第12話

 瑠衣を連れ帰っていたら、僕の運命は違うものになっていただろうか。何故なら……妖魔に自由を与えてしまったのは他でもない、僕と瑠衣なのだから。


『お兄ちゃん、あの子困ってるみたい』

『そんなこと言ったって』

『話してみようよ、ね?』


 帰ろうとする僕のそばで、瑠衣は子供に興味津々だった。


『はじめまして、私は霧島瑠衣。お兄ちゃんは愁夜っていうの』

『瑠衣ちゃんか、可愛い名前だね。はじめまして、愁夜さん』


 不気味なほど子供は落ち着いていた。

 僕を見上げ、にっこりと笑った瑠衣。


『お兄ちゃんも挨拶して?』

『瑠衣、僕達は帰らなきゃ』

『うん、この子を助けてから帰ろ?』

『助けるって……何を』


 僕達の他誰もいない場所。子供は何に困り助けを求めてるのか。困惑は疑問に変わり、胸騒ぎを呼んだ。


『ねぇ、私達は何をすればいいの?』

『一緒に来てよ、瑠衣ちゃん』


 子供が向かったのは開かれた門。

 古ぼけた屋敷、人の気配を感じない闇。あとを追いだした瑠衣の軽い足取り。


『だめだ瑠衣、今日は帰ろう』

『あの子を助けたら。お兄ちゃんも来て』


 瑠衣と子供の手が繋がれた。

 振り向いて僕を見た子供、大きな目が金色に光った気がした。


『瑠衣、待て。待てったら‼︎』


 離れていくふたり。

 僕の選択はひとつ、瑠衣を追いかけ連れ戻すことだった。


 門を抜けるなり僕を包んだ重苦しい空気。何かがのしかかり、息を吸うことを止めようとする。奇妙な感覚が僕を支配した。


『ここ、あなたのおうち?』

『そうだよ』

『すごい、王子様みたい‼︎』


 闇に溶け消えた瑠衣の声。

 子供を追う中で膨れていった疑問。住んでるなら何故屋敷に入ろうとしないのか。こんな子供がひとり暮らせるはずがないと。


『君の話、嘘はないのか?』

『どうしてそう思うの? 愁夜さん』

『どの部屋も真っ暗だ。人が住んでるとは思えない』

『両親は旅に出てるからね。瑠衣ちゃん、僕はひとりで留守番してるんだ』

『そうなの? 寂しいね』


 瑠衣の素直さが苛立ちを呼んだ。

 草が生い茂り荒れ果てた庭、子供が嘘をついてるのは明らかだったから。


『瑠衣を騙すのはやめろ』

『そんな、ひどいな愁夜さん』

『どう見たって廃墟じゃないか、遊ぶなら違う場所で』

『うん、遊ぼうよ。僕が自由になったらね』


 ゾクリとしたものが僕を震わせた。

 声に混じった冷ややかさと凄み。子供のものだとは思えなかった。


『瑠衣ちゃん、わかるかな? あのつるぎなんだけど』


 子供が指さしたのは裏庭の隅。

 枯れ腐る葉に隠された鞘。


『あれを引き抜いてほしいんだ』

『それだけ? あなたにも出来そうなのに』

『ごめん、お腹が空いて力が入らないんだ』

『ご飯は?』

『自由になったら食べられる。楽しみでしょうがないんだ、最高のご馳走が』


 子供の弾む声に瑠衣はクスクスと笑った。

 瑠衣は考えもしなかっただろう。子供が言った最高のご馳走が自分のことだったとは。


 瑠衣が枯れ葉を払い、剣が月明かりを浴びた。

 刀とは違う形、鞘に刻まれた奇妙な文字と錆びの匂い。腐敗臭が風に漂っていた。


『なんだよ、これ』


 重苦しい空気、それは剣に近づくほど僕を苦しめた。


『これを……引き抜くって……どうして』


 声を出すことも苦しい。体中がどくどくと音を立てていた。


『つらそうだね、愁夜さん。わかってくれる? 動けなくなった苦しみを』

『答えろよ。どうして……これを』

『僕は言ったよ、自由になりたいって』


 剣に触れた瑠衣。だが


『重い、動かないよお兄ちゃん』

『それは深く突き刺さってる。瑠衣ちゃん、お兄さんに手伝ってもらいなよ』

『あなたは? 手伝ってくれないの?』

『僕は触れないんだ。愁夜さん、瑠衣ちゃんが困ってるよ?』

『……瑠衣』


 息苦しさと遠ざかる意識、立っているのが限界だった。


 剣を抜いたら僕達はどうなるのか。

 直感が告げた、ここから離れたほうがいいと。


『愁夜さん大丈夫? 楽になるよ、剣を抜いたらね』

『どうしてそう思う。君は……何を考えてる』

『ほら、愁夜さん。帰りたいんでしょ? 剣を抜くだけでいいんだ。早くしないと瑠衣ちゃんが泣いちゃうよ。だから』



 早クシロ‼︎



 何かが僕の中で叫んだ。

 声の正体は今もわからない。


 脅し。

 命令。


 妖魔の叫びだったのかそれとも。


 警告。


 死を恐れた魂が放った声。


『お兄ちゃん、全然動かないよ。抜かなくちゃ、この子ご飯が食べられないよ』

『瑠衣……帰るんだ。瑠衣』


 何かが僕の首を締めつけた。

 僕の手を操る見えない何か。


 死をちらつかせ、僕を脅す力。

 死を恐れ遠ざけようとする力。


 僕の手が鞘に触れた。

 望まずも込められる力。



 ズズ……ザクリ……



 剣が引き抜かれた瞬間とき



 ゴボッ……ゴボリ

 クッ……クククッ



 何かが泡を吹き、笑い声を上げた。


 男と女。

 老人と子供。

 入り混じるいくつもの声。


『これで、僕は自由だ』


 歓喜に満ちた子供の声。


『幻を作ることが限界だった。僕を封じ続けた忌々しい剣。やっと現れたよ、幻を見た人間が』


 子供の回りを舞いだした鳥。

 闇を染めあげる鮮やかな青色。

 黄昏時、瑠衣が見たものが僕の目にも。


『お兄ちゃん、鳥さんが』


 息苦しさが消えた。

 僕を包んでいた重苦しい空気。それは冷たい風になり僕を支配した。だが僕を震わせたのは寒さじゃない


 恐怖だ。


『ひとりは最高のご馳走。もうひとりは』


 闇の中、溶け崩れていく子供。

 その顔に浮かんだ冷酷な笑み。


『僕の友達だ。いっぱい遊ぼうね、愁夜さん』


 ビチャッ‼︎

 ビチャンッ‼︎


 生々しい音を立て、肉片となった鳥。

 ゴボゴボと音を立てながら子供が崩れていく。


『お兄ちゃんっ‼︎』


 僕にしがみついた瑠衣、その体は震えていた。


『長かったなぁ。苦しかったよ、つまらなかったよ。愁夜さんはわかってくれるよね? 僕の友達なんだから』


 消えた子供と訪れた沈黙。

 地面に落ちた剣、その切先を染めていた黒い塊。


『お兄ちゃん、あの子どうしたの?』

『わからない。すぐに帰るんだ』

『怖い。お兄ちゃん……怖いよ』

『ほら、抱っこしてやるから……瑠衣』


 消えた子供。

 姿を現す前に帰らなければ。

 ここに来なければいい、そうすればもう怖いことはないんだから。強く、自分に言い聞かせた。


『……剣』


 僕は思った。

 もう一度、剣で封じればいいと。

 青い鳥、僕を支配した苦しみの錯覚。子供がどんな幻を作ろうと、気づく者がいなければ何も起こらない。


『お兄ちゃん』

『瑠衣、これを元に戻すんだ』


 月に照らされた塊。それは封じていたものカケラにすぎない。地面に突き刺し、封じ込めばそれで終わるはずだった。

 震える手で剣を掴んだ時。


『ダメだよ愁夜さん。友達に意地悪するなんて』


 ズブリッ


 不気味な音が響いた。

 僕の体のどこかから。


『心臓を取っちゃった。愁夜さんの命は僕のものだよ』


 痛みと共に濡れていった体。

 月明かりが照らした血塗れの僕。


『愁夜さんの命は僕の中で生き続ける。僕を殺さない限り愁夜さんも死ねないよ。でもさ? 僕を殺そうとはしないよね? 死ぬのは怖いでしょ?』


 地面から現れた塊。

 それは僕の足を掴み這いずってきた。ズルズルと不快な音を響かせながら。僕の体はおぞましいものに飲まれていった。


『やめろ……離せ』


 塊は瑠衣も飲み込んだ。泣きながら僕にしがみつく瑠衣を。僕の血に濡れた妹を。


『離せっ。離せよ‼︎』


 込められるだけ込めた力、地面に突き刺そうとした剣。


『愁夜さん‼︎』


 子供が叫び、僕の手を塊が飲み込んだ。


『やっと自由になれたんだよ。僕を封じるなんて許さない‼︎』


 粉々になった剣。それは白い光を放ちながら闇に舞い散った。僕の手に力なく残された鞘。


『嫌だよ同じ目に遭うなんて。ねぇ愁夜さん、何して遊ぼうか?』


 僕から離れ、地面を這いずりだした塊。

 ひとつだけの大きな目が、ギョロリと僕を見た。

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