第7話

 いるはずがない。

 人を喰らい、亡霊を生みだす妖魔なんて。悠華さんが嘘を言ってるとは思えない。だけどそんなものが本当にいるなんて誰が信じる?


「私があなたの立場なら同じことを考えるでしょうね。妖魔もオモイデサガシも馬鹿げた噂だと。あなたが私なら妖魔の存在を認めている。私のように考えるはずだわ、妖魔の力で復讐を遂げようと」

「……復讐?」


 霧島さんの声が私の中を巡る。

 妖魔への復讐を彼から聞かされたばかり。同じことを悠華さんは言った。聞かされるのは信じられないことだらけ。

 私……夢を見てるんじゃ。


「夢じゃないわ。これは現実よ、鹿波あずささん」


 細まった悠華さんの目と凛と響く声。


「私が話したことも、あなたが霧島愁夜に出会ったことも。あなたの前にもうひとりの人物が現れたこともね」


 白夜さん。


 あの日、帰った私を前に戸惑っていた玲香さん。玲香さんを戸惑わせたのは、白夜さんのオモイデサガシにそっくりな姿。私にとっては二重の驚きだった。オモイデサガシと似てるだけじゃない。同じ顔と声、霧島さんがもうひとりいるような錯覚だった。


「視えるんですか? 白夜さんのこと」

「えぇ、何もかも」


 何から、どうやって聞けばいいだろう。

 彼は何者なのか。

 霧島さんと似ているのは何故なのかを。


「そろそろ帰る頃でしょう。あずささん、私からの提案を聞き入れてくれるかしら」

「なんですか?」

「オカルト研究会に入ること」

「私が……ですか?」

「そう、メンバーはお兄様と私だけ。あなたが知りたいことを、少しずつ教えてあげるわ」


 知りたいこと。

 本当に知ることが出来る?

 霧島さんの過去、何があったのかも。

 だけど


 ——君には関係のないことだ。


 勝手に知ることは許されない。


「迷う必要はないわ、あなたが入ることは決まっているもの」

「店の手伝いがありますし、その……気になるサークルがいくつか」

「入ると言っているでしょう。あなたは私達と行動を共にする。霧島愁夜、彼の存在を踏まえてね」

「あの人に会うつもりは」

「会うわ」


 可憐な唇に笑みが浮かぶ。

 悠華さんを前に私はどんな顔をしてるだろう。告げられたものが冗談なら、悠華さんにつられ笑ってるのに。


「彼と会い続けるわ。あなたは足を踏み入れてしまったのだから。私達と同じ世界に」

「声をかけられただけです、泊まれる場所はないかって。私達には接点もないですし」

「接点はあるじゃない。白夜と名づけられた」


 ゾクリとしたものが私の背中をなぞる。

 白夜さんが現れたのは偶然じゃないってこと?


「悠華さん、あの」

「お兄様に伝えておくわ、あなたがオカルト研究会に入ることを」

「教えてください。白夜さんが現れたのは」

「焦らなくていいわ、少しずつわかっていけばいいの」


 悠華さんの手から離れたティーカップ。私達を包むミルクティーの匂い。


「悪いようにはしないわ、私達を恐れることもない。あなたが知りたいことを私は語るだけよ。霧島愁夜、彼の復讐を見届けなさい。その先にある未来がなんなのかも」


 復讐。

 未来。


 悠華さんには視えてるんだ、霧島さんがどうなっていくのか、その先にある未来ものも全部。

 私がどうするのか、どうなっていくのかも……妖魔の力で。


「困ったな、悠華さんと話したことミサキには話せませんよね」

「喜ばせてあげればいいわ。彼は運命の人だったと」

「そんな、嘘はつけません」

「嘘ではないと思うわ。言ったでしょう? 彼と会い続けると。知りたい? あなたと彼がどうなっていくのか」

「いえ、怖いです……未来を知ることは。言われたままのことが本当になるなんて」

「そう、怖いのは私も同じよ。妖魔を閉じ込めてから視えだしたもの。それは時に残酷なものを私に突きつける。何度も見せられたわ、血に染められた……死という未来を」


 閉ざされた悠華さんの目と訪れた沈黙。

 重苦しい空気、ミサキがいたらなんとかしてくれるのに。話の流れ、ちょっと変えてみようかな。


「悠斗さんとは顔つきが違うんですね。言われなければ兄妹だとはわかりません」

「それはそうよ、私達は血が繋がっていないのだから」

「そうなんですか?」

「私はある事情で、和瀬の家に引き取られたの」


 事情って……悠華さんが言った復讐に関係あるのかな。そうだ、妖魔のことを悠斗さんは。


「知っているわ。私と妖魔、お兄様は私のすべてを受け入れてくれたの。約束してくれた、ずっと……私のそばにいてくれると」


 訪れた沈黙の中、悠華さんが飲むミルクティー。

 妙に喉が乾く。飲まなくちゃ、私のために淹れてくれたものなんだから。なのに……手を伸ばせずにいる。

『無理はせずに』と悠華さんは微笑む。


「さぁ、ミサキさんに連絡を。楽しみにしているわ、あなたからの報告、占いの結果をね」













 メールを送るとミサキはすぐに迎えに来た。悠斗さんを横目に、苦虫を噛み潰しながら。


 悠幻堂に向かう途中。別れるまでに話したことは、オカルト研究会に入ることと悠華さんに言われたままの嘘。



 ——びっくりしちゃった。霧島さんはね、私の運命の人なんだって。


 ——あずさ、それほんと?


 丸くなった目と満面の笑み。


 ——そっかそっかぁ‼︎ あずさを大事にしてくれたらいいな。仕事を変えるよう言っといてよ、あずさを幸せにするのに大事なことだもん。



 嬉しそうなミサキを見て胸が痛んだ。本当のことで喜ばせてあげたかった。だって……ミサキは最高の友達だから。


「あずささん、どうしました?」


 私を弾く声。

 湯気を立てる湯呑み茶碗と白夜さんの笑み。草餅を食べ『ふむ』と呟いた沙月爺。


「お茶……白夜さんが淹れてくれたんですか」

「僕が出来るのはこれだけですから。すみません、お世話になっていながら役に立てることがなくて」

「白夜君が淹れるお茶は絶品だ。どの和菓子にも合う」

「沙月爺ったら、晩御飯食べたばかりじゃない」


 沙月爺の笑う声が響く。湯呑み茶碗を手に和室を見回す白夜さん、ちょっとだけ緊張がほぐれたように見える。


 静けさに包まれていた黄昏時、玲香さんと話しながら考えた妖魔のこと。

 妖魔は本当にいる、そう言ったら玲香さんはどんな顔をするだろう。

 笑うのか呆れるのか。

 話さなきゃいけない、妖魔のことを。そう思いながら話したのは、オカルト研究会に入ったことと和瀬兄妹のこと。詳しくは言えなかったけど、玲香さんは楽しそうに笑ってくれた。


 ——サークル活動がんばってね。


 がんばるどころか不安でしかない。悠華さんと妖魔に見られてるなんて。

 妖魔は何を考えてるのか。それに……悠華さんが言ったこと。


 ——霧島愁夜、彼の復讐を見届けなさい。


 見届けるって妖魔の消滅を? それとも、復讐を果たせないまま……霧島さんは。

 まさか、人が死ぬのを見せようとはしないよね。悠華さんは妖魔を閉じ込めているだけ、そんなことを考えるはずは。


「あずささん? お茶が冷めますよ」

「ごめんなさい、ちょっと……考えごとを」


 白夜さんの顔に浮かぶ柔らかな笑み。霧島さんもこんなふうに笑うことがあるのかな。


「沙月爺、白夜さんと話したいことがあるの。ちょっと出ててくれる?」

「おや、告白かな?」

「違う、他の話よ」

「聞かれて困るのは告白としか思えんな。白夜君もそう思うだろう?」

「いえ、そうは思いませんが」

「ふむ、白夜君は冷静だね」


 愉快そうに笑う沙月爺と、戸惑う様子もなくお茶を飲む白夜さん。


「孫に嫌われてはいかんな。どれ、桔梗さんへの差し入れを探すとしようか。白夜君、話が終わったら部屋に戻って構わんよ。僕への声かけは無用だ」

「はい、沙月さん」


 沙月爺がいなくなり訪れた沈黙。白夜さんの落ち着いた雰囲気と微かな緊張。


「あずささん、僕に何か?」

「聞きたいことがあるんです、たいしたことじゃないんですけど」


 こんなこと聞いてどうするのか。

 わずかな抵抗を感じながら息を吸い込んだ。


「白夜さんは信じますか? 運命を」

「運命……ですか」


 白夜さんの指が、トントンとちゃぶ台の上を叩く。


「どうでしょう、記憶が戻れば答えられるかもしれませんが」

「ごめんなさい、変なことを聞いて」

「何かあったんですか」


 白夜さんは霧島さんとの接点。

 ふたりと出会ったことで、和瀬兄妹と関わったことで私は……妖魔との接点を持ってしまった。

 私が今、白夜さんに問いかけるもの。

 それは踏み込んだ世界から逃げられないことを意味している。


 運命は動く。

 ためらい、怖がっても。


 運命は巡る。

 私の決断と後悔を絡ませながら。


「白夜さん、もしも」

「なんですか?」

「ある人に会って、記憶を取り戻せるとしたら」


 見開かれた白夜さんの目。


「私会ってるんです、白夜さんに似た人に。その人に会えば、わかることがあるんじゃないかって。……信じてくれますか?」

「信じます、あずささんは嘘をつけない人ですから」


 霧島さんと同じ顔が私に微笑む。

 優しく……穏やかに。


「その人には会えますか? 話が出来るでしょうか」

「名刺をもらってますから。……連絡してみますね」



 動きだしていく。

 霧島さんと妖魔に近づいていく日々が。


 これからどうなっていくのか。

 知っているのは、悠華さんと妖魔だけ。

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