第4話
「沙月さんはお客様とお茶を飲んでいるわ。買ってきたもの、お母様に渡しましょうか?」
「ありがとう玲香さん。誰が来てるの?」
「会ってみたらどうかしら。それであずさちゃんがどう思うのか」
沙月爺も玲香さんも変な人を招きはしない。なのにどう思うかって試されてるみたいだな。
玲香さんにうながされ、渡した袋がガサガサと音を立てた。
「怖いな、どんな人かわからないなんて」
「沙月さんがいるから大丈夫よ。お母様に渡したらお茶を入れてあげるわ」
「いいよ、すぐ部屋に行くから。知らない人とは話し出来ないし」
「そう。私は店を閉めたら、お母様の手伝いをさせてもらうわね」
カウンターを通り過ぎて
「ただいま」
「おかえりなさい、お爺さん帰ってきてるから」
台所から響くお母さんの声。
「お客さんが来てるんでしょ? お母さんは会ったの?」
「声しか聞いてないのよ、若い男の人みたい」
誰なんだろう。
沙月爺が若い人を連れてくるなんてピンとこない。それだけ桔梗さんのイメージが強いんだ。
「客室に行ってくる」
「お客様に失礼がないようにね」
「沙月爺と話すだけ。晩御飯、玲香さんが手伝ってくれるって」
胸がざわつく。
大丈夫、沙月爺と話すだけでいい。お客さんが誰であれ関わらなきゃいいんだから。挨拶したら部屋に行って煮込みうどんが出来るのを待つ。
廊下を照らす明かりと閉められた襖。客室として利用してる和室。
襖に触れながら息を整える。
『お菓子のお店で働くこと、子供の頃からの夢だったの』私に会うなり玲香さんはにっこり笑ってくれたっけ。
「沙月爺、いる?」
「あずさか、入りなさい」
「お客様と話してるんでしょ?」
「あずさに相談があるんだ。客人のことでね」
なんの相談だろう。
私でいいのかな。お母さん……いや、玲香さんに頼んだほうが。
「待って、玲香さんを呼んでこようか?」
「あずさでいいんだ、お前は年頃の娘だからね。これからの日々、不快に思うかどうか」
沙月爺の意図がわからない。
若い男の人。
まさか、私とのお見合いとか言いださないよね?
——復讐だ、僕を喰らった妖魔への。
霧島さんの顔が浮かんだ。
圭太さんとは今も話し込んでるのかな。いつまで町にいるんだろう。
もう会うことはない。
そんな人を思いだすのは、ここにある緊張から逃げだしたいからだ。
「何をしている、入りなさい」
言われるまま、ゆっくりと襖を開けた。
沙月爺が私を見上げている。束ねられた白い髪と紺色の着物。沙月爺と向き合い座っている人。白いシャツと沙月爺と同じ白い髪。
——若い男の人みたい。
お母さんったら、声だけじゃどんな人かわからないよね。来てるのお爺さんだったんだ。桔梗さんのお店で意気投合したのかな。となると相談がなんなのか気になるな。
沙月爺の手招きにつられちゃぶ台に近づいていく。急須と湯気を立てるふたつの湯呑み茶碗。お爺さんに近づいた私を包み込む匂い。
気のせいかな、霧島さんの香水に似てるような。
「あずさ、客人に挨拶を」
「うん。……こんばんは」
ピクリと動いた体。
私に向けられた顔。
「……え?」
体中がどくりと音を立てた。
まさか……こんなことって。
「霧島さん?」
私を見る鳶色の目。
霧島さんと同じ顔に浮かぶ戸惑い。あの人と違うのは薄青い肌の色。それと……頬に傷痕がない。
「彼には記憶がないんだ。今、霧島と言ったね」
「なんでもない。知ってる人に……似てる気がしたから」
沙月爺の目が鋭い光を宿す。
似た人に会うとは思わなかった。彼のそばにあるたたまれた白いコート。服装も霧島さんと同じなんて。
「あずさ、彼を見て思い浮かぶものはなんだ?」
「それは……あの」
霧島さんともうひとつ。
「オモイデサガシ」
私の呟きと沙月爺の笑み。
彼の真っ白な髪と肌の色はオモイデサガシを思わせる。黄昏時にしか町を彷徨わないはずの。
「オモイデサガシ?」
声も霧島さんと同じだ。
どういうこと?
私……狐に化かされてるの?
「なんですか? それは」
「この町で語られるあやかしだ。よく似てるんだ、君の髪と肌の色がね」
「あやかしに……ですか」
「あずさ、ここからが相談だが」
沙月爺がお茶を飲み訪れた沈黙。
不安げに沙月爺を見る彼と私の中を巡る緊張。
「彼を泊めようと思っている。賛成か反対か」
「いつまで?」
「記憶を取り戻すまでだ。このまま放ってはおけないだろう」
こんなことってあるのかな。
泊まる場所を探してた霧島さんと、泊まる提案を切りだされた霧島さんにそっくりな人。
「反対だと言ったら?」
「僕がどうすると思う」
「放っておけないんでしょ? 反対しても沙月爺は泊めるよね」
笑みを洩らし、沙月爺は満足げにうなづいた。
「僕をよくわかっている。あずさが言うとおり泊めるつもりだよ。誰が反対しようとも、君がよければの話だがね」
「僕は」
声が震えている。湯呑み茶碗に伸びかけた手がカタカタと震えだした。
「許されることでしょうか。何者かも知れない僕がここにいるなど。僕は……助けて頂いただけで」
「沙月爺、助けたってどういうこと?」
「黄昏時、倒れていた彼を桔梗さんが見つけてね。食堂に招き入れたんだ、客に見られないよう裏口から」
沙月爺はゴクリとお茶を飲む。
「帰りが遅くなったの、この人と一緒にいたからなんだ」
「ここには暗くなってから連れてきた。気を失っている間夢を見ていたようだ。誰もいない、何もない場所。僕が考えるに、夢ではないと思うがね。おそらくは、彼のひとつだけの記憶」
「何もないって……そんな場所、何処に」
「広場のような所だろう、たとえば更地。思いあたるのは、そうだな……霧島の家があった所か」
「えっ……え?」
それって、霧島さんが住んでた所? 沙月爺は霧島さんを知ってるの?
まさか……そんなはずは。
「あずさが慌てるとは驚いた。何か知ってるのか?」
「うっ……ううん。何も」
霧島さんのことを話したら沙月爺はどんな顔をするだろう。妖魔への復讐を考えている、そう聞かされたって。
会ったばかりで、もう会わない人。
沙月爺に話した所でオモイデサガシの何が変わる訳でもない。
「彼を見るなり霧島と言ったな」
「だからっ‼︎ それは知ってる人だって」
「あずさの知り合いと僕が言った霧島の家。偶然にしては出来すぎだが……まぁいいだろう。行き場のない彼を僕は助けたいんだ」
立ち上がるなり彼に近づいた沙月爺。彼の肩に乗せられた皺だらけの手。
「記憶が戻るまでゆっくりしていくといい。お腹が空いた頃だろう? 晩御飯、一緒にどうかね?」
微笑む沙月爺と、私を見る不安げな彼。
沙月爺は困った人を放っておけない。お父さんもそうだった。私は思ってたんだ、お父さんみたいな人になりたいって。
「宿泊先、探すのは大変です。沙月爺の好意に甘えてはいかがですか?」
「ここにいること……許されるんですか。……本当に?」
霧島さんは見つかるのかな、泊まれる場所が。今日が無理でも明日には見つけてるかも。明日が無理なら明後日……そんな調子で、霧島さんの野宿は続いたりして。
「しばらくの間、よろしくお願いします。そうだ沙月爺、名前はどうするの?」
「ふむ、
「白夜。僕の……名前」
今日は思いもよらないことばかり。
霧島さんと白夜さん。
黒と白の奇妙な人達。
ふたりに出会ったことが私にもたらすものは……何?
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