第28話

 冷ややかな目とこわばった口元。

 想像も出来なかった、高瀬さんが……こんな顔をするなんて。


「沙月さんが言うとおり、私は弟の仇よ」


 告げられたものが高瀬さんを揺り動かす。


 怒り。

 憎しみ。


 それはひとつの衝動に向かうだろうか。

 彼と同じ……復讐へと。


「あずさ、どういうことなの?」


 お母さんの不安げな顔。

 私に触れる手がガタガタと震えている。


「仇ってなんなの? あずさ、玲香さんは……お客様は何をするつもりなの」

「ごめんなさいね、お母様。貴女を困らせるつもりはないのよ。……悲しませるつもりも」


 お母さんに向けられた声。

 それはいつもと変わらないもの。 


 優しくて親しげな。

 私が大好きな……憧れのお姉さん。


「玲香さん」

「あずさちゃん、悪いけど黙っててくれる? 私は彼と話さなきゃいけないの。過去のことと、これからのこと」

「告げるつもりか、綺麗事を」


 吐き捨てるような声。

 それは高瀬さんの怒りを物語る。


「高瀬君、まずは落ち着いてくれ。君にとって彼女は憎むべき人間だろう。一族の者、彼女が君の弟を死に導いた。だが今は……悠幻堂の従業員なんだ」


 私達を見回す白夜さんのそばで、彼は何も言わずお茶を飲む。

 顔色を変えることもなく。


 ——落ち着け。


 彼の声が私の中を巡る。

 今は落ち着かせよう、玲香さんへの嫌悪も疑念も。

 彼を信じて……私はここにいる。


「玲香さん、まずは僕に語らせてほしいんだ。僕が何故君を雇い、共に過ごしてきたのかを。高瀬君、僕と君の仲なんだ……聞いてくれるね?」

「……失敗したな、チロを連れてくるんだった。霧島君を茶化せる空気でもない。僕に出来るのは、話を聞くことだけなのか」

「高瀬さん」

「大丈夫だよ、あずさちゃん。悪かったね、驚かせて。僕が取り乱したのは見なかったことにしてくれるかな?」


 高瀬さんの手が和菓子に伸びていく。

 ひとつひとつを選んで決めたのは大福餅。


「沙月さんが言う朝飯代わりがこれとはね。真夜中の悪夢を打ち消すには力不足だなぁ」

「話し合いが終わったら、美味いものを好きなだけ食わせよう。特別に注文の制限は無しだ」

「約束ですよ? では、話を聞かせてもらいましょうか」


 みんなの目が沙月爺に向けられた。

『どれ』と呟きながらお茶を飲んだ沙月爺。


「彼女が現れたのは数年前、黄昏時だった。客がいない店の中、働かせてほしいと言ってきたんだ。高瀬玲香、名を聞いてすぐに気づいたよ。高瀬君を苦しめた者達、その中のひとりだとね。断ろうとする僕に彼女は食い下がったんだ。何がなんでも果たしたかったのだろう、心に秘め隠した目的を。僕は気づかないフリをして彼女を採用した。仕事を教え、共に働きながら僕は願い続けたんだ。彼女を支配する一族のしがらみ。いつかはそれが……彼女を解放することを」

「玲香さんの目的は……なんだったんですか?」

「決まっているでしょう、妖魔を封印することよ」


 玲香さんが指さした彼。

 深紅のマニキュアがやけに艶やかだ。彼は動じる様子もなく玲香さんを見つめている。


「霧島愁夜、彼が妖魔に与えた自由。私にはそれを封じ込める義務があったの。妖魔の思考を読みあとを追い続けた。姿を変え、隠れ場所を変える。……妖魔の動きは狡猾で、一族への報告を私に許そうとしなかった。再び妖魔を封印する、それだけを考える中気づいたの。一族の中、私を笑い卑下する者達がいることに。見張りという役目を持ちながら、何も出来ない木偶の坊だと」


 玲香さんの顔が影を帯びる。

 ちゃぶ台の上、強く握られた手。


「その時に気づいたわ、私は運命に弄ばれた存在だったんだと。大人達の顔色を伺うまま、高瀬蒼真の存在を密告した。そうせずにいたら今はどうだったのかしら。見張りという役目を隠し、高瀬蒼真が閉じ込められたままだったなら。妖魔として人を喰らうことはなかったかもしれないわね。彼の家族が犠牲になることもなく。あずさちゃんは私を憎む? 彼が家族を殺された元凶は私なのよ」

「……それは」

「あずさ、考えては駄目だ。玲香さん、残念だが起きてしまったことにもしもはない。君がここに来た目的は妖魔の封印だった。今は違うのだろう?」


『そうね』と玲香さんは呟いた。


「和瀬悠華が妖魔を閉じ込めたこと。それは私にとって願ってもないチャンスだった。行方を追わずとも妖魔は同じ場所にいるのだから。妖魔の思考を読む中で、あずさちゃんと和瀬悠華が出会う未来を知ったわ。悠幻堂ここにいれば、妖魔を封じ込める機会があると考えた。ここに来たのは私を蔑んだ人達を見返すため。私のプライドは……少し高すぎたようね」


 玲香さんの手がハンドバッグの中を漁る。

 金属がぶつかるような音。

 取り出されたボロボロの革袋。

 紐をほどき、ばら撒かれた粉々になったもの。

 刃のようなもの、それと……何かの鞘?

 見慣れない、奇妙な文字が書かれている。


「……剣」


 彼が呟いた。

 これ……あの屋敷で探してたもの?

 蒼真君の体を貫いた


「どうして、玲香さんが」


 私の問いかけに玲香さんは微笑む。


「一族が代々使い続けた、妖魔を封じられる唯一のもの。粉々になろうとも力が息づいている。目的を果たすには、どうしてもこれが必要だった。……そのはずだったのに」


 玲香さんの顔に自虐的な笑みが浮かんだ。

 彼女の指が剣のカケラをなぞる。

 鋭利な切先が、指先を赤く染めた。


「玲香さん、怪我を‼︎」


 お母さんの大声が響く。


「手当てしなくちゃ‼︎ お爺さん、私救急箱を」

「いいのよ、お母様。気にしないで」


 お母さんを宥めるように、玲香さんは穏やかに語りかけた。


「ここで働く中、私は考えるようになったの。普通の人間に生まれたかったって。一族のことも妖魔のことも知らずありきたりな日々を過ごす。沙月さんやお母様、あずさちゃんといる時だけは普通でいられる気がした。妖魔を封じ、私を蔑んだ人達を見返す。……抱き続けた目的なんてどうでもよくなっていた」

「……玲香さん」

「あずさちゃん、そんな顔をしないで。ここまでは私の言い分よ。次は彼の番。質問に答えてもらいましょうか、高瀬蒼波さん?」


 立ち上がった玲香さん。私から離れ向かったのは高瀬さんのうしろ。高瀬さんの首すじにあてた剣の切先。


「あずさ」


 お母さんが私にしがみついてきた。

 玲香さんは、何をするつもりなの?


「沙月爺、玲香さんを止めて」


 声が上ずってる。

 ちゃんと……みんなに伝えなきゃ。

 それなのに。


「霧島さん、白夜さん。……誰か、玲香さんを止めなくちゃ」


 体が動かない。

 玲香さんを止めなくちゃ。剣のカケラ……もしも、首を切られたら。

 

「このままじゃ……高瀬さんが」

「大丈夫だよ、あずさちゃん」


 高瀬さんが私に微笑む。

 何が大丈夫なの? 

 どうして……笑えるの。


「僕達は話し合いをしてるんだ、そうだろ?」

「だけど……剣……」


 ちょっとでも玲香さんが手を動かせば。

 高瀬さんの首が


「彼女は言った、僕に答えてもらうって。聞こうじゃなかないか、彼女の質問を」

「理解があって何よりだわ」


 私達を見回し玲香さんは微笑む。

 何を……聞くつもりなの?


「高瀬蒼波さん、あなたは私をどうしたい? どんな答えがこようと、私は言うとおりにするつもりよ。殺したいと思うならこのカケラをあげる。私の首を切り殺せばいいわ」

「玲香さん……そんな」

「私は許されようとは思ってない。だから彼に聞くの、死んでほしいなら死んであげるわ。それが……あなた達を欺いてきた私の償い」

「……玲香さん」


 私に向けた親しげな笑み。

 出会った頃からずっと……大好きな。


「彼女をどうしたい? あずさちゃん」


 高瀬さん。

 そんなこと、どうして私に聞くの?


「私はあなたに聞いているのよ」

「僕の言うとおりにする、君はそう言ったじゃないか。だったらまず、そのカケラを手離してもらおう」


 高瀬さんに言われるまま、ちゃぶ台に置かれたカケラ。鋭利な切先が不気味な光を放つ。


「僕がどうしたいか答えるよ。君にはあずさちゃんの言うとおりにしてもらいたい。……以上だ」

「妙な男、仇を取ることが出来たのに」

「僕は一族とは違うやり方で蒼真の仇を取る。人殺しなんてごめんだ。ひとつだけ聞くが……君は、一族を変えたいと思ってるか?」

「あなたの想像に任せるわ。ひとつ言えるのは、決まりに振り回されるのは……疲れるだけよ」

「なるほど? それじゃあ、あずさちゃんに聞こう。君はどうしたい? 高瀬玲香を」

「……それは」


 お母さんと顔を見合わせ、沙月爺に振り向いた。


 私がどうしたいのか。

 信じよう、お母さんも沙月爺も同じだって。


「これからも、ここで働いてほしいです。お姉さんみたいな人。……ずっと、大好きでいたいです」


 お母さんが私の手を握る。

 私を見て……うなづいてくれた。


「あずさはそう言うが、玲香さん。君はどうする」

「言ったことを撤回するほど、私は捻くれていないのよ。言われたとおりにするわ。……もう一度、研修から始めようかしら。よろしくね、あずさちゃん」

「ふむ、ひとつめの話し合いは終わりだな。この次は君のことだ、霧島君」


 沙月爺の目が、彼に向けられた。

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