血塗ラレタ記憶
霧島愁夜視点
第11話
深夜。
明かりが消えた町の中一軒の店の前に立つ。
悠幻堂、鹿波あずさが語った場所。
彼女の話が本当なら僕に似た人物がいる。オモイデサガシと同じ風貌の白夜という男が。
オモイデサガシに似た記憶を無くした者。それが僕に似ているなど冗談にもならない。おそらくは、妖魔が仕掛けたいたずらだ。
「お兄さん、私を買わない?」
慣れ慣れしい声が背後から響く。
振り向かずともわかる、男に体を売る
「聞こえないの?」
驚いたな、そんな女がこの町にも。
この手の女には取材先で声をかけられる。誰ひとり相手にしない僕は社内で呆れの対象だ。
「ねぇ、お兄さんっ」
「大声を出すな、何時だと思っている」
「なんだ、ちゃんと聞こえてるじゃない」
絡ませてきた腕をふりほどく。
どうやって白夜に会うべきか。
客を演じ店を訪ねるのは簡単だが、僕と白夜が会うことでこの店はどうなっていくのだろう。ありきたりな日々を過ごす人達にもたらす変化はなんなのか。
鹿波あずさ。
帰ってきたあの日、彼女と話す中で圭太と再会した。
——僕の所で過ごせばいい。遠慮するな、愁夜。
妖魔への復讐に圭太を巻き込めない。圭太を説得し別れたものの、結局は交換した連絡先。圭太からの連絡は見ないフリを決めた。
「ねぇ、私を買ってよ。安くするからさ」
「他の男を探せ」
「あんたを見つけた。だから声をかけてるの」
腕を掴むなり、女が僕の顔を覗き込む。月明かりの中、女が顔をしかめたのは傷痕に驚いたからか。だがその顔はすぐに笑みを浮かべ、女の手がいやらしく僕の体をなぞる。
「綺麗な男、あんた最高の客だ。私を買うのは猿みたいな奴ばかり」
「誰が買うと言った。離せ」
「絶対に買ってもらうよ。1度くらいはあんたみたいな男と」
「夢は他で見ろ、離せと言っている」
「見てよ、いい体でしょ?」
女が服をはだき露わになった肌。下着はなく豊かな胸を見せつけてくる。淫らな笑みが苛立ちを呼び寄せた。
「買うのが嫌なら私が売ってあげる。あんたにならいくらでも」
「払えるのか、大金を」
「払うよ。いくらだろうと他の男からむしり取る。だから見させてよ、いい夢をさ」
「言ったはずだ、他の男を探せ」
女を振り払い、ポケットから取り出した札束。
「は……あぁっ⁉︎」
間が抜けた女の声と舞い落ちる札の群れ。
「金が欲しいならいくらでもやる」
「あんた何言ってんの? 私をからかって」
「早く取れ、命が惜しければ」
手にしたのはおもちゃのナイフ。だが女を退けるには充分なものだ。
「ひぃっ‼︎ 人殺っ」
腰を抜かしながら女は逃げようとする。
「どうした? お前が欲しがる金だ」
「あっ……あぁ」
札を漁る女から離れ歩く。
夜が明ける前にひと眠りしよう。人目がつかない場所を探さなければ。今夜も野宿決定だ。
歩きながら巡らせる記憶。
子供の頃、叱られるたびに逃げ込んだ秘密基地。
僕を追いかけ笑っていた妹。
妹を喰い殺した妖魔、それは意外な姿で僕の前に現れた。
……ちゃん、お兄ちゃん。
記憶の奥底から響く瑠衣の声。
『瑠衣、ついてくるなって言ったのに』
たどり着いた秘密基地、それは空き地の隅にある木造の小屋。学校帰りに圭太と見つけたものだ。
圭太とふたり、パンや菓子を食べ笑いあった場所。
『どうするんだ、これから』
瑠衣を前に困り果てたこの時の僕。幼い妹は帰る道がわからない。だが飛び出してすぐ、家に帰るのは僕のプライドが許さなかった。
『だってお母さん、怒ると怖いんだもん』
『怒られたのは僕だ。瑠衣は家にいていいのに』
『大好きなのは優しいお母さん。怖いお母さんは嫌い、だからお兄ちゃんと一緒にいるの』
瑠衣が見せた無邪気な笑顔。あの時は考えもしなかった。瑠衣の笑顔が
『しょうがないな。歌おうか、瑠衣』
『うんっお兄ちゃん』
小屋に入り、瑠衣に教えたのは流行っていたアイドルの歌。遊び道具を持たない場所で、思いついたのは歌うことだけだった。
ガラクタが散らばる小屋の中、窓を染めだした金色の光。瑠衣の目がキラキラと輝いた。
『きれいだねお兄ちゃん』
『瑠衣、今は黄昏時だ』
『たそがれ? なぁに? それ』
問いかける瑠衣に『なんだと思う?』と僕。知っていることを言いたくてたまらない、僕は子供じみた子供だったんだ。
『辞書で見つけたんだ、逢魔が時とも呼ばれるひと時だって』
『お馬さんがどうしたの?』
『馬じゃないよ、瑠衣にはまだ難しいか。お化けや妖怪、怖いものが現れるひと時らしい』
この時、僕はあることを思いついた。
瑠衣を怖がらせれば僕について来ることはない。いるはずのないものを利用すればいいと。
『瑠衣、ここで待ってろ』
『どうしたの? お兄ちゃん』
『お化けがいたら瑠衣が家に帰れないだろ? だからやっつけてくる』
弾む気持ちで小屋から飛び出した。
てきとうに騒いでから家に帰ればいいと。だが僕の考えは浅はかだった、幼い妹がどう動くかを予想出来ていなかったのだから。
見上げた空の金色。その眩しさに目を細めた時だった。
『待ってお兄ちゃん‼︎』
瑠衣の声が僕を振り向かせた。
僕を追い、小屋から飛び出した瑠衣。
待ってろって言ったのに、そう思った時だった。
『やめて。いじめちゃダメ、お兄ちゃん』
僕に駆け寄りながら精一杯の大声で瑠衣は叫んだ。
お化けのことか、そんなものいやしないのに。
笑いかけた僕を、瑠衣は真剣な顔で見つめていた。
『瑠衣、お化けはいなかった。残念だけどやっつけようがない』
『ほんと? よかったぁ、いじめられるの可哀想だもん』
『いい子だな瑠衣は、お化けにまで優しくて』
鳴りだした腹の虫。夕食のおかずが何かを予想し始めた時。
『お兄ちゃんっ‼︎』
僕の手を掴み目を輝かせた瑠衣。
『見て見て、鳥さんだよ‼︎』
『鳥? どこにいるんだ?』
『お兄ちゃんのそば。ほら、青い鳥さん』
『そんなの……どこにも』
僕と瑠衣だけがいる空き地。
何度見回しても見えない鳥。
この時、僕が思い浮かべたのはメーテルリンクの青い鳥。そんな鳥がいるはずはない。瑠衣は僕をからかっている、そう思った。
『瑠衣、嘘はよくないぞ?』
『嘘じゃないもん。私のそばに来てくれた‼︎ お兄ちゃん見えないの? すごく綺麗なの』
鳥に触れようと瑠衣の手が動く。無邪気な笑い声を聞きながら目を凝らした。
瑠衣に見えるものが、僕に見えないのは何故だ? そう思いながら。
『待って。鳥さん、何処に行くの?』
駆けだした瑠衣。
呆気にとられながらあとを追った僕。
『瑠衣、家はあっちだぞ』
『鳥さんが呼んでるの。こっちにおいでって』
『何言ってんだ、そんなはずは』
『待って待って‼︎ 追いつけないよ‼︎』
馬鹿げてると思った。
見えない鳥。
僕達を何処に連れて行くというのか。
この時瑠衣を連れて帰っていたら。僕は終わらない後悔を手に入れはしなかったのに。
『瑠衣、待てよ。お前が転んだらまた怒られる』
『大丈夫、お母さんには内緒だもん』
瑠衣を追い走る中、林道を通り過ぎ見えだしたもの。
古ぼけた屋敷と閉ざされた門。カーテンが閉められたままのひび割れた窓。人が住んでいるようには思えなかった。
門の前に立つなり僕を見上げた瑠衣。
『お兄ちゃんなんで? 鳥さんが消えちゃった‼︎』
黄昏時が過ぎ、暗くなりだした中。
僕達を包み込んだ不気味な静けさ。
帰りが遅くなったら母さんに怒られる。瑠衣を説得してすぐに帰ろう……それだけを考えた。
『瑠衣、腹が減ったろ? 母さんが待ってるぞ』
『鳥さん、どうして消えちゃったの?』
『そんなの知るもんか。ほら、帰るんだ』
瑠衣の手を引いて歩きだした時だった。
ガチャッ
ギギギィ……
背後に響いた錆び軋む音。
薄闇の中。
振り向いて見えたのは、開かれた門と僕達を見る子供。
『君達、何してるの?』
話しかけられたことに驚いたのか、僕の手を強く握った瑠衣。
『いいところに来てくれた。僕を助けてほしいんだ』
近づいてきた子供。
その正体は
僕を絶望に突き落とした妖魔。
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