第38話
彼らに訪れた沈黙。
白夜さんが言ったこと、彼はどんな気持ちで聞いたんだろう。知らされていなかった家族の存在。
その事実を。
「すみません、こんなことすぐには信じられはしない。僕も驚くばかりです、なんだか夢を見てるような」
白夜さんの声は震えている。
緊張と、彼にどう思われるかの不安。
「それでも嬉しく思います。僕には、存在する意味があったんだと」
「僕とオモイデサガシに似た人物。彼女から聞いた時、僕はこう考えた。おそらくは妖魔のいたずらにすぎないと。……だが」
彼が言葉を区切り、誰もがその続きを待つ。
「僕はすべてを失っていなかった。変わってしまった町の中。家族は変わらないまま僕を待っていた。帰って来たことに……意味はあったんだ」
白夜さんが兄か弟かはわからないけど。わかるのは今、彼の心に光が差したこと。
「僕は自分からひとりになろうとした。誰とも親しんではいけない、愛される資格はないと思っていたんだ」
「ひとりじゃなかったろ? 僕を忘れるなんて霧島君はいけずだねぇ。罰として、帰ったら今まで以上に働いてもらうから。覚悟しとくように」
「そろそろ本を売ることを考えるべきでしょう。高瀬編集長」
「いいんだよ売れなくて。最低限の生活が出来れば充分なんだから」
そっか、
「いつかは……私も」
町を出るなんて考えたこともなかったな。ましてや東京……私とは世界が違う気がする。それでも彼と一緒にいられるなら。
「霧島君のひと仕事。無事に……戻って来るんだろ?」
「僕は死にませんよ。彼女と一緒に生きていくんです。……沙月さん、僕達が戻ってくるのを待っててくれますか?」
一緒に。
言ってくれた、彼が……私と。
なんだか夢を見てるみたい、彼は本当に運命の人だった。ミサキに言ったこと嘘にはならなかったんだ。
「霧島君、まずは腹ごしらえだ、何も食べてないだろう?」
「しかし、彼女をひとりにしたままでは」
「君が行くのを蒼真はわかってる。あずさちゃんを悪いようにはしないよ。沙月さん、腹ごしらえは桔梗さんの店ですか?」
「君に食わせるとは言ってないがね。神坂食堂は評判がいい店だ、君の飼い犬も気に入るだろうか」
「気のせいかなぁ、僕への風あたりが強いのは」
「残念だが気のせいじゃないんだ。真夜中の訪問、その恨みは深いんでね」
沙月爺ったら。
寝不足のこと相当根に持ってるみたい。
「霧島君、向かうのは妖魔の所ですか? 君が言っていた……復讐」
「心配しなくていい。彼女と一緒に戻ってくる」
「僕も連れて行ってください。君に迷惑はかけません」
白夜さんも?
どうして、そんなことを。
「何度も元気づけられたんです。少しでも彼女に恩返しが出来るなら……駄目でしょうか」
私のため?
褒められるようなこと何も出来てない。私のこと良く見すぎだよ、白夜さんってば。
「構いません。あなたがそうしたいなら」
「ありがとう、霧島君」
白夜さんがここに来る。
生きていたら、家族と過ごすはずだった場所に。
「ちょっと待ってくれ、白夜君が行くとなると」
声を上げた高瀬さん。
どうしたんだろう、いつになく戸惑った声。
「オモイデサガシに似た姿、町の人に見られてはまずいだろう。そうなると僕の車で向かうことになるな。蒼真が傷つく場所に……僕は」
未来は決まっている。
だけど高瀬さんにとっては、家族が再び傷つけられる場所。そこに向かうことの残酷さ。
「すみません高瀬さん。僕はあなたの気持ちを考えもせず」
「いいんだ、白夜君が謝ることじゃない。蒼真は何もかもわかってるんだから。……行き先は君達の家の跡地。着くまでチロの世話を頼んでいいかい?」
「はい、僕でいいなら」
「ありがとう。僕はチロと一緒に君達を待つとするよ。それじゃあ沙月さん、腹ごしらえとしましょうか?」
「何度も言うが、君に食わせるつもりはない。白夜君も腹ごしらえ……これは出前だな。桔梗さんの分も頼むとするか」
粉々になったガラス玉。
私の手から奪い去ったのは強い風。みんなの声が途切れ、私はまたひとりの空気に包まれた。
知るはずはなかった過去。
ここにいない彼らのこと。
「蒼真君、私に見せるためにガラス玉を」
陽の光を浴びながら、風に舞う破片。
私と遊んでるつもりなのかな。彼がここに来ることも、蒼真君にとっては……友達との待ち合わせ。
「そうだ、飲み物」
喉の渇きを感じる、彼といた時から何も飲んでない。どうしよう、財布が無いし何も買えないな。
チャリンッ
雑草の中、渇いた音が落ち響く。
しゃがみ込んで見えた何枚かの硬貨。
「もう、蒼真君ったら」
埃まみれの服で買い物に行かせるつもり?
まぁ、ジュースだったら自販機で買えるけど。
「……トイレ、何処かで借りなくちゃね」
知らない場所、何処かのお店に入るしかない。
何もかもが蒼真君にはお見通しなんだ。ということは、彼とのことも視られてたんだよね。悠華さんにも……今になって恥ずかしさが込み上げてきた。
喉の渇きから解放され戻った跡地。
誰もいない場所で見上げる空、思いきり息を吸い込んだ。
——霧島愁夜、彼の復讐を見届けなさい。その先にある未来がなんなのかも。
訪れたオカルト研究会、あの時悠華さんに言われたこと。これから何が起こるのかわからない。私に出来ることはすべてを見届けること。
「あの雲」
おにぎりを思わせる形。
彩芽に見せてあげたいな。
私を包みだした匂い。
香ばしくて、美味しそうな。
振り向いて見えたのは近づいてくる悠華さん。
風に靡く黒いドレス。
悠斗さんが持つのはバスケット。入っているのは
「サンドイッチと唐揚げ、それと海老とブロッコリーのサラダ」
思考を読み取るなり悠華さんが話しかけてくる。食べ物なのは匂いでわかるけど。
「鹿波さん、お腹空いてるだろ? 一緒に食べよう」
悠斗さんがにこやかに笑う。
食べるも何もここは
「わかってるわ。霧島愁夜、彼がやって来るのでしょう」
悠斗さんが広げたレジャーシート。
並べられていくサンドイッチとサラダ。ボトルから注がれる飲み物。
「一緒に食事をと思ったの。あなたは今日、何も食べてないでしょう。これは私が和瀬悠華として作った最後の料理」
「え?」
「私とお兄様の……最後の食事よ」
ドクリ
体中が音を立てた。
どうして考えなかったんだろう。
悠華さんの中には
「……悠華さん」
「私の死、それは夢物語の扉」
悠華さんは微笑む。
穏やかな
「彼を癒すあなたの想い、そして彼の妖魔への復讐。それは扉を開くための鍵。この日を待っていた、妖魔を閉じ込め……夢が生まれた時からずっと」
「……悠華さん?」
「私と高瀬蒼真が語り合い、膨らませた夢よ。いつかの未来、愛される世界で自由を手に入れる。あなたと過ごすことで取り戻したかったの。日々を狂わされる前の真っ白な私を。あなたの正直さが好きだった。心から……友達だと思えるほどに」
「そんな……悠華さんが死ぬなんて」
心の中で何かが
どうして死ななきゃいけないの。
生きて叶えられる
生きて。
生きることを……選んで。
「悠華さん、生きてください」
「未来は変わらない、もうすぐ彼がやって来るわ。それが意味するのは私の死よ」
「それじゃあ蒼真君も? そしたら彼は、彼の……心臓は」
妖魔の中にある。
彼の命は。
「言ったでしょう、彼は死なないと。あなたは見届けるのよ、彼の復讐の果てを」
「悠斗さんは?」
「悠華を追う。生も死も僕には関係ない、悠華がいればそれでいい」
「お屋敷は? お父さんの会社だって」
「執事に任せてきた。仕事熱心な彼は信用出来る」
「執事さんは高齢なのに」
「僕よりずっと、世の中をわかっている。だから任せられるんだ」
顔を見合わせ、微笑み合ったふたり。
純粋で優しい。
何処までも真っ白な
……彼らの愛。
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