、僕は高瀬君の腹を膨らませる準備をしようか。桔梗さんに頼むとしよう。神坂食堂でのみ、注文に制限はない。あずさの気持ちにも制限はなさそうだな」
「お爺さんったら、あずさを話の種にしないでください。まぁ、天国の主人が喜んでるなら私も」
沙月爺もお母さんも、高瀬さんに感化されてない?
彼はどんな顔で……駄目、恥ずかしくて見られない。
「あずさってば、それほんと?」
講義が終わってすぐ、ミサキの大声が私を包む。
「いつまで? 霧島さんがあずさの家にいるの」
「わからない、でもしばらくはいるんじゃないかな?」
彼の滞在が決まった。
高瀬さんとチロちゃんも一緒に。
滞在を決定づけたのは私の告白じゃなく高瀬さんの軽口だった。
——霧島君は宿泊先を探すのが面倒みたいだし、ここで世話になるのがいいと思うんだ。夜這いを進めるほど僕は寛大な保護者じゃない。人に頼れる有り難みを感じてほしいだけなんだよ。ということで沙月さん、少しの間世話になります。
あの時の沙月爺の呆れ顔ったら。
「占い大当たりだねあずさ。漆黒の姫君に足を向けて寝られないや」
「そうだね。ありがとう……ミサキ」
嬉しそうなミサキを前に胸がときめく。
私にとって彼は大切な人。
心から……誰よりも。
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