第3話

 僕を喰らったってどういうこと? 妖魔なんているはずないのに。

 嘘をついてるんだ、傷痕は事故か何かで。


「私をからかってるんですか?」

「からかう理由はなんだ」

「私が知ってることを……聞きだすため」

「話せることはないと言ったな。からかう価値もない」


 言い返せないままあとを歩く。

 早く買い物を終わらせよう。暗くなりだした町の中、店の明かりがやけに眩しい。照らされた霧島さんの黒髪も。


「いらっしゃいいらっしゃい‼︎ 今日の特売はほうれん草‼︎ にらと玉ねぎもお買い得だよ‼︎」


 八百屋さんの呼び込みと賑わう声が響く。


「それじゃあ、宿泊先見つかるといいですね」


 霧島さんから離れ入った店の中。

 最初に手に取ったのは見切りの人参。ほうれん草と大根をカゴに入れ見えたかぼちゃ。コンビニに行ったらちくわも買っておこう。熱々の煮込みうどんが楽しみになってきた。椎茸も忘れちゃだめっと。

 かぼちゃをカゴに入れレジに並んだ。レジを打つのは眼鏡をかけた女の子、見慣れない顔だけど新入りさんかな?


「いらっしゃいいらっしゃい‼︎ 今日の特売、どれもお買い得‼︎ 奥さん、いつもありがとうね」


 呼び込みにつられ、振り向いた先に霧島さんが見えた。泊まる所がなければどうするんだろう。


 ——復讐だ、僕を喰らった妖魔への。


 傷痕。

 本当に食いちぎられたなら、霧島さんを襲ったものは何? いるはずのない妖魔、他には動物しか考えられない。襲われたのはいつ? あの生々しさ……ほんの数日前なんじゃ。


「いらっしゃいませ、どうぞお客様」


 女の子がレジを打ち始めた。袋に入れられ音を立てる人参とほうれん草。私のうしろで会計を待つ人達。振り向き見える霧島さん、買い物をするでもなく立ったままだ。


「1082円です」

「あっ、はい」


 差し出した2000円を受け取り、女の子が会計ボタンを押す。お釣りを受け取り、レジから離れるなり霧島さんと目が合った。まさか、私を待ってたんじゃないよね。話せることはひとつもないんだから。


「愁夜? 帰ってきたのか」


 親しげな声が響いた。

 男の人が近づいてくる。黒縁眼鏡と真っ白なTシャツ、持っているのは1本のペットボトル。


「驚いたな、こんな所で会うなんて」


 霧島さんの顔に笑みが浮かんだ。男の人に向けられた穏やかな表情かお


「悪かったな圭太。今は東京にいる、出版社で働いてるんだ」

「そうか、元気ならいいんだ。ここから逃げたかった気持ち、今ならよくわかるしな。あんなことがあったんだから」


 何があったんだろう。

 霧島さんの日々を壊したもの。

 知りたい気持ちと知ることへの怖さ。私の中で何かが警告する。



 知ッテハイケナイ。

 知ッタラ……後悔スルカラ。



 ふたりを横切ってコンビニに向かう。何を話そうと私には関係ないことだから。


 ——あんなことがあったんだから。


 いるはずがない、妖魔もオモイデサガシも。そうだよね玲香さん。初めて会った人、過去に起きた事なんて気にすることじゃない。


「いらっしゃいませ」


 コンビニに入り、レジ前の大福餅に足を止めた。

 ひとつずつパック詰めされたもの、悠幻堂うちで売ってるものよりちょっと大きいな。伸ばした手を引っ込めてうどんを探す。

 歩きながらカゴに入れてしまった苺のチョコレート。玲香さんへのお土産だと自分に言い聞かせ、うどんとちくわをカゴに入れレジに立った。


 オープンしたばかりのコンビニ、見回す店内は明るくキラキラと輝いている。悠幻堂も始めた頃はこんな感じだったんだろうな。

 軽やかなスキャンの音。

 店員さんを前に、画面をタップしてお金を入れる。自動会計は便利だけど緊張する。


「ありがとうございました」


 お釣りとレシートを取って財布にしまう。

 沙月爺帰ってきてるよね? 玲香さんと一緒の晩御飯楽しみだな。

 コンビニから出て、空を見上げ見える月。

 暑さが和らいだ空気が心地いい。


「君」

「え?」


 霧島さんが立っている。どうしてここにいるの? 圭太って男の人と話してたはずなのに。


「霧島さん? どうしたんですか?」


 見せられた名刺。

 揚げ物屋の前で出されたものと同じだ。


「受け取ってもらおう」

「このために追ってきたんですか?」

「編集人の性分しょうぶんでね。さぁ」


 伸ばした手に乗せられた名刺。

 微かに触れた手の温もり。


「さっきの人は?」

「待ってもらっている。帰らせるつもりだったが積もる話があるらしい」


 霧島さんの視線を追い見えた圭太さん。眼鏡をかけ直して私達を見てる。


「仲がいいんですね」

「帰らないのか? 話すなら歩きながらだ」


 歩きだした霧島さんを追う。

 言われるまま歩いてるの、馬鹿みたいだけど逆らう理由もない。


「佐藤圭太は友達だ。会うつもりはなかったが」

「驚きました、霧島さんが町の住人だったなんて。家があるなら泊まる場所なんて」

「今は更地になっている」

「何かあったんですか」

「君には関係のないことだ」


 振り向きもせず霧島さんは言う。


「過去と今は違う、だから圭太と関わるつもりはない。話が終わり次第別れる」

「それじゃあ、宿泊先は?」

「圭太の世話になると思ったのか? 僕がどうするかは、君が気にすることじゃない」

「それは……そうですけど」


 野宿でもなんとかなりそうな人。今が冬でもこんな風に構えていられるのかな。


「愁夜、女の子と一緒だったんだ。東京から連れてきたのか?」

「町のことを聞いていただけだ。ここは……色々と変わってしまったな」

「僕は? 変わったか? 愁夜」

「最後に会った時と同じだ、黒縁の眼鏡もTシャツも」

「僕なりの変わらない努力だよ。愁夜に伝えたかったんだ。帰れる場所は必ずあるんだって」


 圭太さんの細まった目と優しい笑み。霧島さんは何も言わず私に振り向いた。


「ここでお別れだ。振り回して悪かったな」

「助けてもらったんだろ? 愁夜、お礼は?」


 何も言わない霧島さんに圭太さんは苦笑い。


「何か奢るよ、愁夜のかわりに」

「家族が待ってるので、失礼します」


 頭を下げ足早に通りすぎた。

 みんな心配してるだろうな。すぐ帰るはずだったのに。雲ひとつない夜の空、明日も暑くなりそう。

 買い物客が行き交う町の中。あのふたりは何処で話し込むんだろ。


 霧島愁夜さん。

 もう会うことはない。名刺を受け取ったのはあの人に乗せられただけだから。妖魔もオモイデサガシも私には関係ない。あの人に何があったのかも。


「いらっしゃいませー‼︎ メンチカツ、コロッケいかがですかー‼︎」


 千代おばさんの弾む声が響く。神坂食堂から漂う料理の匂いと、思いだした霧島さんの香水。玲香さんにも合いそうな匂いだったな。誕生日かクリスマスのプレゼント。玲香さんに香水を渡せたら……なんて。

 出て来たお客さん、いつも来てくれる親子連れだ。子供さんのお気に入りは、お母さんが好きなあんドーナツ。『ありがとうございます』ってお店の中でなら言えるのに。


「沙月爺、帰ってるよね」


 かすかな緊張と煮込みうどんへの期待。

 息を吸い込んで店に入った。


「おかえりなさい。お買物、お疲れ様」


 出迎えてくれた玲香さん。

 客がいない店内はやけに静かだ。


「ただいま、沙月爺は?」

「帰ってきてるわ。……でも」

「何? どうしたの?」

「驚かないでね、お客様を連れてきてるから」


 お客様?

 こんな時間に?


「もしかして桔梗さんが?」

「違うわ、どう話せばいいのかしら」


 玲香さんの顔に浮かぶ困惑。

 誰だろう、近所の人かお店の常連さん? 玲香さんを困らせるなんて、誰なのか想像つかないな。

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