微睡みのカナタ

第22話

 ゴボ

 ゴボリ……


 体の中を妖魔が這いずる。

 痛みも痺れもない。わかるのは、音を立てながらゆっくりと体の中を巡っていること。


 触れるような、なぞるような気持ち悪い感触。

 早く……私から出て行って。


 ゴボ

 ゴボリ……


 男の子が私に笑いかける。

 親しげな光を目に宿らせて。


「あずささん、体の中に僕がいるのどんな感じ?」


 わかってるくせに。

 出て行って、見せたかったものを見せきったなら。

 帰ったらすぐお風呂に入ろう。全部洗い流すんだ、それで忘れるの。体の中を巡る……おぞましいものを。


「僕をわかってくれるのは、蒼波兄様と悠華だけ」


 わかるはずないじゃない。

 人を喰らうもの、わかってほしいなんて思うほうがどうかしてる。


「僕は運命を受け入れた子供」


 ……運命?


「妖魔の力を引き継ぎ、一族に殺されたのは僕だけじゃない。遡る過去、何人もの子供が殺された。いつかの未来、妖魔の力が途絶える時が来る。そう信じた一族が繰り返した愚かなこと。人を喰らう、すべてが視える力、おぞましい体……こんなものを誰が望んで引き継ぐだろう。怯えるまま殺された子供達。僕だけなんだ、運命を受け入れ妖魔として生きようとした者は。そうすることで……運命に牙を向けたんだよ」


 私の中、響きだしたもの。

 子供達の泣き叫ぶ声。


 繰り返し……こだまする。


 男の子に重なり見えるもの。

 子供達に振り下ろされる剣。



 ザクリッ‼︎



 体のどこかが音を立てた。

 一瞬、私を貫いた痛み。


 重く……鋭い。


 逃げながら、殺されていく子供達が次々に見える。

 その中で、恐れを見せず立っていた高瀬蒼真。

 大人達を見据えた彼を、容赦なく貫いた剣。


「僕の意識は妖魔と共に生き続けた。長い間、力を封じられる中願った自由。僕に出来たのは幻を作りだし、助けてくれる誰かを待つことだった。妖魔が秘める人への憎しみを受け入れながら。妖魔の力と醜い姿、悠華は僕の全部を受け入れてくれた。優しくて温かい悠華の中、やっと見つけた……僕の居場所」


 男の子が笑った。

 母親を慕うように、頬を赤らめて。


「あずささんの望みどおり離れるよ。僕がいた証、愁夜さんと同じもの……ほしい?」

「証って?」


 思わず声が漏れた。

 なんだか私、霧島さんのことに反応しすぎじゃない?


「体に刻みつける斑点の群れ。愁夜さんがコートを着ているのはそれを隠すため。あずささんは悠華の友達、そんなものをつけたら悠華に怒られるかな。……愁夜さんに伝えてよ、会える時を楽しみにしてるって」


 ズルズルと音を立てて、妖魔が離れていく。


 なんだか眠い。

 どうしてこんなに……瞼が重いんだろう。

 家に帰るの。

 お風呂に入って……それから……







「お兄ちゃんっ」


 声が聞こえる。

 可愛らしい女の子の声だ。


「お兄ちゃん来て、早く‼︎」


 女の子は何処にいるんだろう。

 声はすぐ近くから響く。


 金色の光の中。

 見えるのは何処かの空き地、それと近づいてくる知らない男の子。

 誰だろう、整った顔立ちの。


「お兄ちゃんっ‼︎」


 嬉しそうな女の子の声。

 もしかして私、この子の中にいるの?

 この子の記憶……それとも夢?


「瑠衣、家に帰るぞ」

「うん、あのね……お兄ちゃん」


 この子瑠衣ちゃんっていうんだ。

 お兄さんはなんて名前なんだろう。


「ひとつだけ、お願い聞いてくれる?」

「帰ったら聞いてやるよ。晩御飯、母さん何を作るのかな。父さん残業じゃなきゃいいけど。作りたての料理、みんなで食べたら美味いだろ?」


 差し出された手と向けられた優しい目。

 瑠衣ちゃんの小さな手が男の子に伸ばされた。握ってきた男の子の手、あったかくて心地いい。


「お兄ちゃん、笑って?」

「なんで笑うんだよ」

「笑ってほしいの、それがお願いだよ」

「そんなこと言われてもな」


 何かを探すように男の子はあたりを見回した。


「何も無いのに笑えるかよ」

「見てほしいんだ、お兄ちゃんが笑うのを」

「誰に?」

「お兄ちゃんが私の成長を重ねてる人。今ね……私の中にいるんだよ」

「成長? 重ねてるって……誰に?」


 男の子は首をかしげる。

 私の成長ってどういうこと?

 この男の子は……誰?

 私の心を何かがざわつかせる。

 弾むように高鳴って……なんだろうこの気持ち。


「愁夜、瑠衣」


 ふたりを呼ぶ男の人の声。

 離れた先に見える、スーツ姿の男性ひとと穏やかに笑う女性。

 今、愁夜って言った?

 愁夜って……まさか、まさかこの男の子。


「父さん? なんで母さんと一緒なの?」


 ふたりを見て驚いてる男の子。

 もしかして……霧島さんなんじゃ。


 瑠衣ちゃんも、あの人達も……妖魔に。


「仕事が早く終わってね、母さんと一緒に買い物をしてたんだ」

「お父さんが自慢の料理を作ってくれるようよ。さぁ、帰りましょう」


 振り向いた男の子の嬉しそうな笑顔。


「お兄ちゃん……笑った」

「何言ってんだ。帰るぞ瑠衣」

「うんっ‼︎」


 何かが離れていく感覚と目の前に現れた女の子。


「あずささん、お兄ちゃんをよろしく」


 にっこりと笑った顔。

 少しだけ、霧島さんに似た目元。


 手を繋いだふたりが駆けだしていく。

 金色の光の中、温かな風に包まれて。


 ——お兄ちゃんが私の成長を重ねてる人。


 霧島さんが、私と瑠衣ちゃんを重ねてる?

 私とは会ったばかり、そんなことあるはずがない。

 夢を見てるんだ。

 こんなの……夢に決まって……







「鹿波さん、目が覚めたかい?」


 私を見てる悠斗さん。

 綺麗に着こなした真っ白なシャツ。

 私と悠斗さんだけの部屋。


 今の、夢だったんだ。

 妖魔が見せたもの?

 まさかね……あんなに優しいものを妖魔が見せるはずは。


「あの、悠華さんは?」

「食事の準備をしてる。屋敷には僕と悠華の他、執事しかいないんだ。執事は料理が苦手でね、その代わり車の運転は上手いんだよ」

「ここに来る時、私が乗った車は」

「執事が運転していた。それと霧島愁夜の家、その跡地に行った時にもね」


 運転中の車、私が見た化け物は……妖魔に見せられたもの?


 部屋を照らす明かり。

 カーテンが閉められ窓の外が見えない。


「悠斗さん、今は」

「もうすぐ夜になる、僕達と食べるのは夕食だ」

「そんなっ‼︎ 帰らなきゃ」

「慌てなくていい、君の家には連絡してるよ」


 妖魔がいる所になんていたくない。

 だけど帰り方がわからないし、悠斗さんの言うとおりにするしかないのかな。


「夕食を食べたら、送ってもらえるんですか?」

「送るよ、ただし行き先は君の家じゃない」

「え?」

「霧島愁夜が訪ねる場所へ。向かうのは君ひとりだ、安心していいよ」


 全然安心出来ないけど。

 霧島さんが向かう場所って何処なんだろう。

 家の跡地、白夜さんが待つ私の家……他に思いつく場所なんて。


「驚くことばかりです。妖魔に見せられたこと、ふたりに初めて会った時には想像も出来なかった」


 あの日、オカルト研究会で悠斗さんが着ていた燕尾服。ミサキの苛立ちようや、悠華さんに聞かされたこと。漆黒の姫君、その響きがやけに印象的だった。


「僕が大学に入った時悠華と話したんだ。ひとつひとつ、楽しいものを積み上げていこうって。積み上げたものはいつか崩れる。それでも……僕達なりに取り戻したかったんだ。誰にでもあるありきたりな日々を」


 ドアをノックする音。

『さて』と呟いた悠斗さん。


「準備が出来たみたいだ。行こう、鹿波さん」


 悠斗さんを追い部屋から出た。

 私と目が合うなり、深々と頭を下げた執事さん。


「私……大丈夫かな」

「料理の味なら僕が保証するよ」

「味じゃなくて、その……ナイフやフォーク」

「マナーを気にしてるんだね。心配はいらない、悠華が作るのは和食だよ」


 ちょっとだけ安心する。

 お屋敷で食べるもの、豪華なものしか思いつかなかったから。


「鹿波さんは考えたことがあるかな。人が残した何か、死後に気づくものの重さを」

「人が残した……ですか」

「父さんが死んだあとも、会社の経営は順調なんだ。父さんは集めてたんだよ、会社を飛躍させる優秀な人材を。父さんの死を悔やんでくれる人達もいた。息子としてそれだけは誇りに思ってもいいのかな」


 廊下に飾られた何枚もの絵。いつかの過去、花が活けられていたはずの花瓶。

 大きな屋敷。

 悠斗さんと悠華さん、執事さんだけでは広すぎる場所。 


「静かですね」

「召使いがいた時は賑やかだったんだ。妖魔……違うな、僕と悠華が殺してしまった彼ら。僕はまだ、家族の人達に伝えられずにいる。彼らの死を……どう言えばいいのかわからないんだ」

「ごめんなさい。私……余計なことを」

「鹿波さんは思ったことを言っただけさ。ここが静かなのは本当だよ」


 悠斗さんの背中越しに見える開かれたドア、美味しそうな匂いが漂ってきた。私に向き合い、頭を下げた悠斗さん。


「さぁ、お客様。我が屋敷のディナーへようこそ」


 執事のような振る舞い。

 悠斗さんに誘われるまま入った食堂。










 テーブルに並んでいた肉じゃがと鮭の塩焼き。ほどよいしょっぱさの漬物。

 作った悠華さんの黒いドレス姿、なんとも不思議で微笑ましさを感じた夕食時。


 車の中、窓の外に見える夜の町。

 執事さんが運転する車の中、静かな時が過ぎていく。

 向かうのは、霧島さんが訪れる場所。


「すみません、送って頂いて」

「構いません、これも仕事ですから」


 本当に仕事熱心な人だ。

 話が続けられず、黙って窓の外を見る。

 知らない町の景色、河川敷を過ぎて林道を通る。

 外灯の他、明かりらしいものがない。こんな所……霧島さんは何をしに来るの?

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