第19話

 目玉をなぞりだした悠華さん。見え隠れする胸がやけに艶めかしい。


 悠斗さんが近づいてきた。

 鍛えられた筋肉質の体。

 どうして……悠斗さんも裸なの?


 悠華さんの裸身を包む悠斗さんの腕。

 背後から……力強く。


 気まずさが私に告げた。

 ベッドの上、肌を重ねてたのは


「前に言ったでしょう、私とお兄様は血が繋がっていないと」


 微笑む悠華さんと黒ずんでいく裸身。

 黒く濡れる何かが、悠華さんの体から滴り落ちた。それは絨毯を這いずりボコボコと泡を立てる。


「怯えなくていいわ、悪いようにはしない。妖魔からの要望よ、私の友達に会いたいと」


 目玉は妖魔のもの?

 妖魔は……悠華さんの中に閉じ込められている。


 知り合ったばかりの人。なりゆきで入ることになったオカルト研究会。これだけで友達って言えるのかな。悠華さんのこと、わからないことだらけなのに。

 『そうね』と呟いた悠華さん、私の思考を読み取ったんだ。


 泡の群れが固まって形作られていく。

 丸みがある塊に、それらがひとつにまとまりだした。


「あなたがどう思おうと私は友達だと思っているわ。だから妖魔の要望を受け入れた。私の屋敷、ここには誰ひとり喰らう者はいない。そうでしょう? 蒼真君」

「うん、悠華。……だって」


 塊が作り上げた人の形。

 浮かびだした人と同じ肌の色。黒髪が頭を覆っていく。

 向けられた男の子の顔。

 その目はゾッとするほど冷ややかだ。


「ここには邪魔者はいない。僕と悠華が喰い殺してるから」


 今……悠華さんって言った?

 この子は誰? さっきまで、人の姿をしていなかったのに。


「はじめまして、鹿波あずささん。僕は高瀬蒼真、愁夜さんの友達だよ」


 友達?

 こんな……子供が?

 それに高瀬って苗字、霧島さんを連れだした人と同じだ。


 男の子が近づいてくる。

 何も着ていない体、あとを追うように絨毯を濡らす黒い雫。離れようとして気づく。私……ソファに寝かされてたんだ。


「あずささんは、愁夜さんのことを考えてる」


 男の子から落ちる雫が私を濡らしていく。

 ひとつひとつの染みが広がって……


「妖魔の力を持つ僕は子供の時に殺された。妖魔の血を持つ高瀬という一族。僕の兄、高瀬蒼波は同じ目的を持って、愁夜さんを町から連れだしたんだ」

「……霧島さん」

「彼の家族は僕が喰い殺した。引き継いだ妖魔の力……その運命を受け入れたままに。愁夜さんは僕、蒼波兄様は僕を殺した一族への復讐を考えている」


 男の子を背後から抱きしめた悠華さん。

 ふたりを見る、悠斗さんの穏やかな顔。


「見せてあげるよ、僕と悠華の出会いを。悠華を狂わせたもの、それを喰い潰した復讐の物語。悠華が何者かを愁夜さんは知りたがっているからね。あずささんが教えればいいよ」


 滲み広がった雫。

 それは蠢いて私を飲み込んでいく。

 冷たい感触と、頭の中を何かがなぞる感覚。


 やめて。

 やめて。

 私の中に……入ってこないで。


 この子は妖魔。

 霧島さんの復讐相手。


 復讐。

 同じことを悠華さんも……





 闇の中、私を見て微笑む少女。

 肩まで揃えられた髪と胸元の青いリボン。

 見覚えのある制服。

 そうだ、歩く道でよく見かける。どこかの高校のものだ。


 彼女は……


「私よあずささん。日々を狂わされる前の」


 見えてきたのは悠華さんと家族。

 テーブルに並ぶ料理、湯気を立てるご飯とお味噌汁。


『パパどういうこと? 私がお屋敷に行くとか訳わかんないんだけど』


 父親に問いかけた悠華さん。

 ちょっとだけ強い語気、今の悠華さんとは違うイメージ。


『マナーの教育だ。お屋敷に住むのは俺の勤め先の社長でね、悠華の将来を思って申し出てくれたんだ。そうだよな、母さん』

『えっ……えぇ』

『ママに同意を求めないでよ。パパが勝手に決めたんでしょ? マナーなんて興味ない、私行かないから』

『そうはいかないんだ。あと1時間もしたら屋敷の人が迎えに来る。断れないんだよ』

『何よそれ、学校に行くんだよ? ありえないことを言わないでくれる?』

『お屋敷に住めるなんて、めったにないことなんだ。わかるだろ悠華』

『行きたければパパが行きなよ。ママ、ごちそうさま』


 椅子から立ち離れながら、悠華さんは母親に微笑む。


『残してごめん、私もう行くから』

『悠華、俺の言うことが聞けないのか‼︎」

『聞く訳ないでしょ? 唐突すぎて意味わかんない』

『駄目だ悠華。行くんじゃない‼︎』


 席を立つなり、悠華さんを壁に押しつけた父親。悠華さんを睨みつけ大声でわめき散らす。


『母さん、ロープを持って来るんだ。悠華を縛る』

『何を言ってるの? そんなこと』

『早くしろ、迎えが来たらそのまま渡せばいい』

『ちょっと‼︎ 離してよパパ‼︎』

『黙れっ‼︎ 言うことを聞けっ‼︎』


 悠華さんの目の前で握られた拳。


『あなた、乱暴はやめて』

『ロープ、持ってこいと言ってるんだ‼︎』


 父親の怒号。

 母親がいなくなった場所で、悠華さんは暴れ続けた。


『おかしいよパパ、マナーだけでムキになるなんて』

『うるさいっ‼︎ こうするしかないんだ‼︎ 俺は……俺はっ‼︎』





 手足を縛られた悠華さん。

 そこに父親の姿はなく、母親が寄り添うように座っている。母親の口元を染める血、たぶん父親に殴られたものだ。


『ごめんね悠華、助けてあげられなくて』

『ううん、それよりママ大丈夫? こんなんじゃ手当ても出来ないね……ごめん』


 悠華さんの隣で嗚咽を漏らす母親。


『ママ』


 呟いた悠華さんの顔に浮かぶ戸惑い。


『ママは知ってるんでしょ? なんでパパがマナーにこだわってるのか。こんなこと……どうして?』

『ごめんね、私は何も言えない。考えたくないわ、悠華が……悠華が』

『何? 教えてよ、ママ』


『ごめんね』と呟いたまま母親は黙り込む。


『帰ってきたら教えてね? その時は2、3発パパをぶん殴るから』


 訪れた沈黙。

 天井を仰ぎ手を合わせた母親。

 願っていたのかな、悠華さんの幸せを。

 悠華さんを狂わせたのは家族? 

 それとも……





 父親が言ったとおり、縛られたまま家から連れだされた悠華さん。父親と迎えの人達を睨みつけながら。



『これはこれは、変わった来訪だ。綺麗なお嬢さん』


 悠華さんを出迎えたのは社長と呼ばれる男。背後に立つのは年老いた執事と召使い達。悠華さんを前に男はいやらしい笑みを見せた。


『ここでの日々を楽しむといい。あとで紹介するが息子がいる。悠斗というお嬢さんと似た名前でね、まるで兄妹のような……なるほど家族か。それも面白い』


 何かを思いついたようにうなづいた男。


『お嬢さん、今から君は俺の娘だ。父親にすぐ連絡する。君を引き取り、和瀬の家に籍を置くと」

『ちょっと、マナーの勉強でしょ? そんなの勝手に』

『マナーだと? なるほど、マナーと言えなくはない』


 悠華さんに近づいた男。

 伸ばされた手が、悠華さんの髪を撫で体に落ちていく。





『早く出してよっ‼︎ なんなのこれ』


 悠華さんは叫んだ。

 派手に飾られた部屋、閉められたドアとカーテン。つけられた明かりが、夜のひと時だと告げる。


 椅子に縛りつけられた悠華さん。

 自由を奪われた手足、怒りを露わに男を睨みつけている。


『元気なお嬢さんだ。残念だよ、君が学生のうちは手が出せないからね』

『何言ってるの? 早く出してってば‼︎』


 叫んだ悠華さんを、男は力任せに殴りつけた。

 悠華さんの呻き声が響く。『あぁ、痛かったね』と囁きながら顔を近づけた男。


『君に逆らう権利はない。俺に買われたんだからな』


 驚く悠華さんを前に笑い声を上げた男。


『君の父親は金を盗んだ、横領だ』

『……横領?』

『会社の金だ、使い道はギャンブルと女だろう。罪を問わない、おおやけにしないことと引き換えに君を買った。君を売ったことで、父親は何食わぬ顔で会社にいられるってことだ』

『嘘よ。パパが……そんな』

『俺を怒らせたらどうなるか、君の父親は知っているのさ。和瀬の名前はこの町で大きな権力を持つ。君からすべてを奪うのは簡単なことだ。脅しではないと、知りたいならすぐにでも見せつけてやる』

『何を……するつもりなの』

『君の親をこの世から消す、証拠を消すのは簡単なことだ』


 恐怖が悠華さんを支配した。

 肌の色が血の気を無くしていく。


『パパ……ママ』

『君にはずっと前から目をつけていた。想像してたんだよ、君が僕の腕の中……乱れ狂うのを』


 はだかれたシャツと露わになった肌。


『学校へは行かせてやる、逃げないよう見張りをつけてな。卒業後が楽しみだ。少しずつしつけてやる、俺好みの娼婦にな』


 下卑た笑い声。

 肌を触れなぞる男の手。





 

 男の指示で悠華さんを見張っていた召使い達。学校への行き帰りにも彼らはあとをつけた。

 流れ込む悠華さんの感情おもいが私に語りかける。

 悠華さんを癒したのは悠斗さんの存在だったと。





『悠華、ここにいたのか』


 駆け寄ってきた悠斗さん。

 幼さが少し残る顔、今と違う華奢な体つき。

 ふたりがいるのは庭園。悠華さんの横に立つなり、悠斗さんは思いきり息を吸い込んだ。


『教えてよ悠華、今1番したいことは何?』

『どうしてそんなこと聞くの? 悠斗さん』

『僕達は兄妹になったんだ。君が不本意なのはわかってる……だけど』


 赤みを帯びた悠斗さんの顔。


『兄さんと呼んでくれないかな』


 空を見上げたままの悠華さん。悠斗さんに返したのは『ねぇ』という問いかけだった。


『どうしてわかるの? 私が不本意だって』

『知ってるからだ、君が連れてこられた訳を』


 青い空の下、ふたりを包む静かな空気。


『父さんは狂人だ、沢山の人を苦しめてる。悪夢だよ、あの人の血を僕が引き継いでるなんて。こんな僕が悠華の兄、そんな事実を誰が許すだろう。それでも僕は……君の兄でいたいと思う。悠華を守れるようになりたいんだ』


 しゃがみ込んだ悠斗さん。微かな音を立て毟られた真っ白な花。

 渡された花を前に、悠華さんの顔が柔らいだ。『ありがとう』と呟きながら、悠斗さんを見上げた可憐な顔。


『悠斗さん、私が』


 悠華さんの声に悠斗さんは目を輝かせる。


『やりたいことはね、ミルクティーが飲みたいの』

『悠華の1番、そんなことなのか?』

『大好きなんだ。小さい頃、ママが淹れてくれた時からずっと。一緒に飲んでくれたら呼んであげる……お兄様って』

『お兄様か、なんだかくすぐったいな。それでも』


 体を向き合わせたふたり。

 顔に浮かぶのは互いに向けた無邪気な笑顔。


『嬉しいよ、君は大事な存在なんだ。悠華……僕だけの姫君』

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