過去の亡骸

第8話

 霧島さんに送ろうとして、打ち込んだものを消す。私ってば……同じことを何度繰り返してるんだろう。

名刺に記された電話番号とメールの送り先。電話だとしどろもどろになりそうだし、メールを送ろうと決めたものの。

 どんな返事が来るか怖い。白夜さんを見てどう思うのか、霧島さんと会うことで白夜さんの記憶は戻るのか。


「ありがとうございました」


 玲香さんの声が響く。

 もうすぐ訪れる黄昏時、お母さんと一緒の女の子が私を見てにっこりと笑った。持っているのはチョコ風味のカステラ。


「あの子のお気に入りみたい。いつも買ってくれるのよ」

「そうなんだ」


 玲香さん、お客さんのことよく見てるんだな。それに比べて沙月爺ったら。もなかを手に笑ってる、晩御飯のあと食べるつもりなんだ。


「ねぇ、食べすぎだよ沙月爺」

「あずさもどうだ? 色気より食い気と言うだろう」

「いらない、今はそれどころじゃないんだから」


 女の子がカウンターに来て、カステラとお金を玲香さんに渡す。食べるのが楽しみなのか、可愛らしく声が弾んでる。思いだすのは恥ずかしいけど私にもこういう時があったんだよね。


 カウンターから離れ見るスマホ。

 メールを送ったら私の日々はどうなっていくだろう。白夜さんの記憶が戻ったとしても、お母さんや沙月爺……玲香さんに何かあったとしたら。


 ——あなたは足を踏み入れてしまったのだから。私達の世界に。


 悠華さんの笑みが浮かぶ。

 ためらっても悩んでも……運命は……



 ——♬——♬——♬——♬



 鳴り響く着信音。

 驚いたな、悠華さんから電話がくるなんて。


「鹿波です」

「ごめんなさい、驚かせたようね」

「いえ、どうしたんですか?」

「今、悠幻堂に来ているわ」


 思わず見回した店内。

 買い物を終えた女の子が私に手を振っている。


「ある場所へ行こうと思うの。今日の私は案内人よ」


 今日の私って……占い師やら案内人やら、日替わり定食じゃないんだから。


「どこに行くんですか?」

「過去の亡骸」

「はい?」

「家の跡地、誰のものでしょう」


 跡地、私が知る場所を言っているなら。


「霧島さん……ですか?」

「そうよ。時間が許すなら、私の屋敷にも招待したいけど」


 屋敷?

 悠華さんが引き取られたのお金持ちの家⁉︎


「あの、悠華さんの家って」

「あなたが考えるとおりかしら。気負わなくていいわ、私は友達としてあなたと話してるのだから」

「そんなっ‼︎」


 釣り合いっこない、平凡な私が友達だなんて。


「わっ私が友達だなんて」


 悠華さんの笑う声が体を火照らせる。なりゆきとはいえすごい人と関わっちゃったんだ。


「私が話し方を変えれば、あなたも敬語をやめる? 言ったでしょう、気負わなくていいと」


 そんなの無理だよ。

 悠華さんとは知り合ったばかりだし緊張する。ミサキだったらすぐに打ち解けちゃうんだろうな。


「なるほど、不器用で正直な人。とにかく、行きましょうあずささん」

「待ってください、そんな所勝手に」

「行ってくるがいい」

「さっ沙月爺⁉︎」


 沙月爺がそばにいる。

 どうして? 何やってるの? 


「友達に呼ばれてるのだろう?」


 見せられた紙袋、入ってるのはいっぱいの和菓子。


「手土産を準備した、楽しんでおいで」


 場所が場所だし楽しむ場合じゃない。空気を読んでよ、沙月爺ったら。


「どれ、友達に挨拶させてもらおうか」

「えっ? ちょっと、沙月爺」


 沙月爺を追い見えた黒い車。人通りが少なくなった町の中やけに目立ってる。

 悠華さんが降りてきた。

 着てるのはピンクのワンピース。車の中で手を振っている悠斗さん、白いシャツがよく似合ってる。

 よかった、ドレスと燕尾服じゃなくて。


「いつまで持ってるの? それ」


 スマホを指して悠華さんは笑う。

 まいったな、バックがないしズボンのポケットに入れるしか。沙月爺ったらにこにこしちゃって。


「綺麗なお嬢さんだ、僕は悠幻堂の店主を務めている。手土産、気に入ってくれればいいが」

「ありがとうございます、沙月さんですね?」

「おや、僕を知っているのか」

「あずささんから聞いています」


 嘘だ。

 何も話してない、悠華さんは妖魔の力で。


「こちらのお菓子は美味しいと聞いています。後日お礼の品を」

「食べてもらえれば充分だ。あずさ、気をつけて行って来なさい」


 悠華さんに手を引かれ乗り込んだ車。


「——」

「え?」


 ドアが閉まる間際、沙月爺が言ったこと。

 聞き違いじゃないよね。確かに聞こえた『霧島』って。沙月爺は気づいたのかな、私達が向かう場所に。


 やっぱり、沙月爺は霧島さんを知ってるんだ。

 疑問と不安が巡る。

 私を連れていくのはどうして?

 悠華さんが言った過去の亡骸、これが意味するものは何?


「すごいな、和菓子がこんなに」


 紙袋を受け取った悠斗さんが感嘆の声を上げた。走りだした車の中、目を閉じた悠華さん。


「目的地に着くまで悠華は眠る。僕が話し相手じや不服かな?」

「いえ、喋っても大丈夫なんですか?」


 私と悠斗さんに挟まれた悠華さん。私達が話してたら眠れないんじゃ?


「悠華さんの邪魔になったら」

「心配無用、悠華はすぐに眠ってしまう。起こすのはひと苦労だが。これ、人気があるんだろ?」


 どら焼きを手に悠斗さんは笑う。


「動画で有名になったんです」

「知ってるよ。その動画は僕も何度か観てる。食べてみたかったんだ、僕も悠華も大の甘党でね」


 どら焼きを紙袋に入れ『さて』と悠斗さんは呟く。窓の外に見える金色の空。

 訪れた黄昏時。

 オモイデサガシ……どこかを彷徨ってるなら、その姿は悠華さんには見えるのかな。


「目的地は遠くないんだ。帰りが遅くなることはない、安心していいよ」


 静けさに包まれた町。

 霧島さんは今どこにいるんだろう、泊まれる場所は見つかったかな。


「あの、悠華さんはどうして」

「君を連れて行くかって? 君と霧島愁夜は大切な鍵だからさ」

「……鍵?」

「悠華の夢物語、その扉を開くもの」


 妙なことを言われてる。

 鍵、夢物語、これが意味するものは何? 妖魔とオモイデサガシは関係してるの?


「悠華が眠るうちに言っておく。何があっても

「え?」

「僕も和瀬の家の者も悠華に逆らいはしない、何故なら」

「……なんですか?」


 悠斗さんは口を閉ざし頭を掻く。


「やめておこう、君のためにならない」

「どういうことですか?」

「まだ知るべきじゃない。お嬢様のわがまま、そう思っていればいい。今のことは忘れてくれ」

「大丈夫なんですか? 悠華さんは眠っていても……その」


 妖魔。


 悠華さんの中で話を聞いてるんじゃ。

 私の考えを察したのか、悠斗さんは『ああ』と呟く。ペンとメモを取り出し、書き込んだものを見せてきた。



〈悠華の中で妖魔は眠っている。眠りは、妖魔が導いたものだ〉



 ほんとなのかな、化け物や幽霊が眠るなんて聞いたことないんだけど。メモに書いたのは運転手さんに知られないため? 妖魔のことは、悠斗さんと悠華さんだけの秘密なのかな。


「とにかく忘れてくれ、話せる時が来たら話すから。もうすぐ着くよ、霧島愁夜の家、その跡地にね」


 見慣れない住宅地と闇に染まりだした空。

 訪れる夜、私が足を運ぶのは。


「悠華、起きてくれ悠華」


 悠斗さんが触れ動く悠華さんの体。閉ざされた目が微かな動きを見せる。


「悠華、悠華……もうすぐ着くんだ。悠華、起きてくれ」


 開かれた目が微かに輝いた。

 黄昏と同じ金色の光。


「運転手さん、ここで止めてくれ。悠華、ここからは歩いていく。いいね?」

「えぇ、お兄様」


 悠華さんの唇から息が漏れる。


「あずささん、ドアを開けてくれるかしら」


 言われるままドアを開けた。車から出た私を追うように悠華さんが動く。


「あの、大丈夫ですか?」


 悠華さんのふらつく体を悠斗さんが支えている。どうしたんだろ、車に乗る前は元気そうだったのに。


「悠華さん、体調が?」

「気にしなくていいわ、力が入らないだけよ」


 それって、妖魔がまだ眠ってるから? 

 悠斗さんが起こさなければ、悠華さんは眠ったままだったの?


「行きましょう、お兄様」


 悠斗さんに支えられながら悠華さんは歩く。息遣いが荒い、ほんとに大丈夫なの?

 なんだか……妖魔がいなければ、悠華さんは生きていられないような。


「何してるのあずささん。私達について来て」


 夜の闇が包みだした町。

 ふたりを追い見えたのは立ち入り禁止の看板。


「悠華さん、霧島さんの家は」

「この先よ、看板の向こう」


 体中がどくりと音を立てる。

 悠華さんの可憐な声、その響きが怖いのはきっと





 ……闇のいたずらだ。

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