第27話

 9時になる少し前。

 和室に入ったのは私と白夜さん。

 ちゃぶ台に並ぶいっぱいの和菓子。今日お店で売るはずだったもの。これがご飯の代わりって言わないよね、沙月爺ってば。

 向き合って座るなり、白夜さんのこわばる顔が見えた。


「あずささん、本当に彼は来てくれたんですか?」

「はい」

「怖いです、この時を待っていたはずなのに。僕は臆病者だ」

「白夜さんだけじゃありません。彼も同じです……きっと」

「そうですよね。彼と僕になんらかの繋がりがあるのなら。僕と……同じ気持ちを」


 白夜さんが浮かべた笑み。

 微かに揺れた真っ白な髪。


 怖いのは私も同じ、そう言いたかった。



 ここに来る前のこと。

 私とお母さん、沙月爺と白夜さんが顔を合わせる朝。

 テーブルに並んだ朝ご飯。

 みんなが食べ終える頃、沙月爺が話しだした妖魔とオモイデサガシのこと。


 ——お爺さんったら、朝から噂のことなんて。


 沙月爺の朝のおふざけ。お母さんはそう思ったみたいだけど。

 笑いもせずに沙月爺は語った。

 妖魔は本当にいる。

 オモイデサガシという亡霊は、黄昏時に町を彷徨い思い出を探し続ける。来客は妖魔にゆかりある人物と、妖魔に人生を狂わされた者だと。

『確かに』白夜さんと目が合うなり、お母さんは困惑気味に呟いた。


 ——白夜さんと初めて会った時には驚きました。噂に聞くオモイデサガシの姿。でも……白夜さんが似てるのはただの偶然じゃないんですか?


 偶然、誰だってそう思う。

 私だって……彼と出会わなければ。



「記憶が戻ったら恩返しが出来る。ここで世話になる日々は僕の宝物です。ひとつ……願ってもいいでしょうか」


 青い肌が微かな赤みを帯びる。

 なんだろう、白夜さんの願いって。


「記憶が戻り元の日々に帰っても。時々はここに来させてほしいんです。許されるなら店の手伝いをさせてほしい。沙月さんと一緒に働けたらと思うんです」

「素敵な願いですね。叶えてください、絶対に。沙月爺も喜びますよ」

「はい。いつか……きっと」



 襖が開く音。

 入ってきた沙月爺、あとに続くのは私に微笑む親しい女性ひと


「玲香さん」


 込み上げる緊張、だけど決めたんだ。

 もう、戻れなくていい。

 私は彼を追いかける。

 追いかけて……未来を一緒に掴むんだ。


「あの、もう1度教えてくれますか? あなたの……名前を」

「フルネームでいいの? 高瀬玲香よ」


 高瀬。

 やっぱり、玲香さんは。


「あなたは……一族の」

「そうよ。高瀬蒼波、彼と同じ妖魔の血を引き継ぐ者」

「妖魔、本当にそんなものが? 人間が……血を引き継いでいる?」


 白夜さんの戸惑った声。


 いつか、私の中に響いた警告が蘇る。

 彼と出会い、聞かされた妖魔のこと。


 彼に何があったのか。

 私の中を巡った知りたい気持ちと知ることへの怖さ。

 あの時、聞こえてきたんだ。



 知ッテハイケナイ。

 知ッタラ……後悔スルカラ。



 後悔は彼のことじゃなかった。

 玲香さんが、何らかの目的を持って……私達に近づいていた事実を知ることが。


がここに来るのはわかっていたわ、妖魔の思考を読み取ってね。でもお店を休むなんて考えもしなかった。沙月さんは私を晒し者にしたいのかしら。それとも彼に、弟の仇打ちをさせるつもりかしらね」

「仇打ち?」


 どうして言葉を返したんだろう。

 返ってくるのは聞きたくない答え。聞かなければ、知らないままでいられること。


「私は妖魔の力を追って、生まれてきた見張りよ。高瀬蒼波、彼の弟が幼くして殺されたのは私の密告によるもの。逆の立場で生まれていれば、私が殺されていたのよね。見張りとして生まれた弟の密告で」

「あなたの一族は」


 血が逆流する感じ。

 気持ちも思考も捕らわれていく。いだきたくもない……嫌悪と怒りに。


「どうして……酷いことを」

「与えられた役割に忠実だっただけよ。一族が代々続けていたこともそう。伝えられるまま決まりを受け入れていた。ただそれだけのこと」

「人の命を奪うんですよ? それがどれだけ恐ろしいことか」

「あずさちゃんが一族に生まれていたらどう? 私のように見張りとして生まれていたら。それでもそう言えるの? 幼い体で一族に逆らう……それだけの強さを持てたのかしら」

「あずさ、少し落ち着きなさい。玲香さんも座ってくれ」


 玲香さんが私の隣に座った。気まずさを紛らわせてくれたのは顔を出したお母さん。


「待っててくださいね、すぐにお茶を持って来ますから」


 どんな時もお母さんを手伝ってくれた玲香さん。裏切られたような虚しい気持ち、私は何も知らなすぎたんだ。


「あずささん、大丈夫ですか?」

「ごめんなさい、心配をかけてしまって」

「いいえ、あずささんはいつも僕を元気づけてくれた」


 白夜さんが笑った。彼と同じ顔に浮かぶ柔らかさ。


 玲香さんの手が和菓子に伸びていく。

 選ぶというよりは、ひとつひとつに触れて品質を確認するように。

 壁にかけられた時計が示す。


「……9時だ」


 9時を過ぎたら、彼と高瀬さんが入ってくる。


「まずはお茶を飲もう。僕はね玲香さん、君を晒し者にするつもりはないんだ。ただ彼らに聞かせてほしいだけなんだよ、ここで働きだしてからの君の変化を」

「お客様は納得するのかしら。それに……私が語った所で変わりはしないのよ。霧島愁夜の復讐劇は」


 玲香さんの言葉がズシリと響く。

 彼の復讐……それだけは、変わらないんだ。





 お母さんが入ってきた。

 盆に乗せられた湯呑み茶碗。


「お爺さん、お茶を。お客様はふたりでしたね、人数分持ってきましたよ」

「あぁ、ありがとう」

「ねぇ、温かいものはお茶だけなの? 私……何か持って来る」

「あずさ、そろそろ彼らが来る頃だ」

「でも」

「可愛いわね、あずさちゃんは。彼のことばかりを考えている。和瀬悠華にとって、とても喜ばしいことね」

「玲香さん知ってるんですか? 悠華さんが望んでること……彼女を待つ未来がなんなのかを」

「夢物語でしょう? 妖魔を通じてわかるのよ。あずさちゃんと彼は……彼女の大切な鍵だということも」


『やれやれ』と沙月爺は頭を掻く。

 沙月爺は玲香さんにどれだけの話を聞かされてるんだろう。私が知らない所で、何を考えながら。


「あずさ、玲香さんは何を言ってるの? 私には何がなんだか」

「ごめん、お母さん。これからもっとわからなくなると思う。少しずつわかってくれればいいから」

「大丈夫なの? あずさが、危ない目に遭ったりしない?」

「……それは」


 そんなことわかりっこない。

 これから何が起きるのか、彼がいつ何処に復讐に向かうのか。わかるなら悩んだりしない。


「お爺さん、私は嫌ですよ。あずさに何かあったら、主人になんて言えばいいんですか‼︎」


 語気を荒げ、涙ぐんだお母さん。

 お父さんが生きていたら。

 沙月爺を攻めるのかな、酷い言葉を投げかけてでも……私を守ろうとして。


「お母さん、私大丈夫だよ。私はお母さんのことも、沙月爺のことも守りたいって思ってる。私達がここにいるのは、みんながみんなを守るためなんだよ。そのために話し合うの、そうだよね? 沙月爺」


 襖が開く音。

 白夜さんの顔に浮かぶ緊張。


 彼と高瀬さんだ。

 白いシャツの上に着たカーディガン。

 私がやったこと、迷惑に思われなかった? 玲香さんのことがなければ……喜べたのに。


 玲香さんが妖魔の見張り。

 蒼真君を、死に導いた仇。


 この事実を……高瀬さんはどう受け止めるの?


「これは驚いた、霧島君そのものじゃないか。オモイデサガシにも」


 高瀬さんの興味深げな目が白夜さんに向けられた。


「いけずだなぁ、霧島君は。彼のこと、なんで知らせてくれなかったんだ?」

「会わないことには知らせようがないだろう。会ったあとに知らせるつもりだった」

「僕の帰りが早すぎたってことか。和瀬悠華のことで先走りすぎたかな? ところで沙月さん」


 高瀬さんの目が玲香さんに向けられた。

 戸惑った様子もなく、玲香さんは微笑んでいる。


「彼女は誰です? 沙月さんが話し合いに交えたかった女性ひとですか?」

「まずは座ってくれ」


 沙月爺に言われるまま座ったふたり。

 彼は白夜さんの隣、高瀬さんは沙月爺の隣に。チロちゃんは連れてこなかっんだな。

 何も言わず彼を見る白夜さん。


「白夜さん、何かありますか? 霧島さんを見て、思いだしたこととか」

「いいえ……何も」


 そんな、何もないっていうの?

 なんらかの繋がりが……ふたりにはあるはずなのに。


「なんでもいいんです。少しでも何か」

「無理に焦らせるな。時間はあるんだ、落ち着け」

「……霧島さん」


 彼が私を見てる。

 私をなだめようと彼が投げかけた言葉。


 落ち着け。

 落ち着け。


 何度も自分の中で繰り返す。


 もしも……白夜さんが何もわからないままなら。それが彼を引き止めることになるのかな。東京での生活を捨ててここで過ごす。

 そしたらずっと、彼のそばにいられる。

 高瀬さんがそれを許してくれるなら。


「高瀬君が言うとおりだよ。話し合いに交えたかったのは彼女だ。まずは高瀬君に答えてもらおうか。弟の仇……ここに現れたら君はどうする」

「何故そんなことを? 言いませんよね? 彼女が蒼真の仇だなんて」

「そうだとしたら? 私を殺す? 高瀬蒼波さん」


 凛と響いた玲香さんの声。

 高瀬さんの顔から……笑みが消えた。

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