第14話
僕を包んだ闇と沈黙。
無くした瑠衣の感触と、濡れ冷えた僕の体。
『……瑠衣? 瑠衣はどうしたんだ』
『愁夜サン、僕ノ話ヲ覚エテル? 僕ハ言ッタヨ、瑠衣チャンハ最高ノゴ馳走ダッテ。トッテモ美味シカッタヨ』
何も考えられなかった。
思考が、
『瑠衣? ……父さん、母さん』
『愁夜サン、辛イヨネ、悲シイヨネ? ヒトリボッチハ寂シイ……僕ト同ジダ』
『違う、僕は……お前なんかと』
『同ジダヨ』
『違うって言ってるだろっ‼︎』
『僕ヲ怒ラセテイイノ? 愁夜サンノ命ハ、僕ノモノニナッタノニ。僕ガ心臓ヲ喰イ潰シタラ』
『殺したければ殺せ。お前の言いなりにはならない』
『強イナァ、愁夜サンハ。殺サナイヨ、愁夜サンハ友達ダカラネ。イッパイ遊ブッテ約束シタンダカラ』
瑠衣に触れようと動かした手。
闇の中、何も掴めないままに。
『何ヲ言ッテモ無理ミタイ。マタネ、愁夜サン』
揺れが止まった。
妖魔と闇が消えた台所。僕を濡らす血と音が消えた世界。
しゃがみ込んで見えたのは、血の中に浮かぶ小さな手。握られたままのガラス玉。
『歌を……歌うんだ。瑠衣、どこにいるんだ?』
血塗られた地獄の中、僕は泣くことが出来なかった。
どれだけそこにいただろう。肉片になった家族のそばに。随分と長い時が過ぎた。
どこかから響いた猫の鳴き声。それは記憶の中の瑠衣を呼び寄せた。
——猫ちゃんが飼いたいな。お兄ちゃん知ってる? 真っ黒な子が家のまわりにいるの。捨てられちゃったのかなぁ。私を見て鳴くんだよ、ご飯をちょうだいって。お兄ちゃん、一緒にお願いしようよ。猫ちゃんを飼わせてくださいって。
『一緒に……か』
浮かんできた思い。
それは家族と同じになることだった。妖魔に握られた命、死ねなくても苦しみを知ることは出来る。
台所から出て向かった居間。
父さんはテレビを見ながら煙草を吸っていた。テーブルの上に置かれたライターと煙草。僕が考えたのは火を放ち家族と共に焼かれること。両親がくれた体をこんなことで傷つけるとは。虚しさに乾いた笑いが漏れた。
ライターと新聞の束を手に戻った台所。
新聞をばら撒いた血塗れの床。
父さんと母さんの残像が浮かんだ。
『シチュー……食べたかったな』
何も知らずに喰い殺された両親。
恐怖と闇の中喰い殺された瑠衣。
どうして僕は、生きているのか。
僕だけが妖魔と共に生きている。
黄昏時が……すべてを狂わせた。
『父さん、母さん、瑠衣』
心の中、強く願った。
魂が
僕のそばにいるのなら
嘆きと憎しみを
僕を焼き尽くす炎に変えてくれ‼︎
火は新聞を燃やし、血を飲み込んで大きくなっていった。僕をなぞる火と焼け焦げる肉の匂い。熱さに包まれながら目を閉じた時だった。
どこからか響いたガラスが割れる音。
〜〜♬〜〜♬〜〜♬
メールを知らせる音が響く。
目を開け見えた夜の空、朝の訪れはまだ先だ。スマホを手に送り主とメールを確認する。
「高瀬さんか。何かと思えば……飼い犬の写真」
小さな画面の中、子犬が僕を見つめている。
茶色い毛と人懐っこい目。
〔霧島君に癒しのひと時を〕
くだらないメールだ。
面倒だが返事を送るべきか。僕に手を差し伸べた変人に向けて。
『お目覚めだね、霧島君』
知らない男が僕に笑いかけた。
縁無し眼鏡と茶髪、育ちの良さを感じさせた柔らかな顔つき。
白い天井と見慣れない家具、困惑と体を巡る痛み。
『はじめまして、僕は高瀬蒼波』
『……ここは?』
『僕の部屋だ。洒落た家具だろう?』
『どうして……僕の家は』
『今頃は大騒ぎだろうな。君の家は燃え尽き、火は他の家も焼いた。あそこは更地になるだろうね。君が見つかればどうなっていただろう。家族を道連れに図った無理心中……とでも騒がれたかな?』
僕が放った火は他の家も焼いた。
住んでいた人達はどうなったのか……空白の心を染めた罪悪感。あとから知ったことだが怪我人も死んだ人もいなかった。引っ越しを余儀なくされたものの、犠牲者がいなかったことは唯一の救いだ。
『僕が君を助け出したんだ。火が燃え広がらないうちにね。何故だと思う?』
何故か、そんなことわかるはずもなかった。
黙り込む僕から目をそらした高瀬さん。気まずさを感じたのかと思ったが。
『まずは落ち着こう。お茶は飲めるかい?』
高瀬さんを追い見えたのは、テーブルに並ぶ2本のペットボトル。日本茶と烏龍茶、『君はどちらかな?』と呟いた高瀬さん。
『熱いお茶が好きなんだ。君がいつ起きるかわからないから冷たいものを用意したが』
『どうしてわかったんですか? ……僕が』
『火をつけたのを知っていたのか……だろ? ちゃんと話すよ、気づいてるかい? 君の体だけど』
『斑点ですか? こんなものとっくに』
『火傷だよ、治ってきてる』
そんなはずはない、そう思った。火は僕を炙り焼いたのだから。焦げた体がすぐに治るものかと。
反論を前に伸ばし見た手。
『まさか……こんな』
皮膚のほとんどが再生されていた。
痛みと共に消えていった赤い
『僕も同じさ、ほら』
高瀬さんが見せた腕の火傷。徐々に薄れていくのを、高瀬さんは笑みを浮かべ見つめていた。
『僕が何故君を助けたか。それはね、僕に繋がりがあるからなんだ。君が出会った妖魔とね』
『何を……言って』
『妖魔の名前は
何を言われたのかすぐにはわからなかった。
妖魔と繋がっている。
妖魔が彼の死に別れた弟。
混乱が僕を支配した。
『僕の中には妖魔の血が眠っている。高瀬の一族は代々
妖魔の血を引き継いでいてね。致命傷をくらえば命を落とすだろうが、ほとんどの怪我は時間が経てば治ってしまうんだ。霧島君は心臓を奪われただろ? 蒼真と同化したことで治癒力が強まったのさ』
お茶を飲み干すなり咳払い。空気を読まない高瀬さんの素振りはこの時から変わらない。
『頭の中、蒼真が話しかけてきたんだ。頼まれたのさ、君を助けてほしいと』
『妖魔が……僕を? どうして』
『自らを傷つける、その行為を止めたかったんだろう。蒼真は言った、君は友達だと』
『冗談じゃない、あんなものが友達なんて』
『そうだな、君は家族を喰い殺された。蒼真という存在を許せはしないだろう。わかるつもりだよ、君の気持ちは』
見上げた天井が赤く染まった。家族が死に僕を包んだ地獄の光景、それが見せつけた血色の残影。
部屋中を見回した。
言われたことが本当なら何処かに妖魔がいる。家族を喰い殺した仇が。そう思わずにはいられなかった。
『大丈夫だ、ここに蒼真はいないよ。蒼真は知っているからね、高瀬の一族に嫌われていることを。姿を現せば封じられ、自由を奪われることも』
僅かに感じた安堵と戸惑い。
渡された烏龍茶を飲みながら考えた。高瀬蒼真、死んだという彼の弟。高瀬という一族は何者なのか、彼は何を考えて僕を助けたのか。わかるはずもなく、僕に出来たのは話を聞くことだった。
『蒼真を嫌うのは
高瀬さんが語ったことが呼び寄せた震え。
瑠衣と共に導かれた古ぼけた屋敷。
僕が見た子供の幻は、蒼真が生きていた時の姿だった。遠のいた過去、地獄に落とされていた蒼真。どす黒い塊、それは……妖魔の力を宿す、蒼真の生きた
『妖魔の力は一族の……新たに宿る命へ流れていくだろう。一族の目的は妖魔の力を消し去ること。何度受け継がれようと、いつかその力は消滅する。彼らはそう信じてるのさ。妖魔の呪縛から逃れ、自由を手に入れるために』
夢を見ているようだった。
家族を奪われたことも高瀬さんが語ることも。烏龍茶の味だけがやけにリアルで、今思いだしても現実味を感じられない。
「決まったな……メールの返事」
スマホに打ち込んでいく、高瀬さんの予想がはずれていたことを。
妖魔は今、和瀬悠華という女の中にいる。どんな経緯で一族から離れ、女とひとつの存在になったのか。わからないが……妖魔は今、自由の中にいる。
高瀬蒼真という、子供の影を残しながら。
『さて、これからのことは旅をしながら話そうか』
『……旅?』
『動けるかい? 霧島君』
僕から離れ歩いた高瀬さん。彼が足を止めた窓のそば、置かれていた黒いスーツケース。開かれたカーテンと窓、漆黒の夜の闇。
『長くはここにいられないんだ。蒼真が自由になったことと、僕が蒼真に関わったことを一族が知ればどうなるか。僕という存在を彼らは忌々しく思うだろう。妖魔の存在を知り、生きている君もどう思われるか。僕達は
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます