第37話

 体を起こしあたりを見回した。

 誰もいない。

 連れてこられたの私だけなんだ。彼は今何処にいるんだろう。埃まみれの服、彼と過ごした証。


「……ここ」


 いつかの夜の訪れ。

 悠華さんに連れてこられた跡地。あの時には気づかなかったことがある。それはここを囲う錆びた鉄の壁。彼が家族を奪われてから時を止めた場所。

 彼の復讐、それ以外に時が動きだすことはあるのかな。


 寂れた空気が私を包む。

 離れ見える看板と道路に向かう細い路地。

 あの看板を横切り足を踏み入れたあの日。彼と聞いた瑠衣ちゃんの歌声。


 瑠衣ちゃんと両親。

 亡霊となった彼らはここにいる。黄昏時でない今は町を彷徨うこともなく。

 だとしたら、彼の復讐を見届けるのは私だけじゃない。


「瑠衣ちゃん、何処にいるの?」


 答えるように現れた青い蝶。

 蝶が舞い近づいた雑草の中、陽に照らされた何かがキラキラと輝いている。『ここに来て』とでも言うように。

 近づいて見えたのはガラス玉。

 瑠衣ちゃんの誕生日。その祝いにと、彼が落として転がったもの。

 しゃがみ込み、触れようとしたガラス玉。


「あずささん」


 瑠衣ちゃんの声が聞こえた気がした。

 顔を上げ見える空。

 ふと思う。


 妖魔が何故、彩芽の体を溶かし消したのか。


 病に冒されていた彩芽。

 たぶん妖魔は考えたんだ。意識を閉じ込めることで彩芽を生かそうと。蒼真君を失うまいとそうしたように。


 ——私とカナタの未来。蒼真が……導いてくれる。


 彩芽が望んだカナタとの未来。導くのは蒼真君だけじゃない。

 きっと……妖魔も導こうとする。

 妖魔を生みだした血は、誰よりも彩芽のそばにいて寄り添っていたのだから。


 ——だって、憎しみは憎しみしか呼ばないの。幸せは幸せを呼んで、喜びは喜びを呼んでくれるから。


 彩芽の声が私の中を巡る。

 もしも。

 愚かさに気づく誰かが一族にいたら。

 彩芽が望みもしなかった復讐は、いつかの過去違う形で終わっていたかもしれないのに。

 蒼真君がいなければ、今も子供達が殺されていた。

 自由を奪われ、運命を呪ったままに。


「あずささん」


 瑠衣ちゃんの声。

 聞き違いじゃない、今確かに。

 少し掠れてる可愛らしい声。


「こんにちは、瑠衣ちゃん」


 答えるように蝶が舞った。

 ガラス玉に触れた瞬間とき


 風の中響きだした産声。

 追い聞こえるざわめき、それは私が知らないいつかの過去。



「お母さん、がんばって‼︎ あとひとり……もう少しですよ‼︎」


 助産婦の声?


「頭が出てきた。お母さん……がんばって‼︎」



 もうひとりが産声を上げ、ざわめきは喜びに包まれた。


「お母さん、ふたりとも元気な男の子ですよ‼︎」

「男の子? よかった。私の……赤ちゃん」


 この声、知ってる。

 聞いたんだ、瑠衣ちゃんに出会った夢の中で。

 優しい笑みを浮かべた女性ひと


 彼の……お母さん。


 ふたりの男の子。

 それが意味するのは。


「……白夜さん」


 彼はもしかして。



「子供達の名前、僕がつけていいかい? これから賑やかな日々になるな」


 この声、お父さんだ。



 強い風が私を包む。

 雲に覆われた太陽。



「……そんな」


 消え入りそうな呟きが風に滲む。


「どうして……何があったの。私の……子が」


 嗚咽が告げるもの、それは



 新しい命の死。



 風の音と鳥のさえずり。

 手の中のガラス玉、その冷たさが痛みを呼び寄せる。


「瑠衣ちゃん。もうひとりの……お兄さんが」


 舞い消えた青い蝶。

 ひとつの答えが浮かぶ。

 あれは蒼真君が作った幻だ。瑠衣ちゃんがいる場所を私に教えようとして。



「あなた、愁夜にはいつ話せばいいの? 私達にいたはずの、もうひとりの家族」

「君は今大事な時なんだ。お腹の子が無事に生まれ、成長した頃に」

「愁夜はいいお兄さんになるかしら」

「なるとも、優しい子じゃないか。大切にしていこう、今の幸せを。無くしたものを忘れずに……ずっと」



 雲が動き、太陽が眩しい光を放つ。


 家族が紡ぎ続けた絆と幸せ。

 亡霊になってでも無くした命と彼を想い続けてた。彼らが探している思い出は、戻ることのない幸せな日々。

 白夜さんには記憶がないんじゃない。最初から何もなかったんだ。

 彼が帰って来た日に現れた。

 家族の想いと絆が生みだした、無くした命の


「生きた……幻」



 音を立ててひび割れたガラス玉。

 破片をなぞり響くのは聞き慣れた声。


「僕が連れ出さなければ、彼女がこんなことにはならなかったんです。軽率だった、僕がもう少し冷静だったら」

「霧島君、まずは落ち着いてくれ」

「沙月さんは少しくらい慌てなきゃ。お孫さんが連れ去られたんですよ?」

「慌てる理由があるのかね? 高瀬君」

「ありませんね、連れ去った目的も居場所も目星はついている。……それにしても霧島君が取り乱すとはね。埃まみれの格好といい、あずさちゃんと何かあった?」


 高瀬さんの問いかけが呼ぶ沈黙。

 気まずさと同時に喜びを感じる。埃まみれのまま彼は私の家に戻っていった。身なりを気にする彼が……私のことを考えて。


「気持ちを確かめようとしただけだ。本当に……化け物じみた僕でいいのか」

「その結果が埃まみれねぇ。野宿といい、君の行動は読めないことばかりだな」

「高瀬さんの妙な行動には敵いません」

「何があったかは、あずさちゃんに聞いてみるとして」


 どうしよう。

 高瀬さんは本当に聞いてくるかもしれない。私も埃まみれだし、どんな言い訳で返せばいいだろう。


「あずさちゃんが連れ去られた。これが意味するのは、君にが来たということか」

「妖魔は未来が視える。その上で決められた……僕が向かう復讐」

「蒼真には考えがあるんだろうな。和瀬悠華、彼女と同化してから蒼真は黙ったままだ。僕が呼びかけても答えなかったのは」

「おそらくは、復讐の先にあるものを僕達に知られまいとした。彼らにとって、僕の復讐は必要なものかもしれない」

「復讐を遂げさせるためにあずさちゃんが必要だったんだ。君が少しでも躊躇ためらえば、彼女を傷つけてでも君を駆り立てようとするだろう」


 そうまでして、彼の復讐を待っている?

 蒼真君には何が視えてるんだろう。


 悠華さんが言った夢物語。

 蒼真君が導く彩芽の未来。


 これらが意味するのは……何?


「あずささんがどうしたんですか?」


 白夜さんの声だ。


「割り込んですみません。僕が聞いた所でなんの役にも立てませんが」

「白夜君が煎れる茶をあずさは美味そうに飲む。君は充分に役立っているよ」

「沙月さんの代わりに話そうか。あずさちゃんが連れ去られたんだ」

「誰に⁉︎ 何処へですか?」

「へぇ? 白夜君も慌てるんだ。中身も霧島君と同じじゃないか」


 高瀬さんってば。

 同じも何も、彼と白夜さんは双子なの。

 すぐにでも悠幻堂に行ければいいのに。たぶん、私の持ち物は彼が持ち帰ってる。白夜さんのこと、彼らに伝える方法はないの? 


「白夜君、あずさちゃんが好きだったりする?」

「……僕は」


 白夜さんの上ずった声と訪れた沈黙。 

 ちょっと待って、高瀬さんってば飛躍しすぎ。私のことなんて、白夜さんが気にかけるはずないじゃない。


「あずささんは優しい方です。彼女が笑っていると僕も幸せな気持ちになる。しかし彼女の心は」


 白夜さん……この言い方。

 そんなことあるはずない。私には出会いめいたことがずっとなかった。ミサキに心配されるくらい、私には何もなかったんだから。


「驚いたな、あずさは随分ともてるじゃないか」

「すみません、沙月さんを困らせるつもりはないんです。……霧島君に迷惑をかけられない。僕が言ったことは忘れてください」


 こんなこと聞かされたら。

 これからどんな顔で白夜さんに会えばいいだろう。


「……白夜さん」

  

 粉々に砕け散ったガラス玉。

 まるで、私の声に答えるように。



「この……気持ちは」



 白夜さんが呟いた。

 戸惑いと驚きが入り混じる響き。


「そうか……僕は」

「白夜君? どうしたんだ?」


 高瀬さんの問いかけに続く白夜さんの息遣い。


「何処からか響いたんです、ガラスが割れるような音。それが僕に告げました。僕は……霧島君と一緒に生まれ、すぐに死んだ双子の片割れです」

「なんだって?」

「僕も信じられません。ですが、僕を包みだした温もり。これは……僕を想っていた両親の……心」

「君がオモイデサガシにそっくりだったのは」


 沙月爺の声に『はい』と白夜さん。


「僕を作ったのは家族の想いの力です。霧島君に伝えたかったのでしょう。君は……ひとりではないのだと」

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