第25話

 明かりが消えた町の中、夏の空気と冷たい風。

 悠幻堂の前で高瀬さんが戻るのを待つ。

 夜空を見上げる霧島さん、彼の隣で話せることはないかと考える。


 彩芽という少女と真っ白な鹿。

 妖魔を生みだしたかもしれない何か。このことは高瀬さんが戻ったら話すとして。


 神坂食堂に目を向けた。

 高瀬さんとの話し声やチロちゃんの鳴き声。桔梗さんには聞こえなかったよね。ここに出て来られたらまた大騒ぎになっちゃうし。

 今話せるの、桔梗さんがみんなの前で騒いだことくらいかな。


「ここでちょっとした騒ぎがあったんです。女の人が襲われたとか。……不思議なのはばら撒かれていたお金。私のお爺さんは女の人を退けるためにばら撒いたものだと言ってます。女の人が」


 言えない……女の人が売春婦だなんて。

 脳裏をよぎる悠華さんの裸身、彼女を背後から抱きしめた悠斗さん。さっきまで感じていた霧島さんの感触。

 ふたりきりなのがやけに気まずい。

 私ってば、違う話題を考えればよかった。


「なっ何があったかは……その人達にしかわからないんですけど」


 馬鹿みたいに声が裏返ってる。


「僕だ」

「え?」

「金は僕がばら撒いた」

「そう……なんですか?」


 沙月爺は彼だと気づいてたんだ。


「家の跡地に足を運んだ日、君が帰ったあとここに来たんだ。場所を調べ、たどり着いたのは夜中だったが。声をかけてきた売春婦、金を撒いて突き放した。相手にするのが面倒でね」

「……なるほど」


 神坂食堂と千代おばさんの惣菜屋。闇に包まれたあの道で霧島さんに出会った。もしもあの時、千代おばさんが霧島さんに気づかなければ。

 霧島さんの隣に立つ今の私はいない。

 彼を想い心が揺れる、そんな私にはなっていなかった。妖魔の存在も知らず、オモイデサガシのことなんてどうでもいいままに。


「お金は家で預かってます。よかった、持ち主に返すことが出来て」

「戻る必要はないものだ。執着も興味もない」


 生きることにも。 


 横顔がそう言っているように見えた。 


 本当に彼には何もないんだ。

 復讐の先にある理想も展望も。


「駄目ですよ、働いて稼いだものなのに。私はまだ働く大変さを知りません。でも」

「稼いだものだからこそ、どう思おうと僕の自由だろう」

「……自由」




 ワンッ‼︎ ワンッ‼︎


 チロちゃんの鳴き声が聞こえる。

 高瀬さんが戻ってきたんだ。


「起きてたんだ霧島君。どうだった? 特別な枕の寝心地は」

「枕? なんのことだ?」

「あず」

「高瀬さんっ‼︎」


 出せるだけの大声。

 今の……桔梗さんに聞こえちゃったかな。私が桔梗さんを呼び込んでどうするのよ。

 だけどこんな形で知られたくない。私にもたれて眠ってたなんて。


「とっ、とにかく家にどうぞ。裏口から」

「車はここで大丈夫かな?」

「商品の搬入に使ってる駐車場があります。それはあとで教えますから」

「やっと食事にありつけるよ。よかったなぁチロ」


 ワンッ‼︎ 


 高瀬さんに答えるようにチロちゃんが鳴いた。


「何も買ってなかったのか? あの先にはコンビニがある」

「僕の目的はチロと散歩、買い物は計画外だよ」

「そのてきとうさが、女運を遠ざけている」

「てきとうだからこそ、気楽につきあえると思うんだけどなぁ。霧島君には、あずさちゃんがいるからそう言えるんだ」

「軽口には限度がある」

「あいにくと、僕と霧島君の限度は違うんだ」


 ふたりの話を聞きながらたどり着いた裏口。

 どの窓も暗い。


 ——君の家には連絡してるよ。


 悠斗さんはそう言ったけど、帰りが遅くなるって言ってあるのかな。言ってるならひとつくらい電気がついてそうなのに。

 鍵が閉まってたらどうしよう。家の鍵持ってきてなかったんだよね。

 ドアに触れノブを回した。


 ガチャリ


 開いてる?

 ゆっくりと開けて……



「おかえり、あずさ」


 明るくなった玄関と立っている沙月爺。

 寝る時の着物じゃない、私の帰りを見計らってここにいたの? 悠華さんには先のことが視える。遅くなることちゃんと伝えてたんだ。


「沙月爺、お母さんは? ……白夜さんも」

「ふたりとも寝ている。あずさを待つのは僕ひとりで充分だろう。それにしても」


 沙月爺の目がふたりに向けられた。


「こんな時間に訪問とは。君はよほど、僕の説教が好きらしいな……高瀬君」

「僕と沙月さんの仲ですからね。ほら、沙月さんに会えてチロも大喜びだ」


 ワンッ‼︎ ワンッ‼︎


 高瀬さんの腕の中で尻尾を振るチロちゃん。

 ふさふさ毛で可愛いな。


「犬で機嫌が取れるほど僕は甘くない。君も一緒か、僕を覚えてるかな?」

「覚えています。あの時は世話になりました」


 あれ? ……霧島さんの話し方。

 高瀬さんと顔を見合わせた。

『覚えている』そう返すと思ったのに。


「霧島君、いい青年になったな。顔の傷はあの時のままだが」


 霧島さんに向けられた沙月爺の柔らかな笑み。


「沙月さん、チロが腹を空かせてまして。何か食べさせてほしいんです。ついでに僕も」

「あいにくと僕は色々と忙しくてね。霧島君、金を落としてるだろう? 預かっておいたよ」


 沙月爺が差し出した封筒。


「……これは」

「君が働いて稼いだ金だろう? 持っていれば君のために動いてくれる。ばら撒いたことで、君の役に立ったものだ。持っていなさい」


 ためらいがちに伸びた霧島さんの手。

 乗せられた封筒を見る横顔が、微かな赤みを帯びた気がした。


「さて、霧島君がここに来た理由だが」

「彼女から聞きました。僕とオモイデサガシに似た人物がここにいると」

「そう、白夜という名は僕がつけた。彼を見た時、すぐに君を思いだしたよ。……疲れてるだろう、風呂に入ってゆっくりするといい」


 お風呂。

 帰ったらすぐ、私が入ろうと思ってたのに。

 汗ばんだ肌が気になる。

 何よりも体の中に残る妖魔の感触。

 綺麗に……洗い流したい。


「沙月さん、僕は?」

「君と愛犬は食べるものだろう? さぁ、台所へ来てもらおうか。あずさ、寝巻きとタオルの準備を」


 沙月爺と高瀬さんがいなくなった玄関。

 封筒を持ったままの彼。


「寝巻き……白夜さんが着てるものの予備があります。それでいいですよね。上がってください、散らかってますけど」

「……散らかり」

「どうしました?」


 問いかけに答えず、彼は玄関を見回している。

 気にいらないことがあるのかな。

 もしかして……綺麗好き?

 お母さんが片付けてくれる家、散らかってるって言ったの、ほんの遠慮というか……


「僕達が前に訪ねた時、君の父親も同じことを言った。妖魔に喰われた頬。彼は僕の怪我を誰よりも気にかけていた。……上がらせてもらおう」


 これから色々なことがある。

 彼と会うことで、白夜さんの記憶は戻るのか。

 高瀬さんを交えて話す妖魔のことや、私に見えた彩芽と鹿のこと。


 何よりも……彼が遂げようとする復讐。


 復讐の先にある、悠華さんが望み待つ未来。それが何かはわからないけど……それでも今は。


「お腹は空いてませんか? 食べたいものがあれば遠慮なく。材料があれば……ですけど」

「特にはない。……ただ」

「なんですか?」

「温かいもの、それ以外はいらない。家族が殺された日から……僕は寒さに包まれたままだ」


 妖魔が体に刻みつけた斑点の群れ。

 彼がコートを着てるのは、それを隠すだけじゃない。

 寒さを……遠ざけようとして……







 寝巻きとタオルを準備して向かった台所。

 入るなり見えたのは、チロちゃんを抱っこしてる沙月爺。高瀬さんが何か作ってる。

 なんだか、煙がすごいけど大丈夫?

 それに焦げ臭い、換気扇回さなきゃ。


「長旅で疲れてる客人が料理だなんて、あずさちゃんはどう思う?」

「あずさ、彼に気を遣うことはない。僕はとんでもない友人を持ったものだ」


 ワンッ‼︎ ワンッ‼︎


「あの、何を作ってるんですか?」

「食べられるものだよ」

「それは……わかるんだけど」

「風呂上がりに霧島君も食べるだろ? あずさちゃんも一緒に」

「あずさ、彼に合わせなくていい。腹を壊したら大変だ」


 ワンッ‼︎ ワンッ‼︎


「賢い犬だ、飼い主のことをよくわかっている」

「やだなぁ沙月さん。チロは楽しみなんですよ、僕の料理が」


 ワンッ‼︎ グルル……


 チロちゃんの鳴き声。なんだか否定的じゃない?

 東京での生活、料理を作ってたの霧島さんだったりして。

 彼を温める料理。

 作りたかったけど今は諦めたほうがいいみたい。


 これから先にある色々なこと。

 私の中を巡り続ける不安……なのに。



 心がやけに弾むのは、知らなかった彼のことを……知

っていけるのが嬉しいから。

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