最終話

 繰り返す日々の中。

 いつしか噂は消え、耳にするものはすぐに消える話題だけになった。彼らは忘れている、私を何度も傷つけたことを。そして、知らないうちに誰かを傷つけていく。誰かに傷つけられる、その恐怖と悲しみを知らないままに。


 私は自分らしく生きるだけ。

 見たいものを見て、考えたいことだけを考える。

 幸せと喜びの芽吹きを探しながら。





 ***





 書き終えた原稿ものを手に訪れた東京。

 迎えに来てくれた彼。

 町とは違う街並みと賑やかさ。比べものにならない人の多さに目がくらんだ。


「大丈夫か?」

「うん、すぐ慣れると思う」

「僕達の出版社は静かな場所にある。タクシーに乗ろう」


 彼のあとを追って歩く。

 白夜さんを思いださせる白いシャツのうしろ姿。


「高瀬さんが本にしてくれるんだね。びっくりしちゃった、高瀬さんが挿絵を描くなんて」

「帰ってくるなり彼が始めたのは絵の練習だった。雑誌の仕事そっちのけでね」


 売れないオカルト雑誌。

 その響きが微笑ましいのは何故だろう。

 私の物語も売れないものの仲間入り。それでも読んでくれた誰かの心を温められるなら。その温もりは……少しずつ世界に広がっていく。


 タクシーに乗り、運転手に告げられた知らない場所。東京のこと少しずつわかっていかなくちゃ。


「出版社の前に行く場所がある」

「何処?」


 彼は答えずに窓の外を見る。

 何処だっていい、彼がいればそれだけで。


 窓の外に見えるビルの群れ、町と違う雰囲気の中私の心は弾む。何日も見続ける夢、このことを話したら彼はどう思うだろう。


「あずさ、目を閉じててくれないか?」

「どうして?」

「すぐにわかる」


 彼の意図が掴めない。

 それでも言われるまま目を閉じた。







 タクシーが止まって払われた料金。

 ドアが開く音と私に触れた彼。


「降りるぞ、あずさ」

「まだ開けちゃ駄目?」

「もう少しだ」


 彼に支えられながら降りた場所。



 ジャリ……



 靴越しに感じ取る地面の感触、走り去るタクシー。


「さぁ、開けるんだ」


 目を開け見えた満開の桜。

 私達は桜並木の中に立つ。


「綺麗」


 背中を押されるまま歩きだした。

 何処からか響く子供達の笑い声。


「君が言ったことを叶えたいと思った」


 私の心を弾かせる彼の言葉。

 彼と結ばれたあの日、私が言ったこと。


 ——来年も再来年も……一緒に桜が見れたらなって思うんです。


 彼がこのまま東京で暮らすのか、いつかは違う場所へ向かうのか。わからないけど、これからも一緒に桜を見ることが出来る。


「話したいこと、聞いてくれる?」


 弾かれた心がときめきを呼び寄せる。こんなにも未来が待ち遠しい。


「同じ夢を見るの。未来に出会う……私達の子供」


 風に揺れる桜の鮮やかさ。

 夢のようなひと時の中、込み上げる想いを噛み締める。私達が生きる今と未来、そこにあるのは幸せの芽吹き。


「女の子でね、彩芽の生まれ変わり」



 夢の中、私達の娘は無邪気に笑う。

 黄昏時、彼と娘との帰り道。

 繋いだ小さな手、柔らかな温もりと私達を包む可愛らしい声。


『晩御飯、食べたいものは何?』


 私の問いかけに、娘は満面の笑みでこう答える。


『おむすび‼︎』


 いつか訪れる未来、その眩しさが私を包む。



「……あの雲」


 見上げた空に浮かぶ大きな雲。

 それは真っ白な鹿を思わせる。


 カナタは……空の中で私達を見守ってるんだ。


 風に舞い流れる花びら。

 私達を包み込む春の風。

  

 微笑む彼と肩を並べ歩く。


 晴れやかな空。

 それは明日あすの風を呼び続ける。



 いつまでも……ずっと。









【黄昏の妖魔〜オモイデサガシのモノガタリ・完】

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黄昏の妖魔〜オモイデサガシのモノガタリ 月野璃子 @myu2568

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