3

「大変だってよ」

「だから何がだよ」

「あれだよ!」


 信号が青に変わった横断歩道を足早に渡ると、俺は急かされるようにして猛田に腕を引っ張られ、通学路を急いだ。

 既に道路は騒然とする学生で溢れかえっていて、その視線の先には警察のパトカーがサイレンを回しながら停車しているのが見えた。

 何だろう。その光景に俺は既視感があった。


「今朝放火犯が焼死体で発見されたってあったろ? あれな、俺たちの学校の中だったんだよ。今警察が入ってて、生徒は全員校舎から締め出されてる」

「えー、何よそれ」

「学校は無事なのか?」

「さあ。ただ消防車も駆けつけてるし、よく分かんねえ。中に新聞部の連中が忍び込もうとしてたから、その報告待ちかな」


 そうだ。以前は確か、学校の爆破予告があって、それで実際に爆破されたんだ。しかも標的は俺たちの教室だった。

 あのボロボロに崩れた教室で、倒れた猛田と未央や他の生徒たちの姿を俺は目撃している。その教室にいたのは、光に包まれた金髪の女性――蘇芳エルザだ。俺はあの時、夢の中で彼女によって殺された。


「あの、蘇芳さん。ちょっと、いいかな」

「はい」


 彼女は疑問も持たずに頷くと、未央と猛田に断った俺について、人混みの向こう側へと一緒に来てくれる。

 脇の路地を百メートルほど歩いたところで、俺はビルギットに少し離れているよう頼んだ。


「ですが、姫様」

「ビル。構いません。離れていて下さい」

「分かりました」


 唇を噛み締めると、一度は拒否したビルギットが、俺を睨みながら距離を取った。五メートル、十メートル、いや、五十メートルは離れてくれただろうか。しかしそこから動こうとはしない。

 俺は周囲を見て、他に人がいないことを確認すると、こう切り出した。


「蘇芳さんは俺を一度殺したことがある?」


 完全に予期していない質問だったのだろう。彼女にしては珍しく「今、何とおっしゃいましたか?」と聞き返した。


「学校の教室だ。あの日、爆破予告があり実際に爆破された俺たちの教室に入った俺を、君は光の剣で殺しただろう?」

「意味が、よく分かりません」

「今までは全て夢の出来事だと思っていた。けれど、妙なんだ。先週の土曜日、それは君たちが俺の目の前に現れた日だ。あの日、確かに学校は一度爆破された。それなのに気づいたら何事もなかったかのように日常生活は続いていて、君が俺たちのクラスに転校してきたんだ」


 今までにそういう記憶の齟齬そごというか、夢なのか現実なのか、よく分からない境界の曖昧な時間を過ごしていると感じた経験はある。けれど今回のように明らかに歯車が上手く回っているように見せかけられていながらも、回転数なのか、そもそもの歯車の大きさなのか、とにかく何かが違う、と感じてしまうのは初めてだった。それは蘇芳エルザという存在が、俺にそう感じさせているのか、それとも実際に俺が体験しているのか、よく分からない。

 だから今、それをはっきりさせる為に彼女に質問をぶつけていた。


「あの日、授業終わりに俺と猛田が気づいたんだ。窓が、割れてた。一枚だけ、猛田の傍の窓が割れていたんだ。ひびが入っているとかという程度ではなく、粉々に砕け、窓枠に微かに欠片が残っているほどの割れ方だったのに、誰も気づかなかった。それは流石におかしいよ。でも、その日以降、俺はその謎の割れた窓について考えることをしなかったんだ」


 何が言いたいのかを探っているのか、蘇芳エルザの表情から笑みの要素が消えた。


「これは俺自身がおかしい、ということだ。君は以前、異世界からここにやってきた、と言った。それも転生してきた、と言ったんだ。そうだ。転生という言葉を使っていたことを思い出した。その時に確か君は“俺も転生者だ”と言ったんだ。覚えているか?」


 彼女は声に出さず、ただ一度、こくりと顎を上下した。


「もしそうなら、俺が体験しているこの違和感の正体は、その転生なんじゃないのか? 転生とは、何だ?」

「言葉のままでございます。生を転じる。ガウタマ・シッダールタという方を、ご存知でしょう」


 それはよく“お釈迦様”と呼ばれている、世間一般では仏教の開祖とされている人物の本名だ。紀元前に北インドで生まれた彼シッダールタは王族であり、裕福な身の上だったが、老人、病人、死者、そして修行者と出会い、出家した。その後、三十五歳で悟りに達して仏陀となった。

 簡単に説明するとそういう人物だ。俺もよくは知らないが、その名を何故わざわざ「ガウタマ・シッダールタ」と呼んだのか。


「それでは彼が開いた仏教の世界観を、ご存知でしょうか?」

「流石にそこまで宗教に精通していないが、仏教と言われるとまず一番に浮かぶのが輪廻転生だ」

「その通りでございます。輪廻転生、つまりサンサーラのことですが、これは死後、生前のカルマによって次の生が決まるという考え方のことです。つまり仏教の世界観では他の、例えばキリスト教のような死後の世界というものが基本、存在しません。死ねば誰もが何かしらの生き物となって蘇るのです」

「そうか。輪廻転生するなら確かに死後の世界の考えは必要ないな」

「ですが、その転生した後の世界がどの世界なのかということを、考えたことはおありでしょうか」

「それは転生した後の世界は、転生する前と異なる、と言いたいのか?」


 ええ、と彼女ははっきり口にした。


「転生する。その仕組みに気づいたガウタマ・シッダールタは悟りを開き、仏教を興しました。しかしご自身が転生してみたことはなかったので、まさか転生した後の世界がそれまで自分が生きてきた世界と異なる、とは思わなかったのでしょう。これは言い換えると、転生すればそこがたとえ今までと同じ世界に見えたとしても異世界だ、ということになります」

「異世界……」

「はい。転生した先は異世界なのでございます。つまり、ここもまた、異世界」

「だから君は異世界から来た、と言ったのか? 転生して、きたから?」

「そうです」


 転生、と口に出してから、彼女の僅かに寂しそうに細めた目元を目撃し、俺はその意味を理解した。


「自ら死を選んだ、のか?」

「はい」

「俺を守る為に?」

「ええ、そうです」

「だが君はあの時、俺を殺した。何故だ?」

「わたしは、信永さまを、殺してはいません……」

「嘘だ! 君はあの日、教室に現れて、俺を」


 背後からだった。


「何を!?」


 いつの間にか迫っていたビルギットが俺を思い切り突き飛ばし、俺は受け身も取れないまま左肩から強かアスファルトに打ち付けられた。

 だが呻いたのは俺ではなく、ビルギットの方だった。彼女の右肩から背中に掛けて、服が千切れ飛び、そこから血が滲んでいた。

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