カナタの空、明日の風

第42話

 黄昏時を迎えた悠幻堂。

 今日も町から人の姿は消えた。


 妖魔とオモイデサガシの消滅。知っているのは私の家族、それとミサキと玲香さんだけ。

 ミサキには、彼と出会ってからのことを全部話した。

 知られることは怖かったし、信じてもらえるかわからない。緊張のせいで上手く喋れなかった。


 ——あずさってば、私をからかってる?


 最初は信じる様子もなく笑っていたミサキだったけど。


 ——すぐには信じられないかな。でもあずさが嘘をつかないのを知ってるから。私だから話してくれたんだよね。他の人には言わないよ、なんだかドキドキするね……秘密の話ってさ。


 ペロリと舌を出したミサキ。

 話してよかったと思う。このまま黙っていたら、いつかはまた後悔する時がくる。怖くても不安でもやれるだけのことはやっておこう。

 あの日からそう思う私がいる。


「玲香さん、客がいないうちにお茶を飲もう」

「沙月爺ってば、お店はどうするのよ」

「あずさに淹れてもらおうかと思ってね。……静かだな、彼らがいないだけでこうも違うのか」


 彼と高瀬さんが東京に帰ってから過ぎる日々。それは静けさと寂しさに包まれるもの。


「高瀬君ときたら。飼い犬だけでも預けていけばいいものを」


 沙月爺のぼやきに続いた玲香さんの笑い声。


「それは無理な話ね、ワンちゃんは彼の宝物のようだから。あずさちゃんもそう思うでしょ?」

「上手いものを食わせていれば、なんの文句もないんだがね。あずさ、お茶を頼むよ」


 沙月爺に言われるまま、カウンターから離れ暖簾をめくった。


 妖魔の消滅。

 玲香さんは知らされる前に知っていた。気配が消えたことに気づいた形で。もうひとりの自分が消えた、そんな錯覚すら感じたらしい。あの日、お店を閉めたあとも、私達が戻るのを待っていてくれた。

 気を失った私を見て、ミサキを呼ぼうと言ってくれたのも玲香さん。私の気持ちを楽にしようと考えてくれた。玲香さんが帰ったのは、お母さんがミサキに電話するのを見届けてから。


 玲香さんと話しながら思った。消滅に気づいたなら知っているかもしれない。彼らの魂が何処へ向かったのかを。死後の世界があるかわからない、それでも聞かずにはいられなかった。


 ——玲香さんわかりますか? 妖魔とオモイデサガシが何処に行ったのか。


 ——えぇ、彼らは静かな所にいるわ。何もない訳じゃないの、闇の中眩しいものが輝いている。


 ——蒼真君は? ……悠華さんと悠斗さんも。


 ——同じ場所にいる。彼らは今とても安らかな気持ちね。広大な場所で自由を感じている。


 ——誰も……苦しんでないんですね? 


 ——大丈夫。私が生まれ持ったもの、役に立つことが出来た。


 玲香さんが言う広大な場所、それが何処かはわからないけど。苦しみから解き放たれた世界で彼らが感じている自由。それを知っただけで安心出来た。ただひとつ流れだした疑念と噂を除いては。


 悠華さんと悠斗さんがいなくなったこと。

 それは町の中大きな事件として取り上げられた。父親が言っていたとおり、和瀬の名前はこの町でかなりの権力を持っていた。父親の死が和瀬の名に影を落とさなかったのは、ひとり息子である悠斗さんの存在があったから。


 息子と引き取られた妹は何処へ行ったのか。


 疑いの目は執事や父親の知人、会社の従業員へと向けられた。和瀬の屋敷に残された財産や、ふたりの所持品に何ひとつ奪われたものがなかったこと。任意の事情聴取でも、語られたことに疑うべきものは何ひとつなかった。それらを踏まえ消えていった事件や事故の疑い。

 そこで担ぎ出されたのは、妖魔とオモイデサガシの噂。


 ——和瀬の兄弟は妖魔に喰われて死んだ。その魂はオモイデサガシとなり町の中を彷徨っている。


 ——霧島の家の跡地、和瀬の兄妹が入って行くのを見た人がいる。あの場所は呪われたままだ。


 ——不気味なものが跡地のまわりを歩いてたらしい。オモイデサガシってほんとにいたんだな。


 それらの声を……私は大学で聞くこととなった。


 お茶を淹れるより先に入った部屋。

 手にしたのは壁にかけていたコート。私が寂しくないようにと彼が置いていったもの。コートを纏い安心する。寒さに支配されていた彼を、温めていたものが私を包む。

 聞きたくもない噂、怖いものから私を守るように。


 東京へ帰る前日、私は彼に連れられるまま小屋に向かった。誰も足を踏み入れない場所でふたりになるために。

 窓を照らす陽の光とガラクタの中。話せるだけのことを話し、どちらともなく互いを欲しがった。

 彼から消えたもの。それは頬の傷痕あとだけじゃなかった。胸元の傷痕と体に刻まれていた斑点。

 彼の腕の中。

 私を満たしたものは悦びと、彼が自由を得た喜びだった。


 ——がんばらなくちゃ、高瀬さんに言われたこと。


 ——何を言われたんだ?


 ——妖魔とオモイデサガシを題材に、優しい物語が書けないかって。


 ——なるほど、あの人が考えそうなことだ。


 ——蒼真君や一族の子供達、みんなのために何かがしたいんだと思う。でも……私が書きたいのは、彩芽とカナタのことかな。


 ——妖魔を生みだした者か。高瀬さんに言ってみればいい。


 ——大丈夫かな、高瀬さんに嫌な思いをさせちゃったら。


 ——あの人を不快にさせるのは一族の人間だけじゃないか。あずさの気持ち、わかってもらえるよ。


 ——うん。……今日は埃をはたかなきゃ。高瀬さんに何を言われるかわかんないね。


 黄昏時を前に戻った悠幻堂。

 私達を待っていたのは桔梗さん。和室のちゃぶ台、いっぱいに並んだ神坂食堂の料理。


 ——沙月さんからの注文、知り合いを送りだすためだとか……なんだいあんた、白夜君にそっくりじゃないか‼︎


 彼を見て目を丸くした桔梗さん。

 咄嗟に彼が言ったこと。


 ——僕は……髪を染めてみたんです。目もコンタクトを入れました。沙月さんのはからいで……東京で働くことになって。


 ——そうかい、顔色がよくなったのも私の料理のおかげかねぇ。白夜君、東京が嫌になったらいつでも帰っておいで。


 バシバシと彼の肩を叩いた桔梗さん。

 彼がお金をばら撒いた本人だなんて、桔梗さんは夢にも思ってないだろうな。


 ——さぁ、遠慮なく食べておくれよ。沙月さんのおかげで神坂食堂は大儲けだ。


 ——僕は犬の飯を頼んだだけなんだがね。桔梗さんは耳が遠くなったのか。


 ワンッ‼︎ ワンッ‼︎


 ——やれやれ、今日は店じまいだな。あずさ、玲香さんを呼んできなさい。


 ——新人従業員さんと一緒に食事ね。まぁ、チロが喜んでるならいいか。


 ワンッ‼︎ ワンッ‼︎


 ——お爺さん、ありがとうございます。晩御飯を作る手間がはぶけるなんて。天国の主人も喜んでるかしら。



 私を勇気づける過ぎてしまったひと時。


 人を惑わし、時には傷つけるもの

 そんなものに負ける訳にはいかない。



 彩芽とカナタのモノガタリ。



 私に出来るだけのものを描きだすんだ。

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