15

「は、はじめまして。ひめ……じゃない。蘇芳さんのお友だちの紅石あかいしビルギットです」


 居間でテーブルを囲んだ俺、猛田、未央、それに蘇芳エルザはソファに座りながら、まるで法廷の証言台に立たされたかのように一人だけテーブル席から離れたカーペットの上で正座をして悲痛な表情を浮かべている褐色の肌の彼女を、注目していた。


「お友だちの彼女さんもこっちに引っ越してきたの?」

「私は常にひめ……じゃない、蘇芳さんを守ることが使命だ……です。なので、蘇芳さんあるところに私もいる。そういう関係性なのです」

「守ることが使命ですって。何だかとっても素敵な関係」


 未央は手を組んで何やら妄想しているようだ。口がだらしなく開いている。


「じゃあ、紅石ちゃんもうちの学校に転校してきたの?」

「ちゃん?」

「あ、すみません、つい。紅石さん……」


 猛田はビルギットから鋭い目線を投げ込まれ、一瞬で対応を変えた。言葉遣いだけでなく、何故かソファの上で正座をしている。


「学校には行っていない。ひめ……じゃない、蘇芳さんとは生まれも育ちも違う。私にはそのような場所に行く資格などないのだ」

「ビル。あなたにはいつもお世話になっている身で、こんなことを言うのも何ですが、自分を卑下しないで下さい。少なくともここでは誰もが平等です。そうでしょう、ねえ、信永さま」

「ああ。気にするなといっても難しいかも知れないが、失礼があれば謝るし、話したくないことは答えなくてもいい。ここにはあんたを痛めつける奴はいない、ということだけ分かってもらえばいいよ」


 お姫様に彼女を守る使命を持った従者の女。あまりにも俺たちの暮らしとかけ離れているが、本当にそういう暮らしをしてきたのなら、俺たちの分からない身分制度や階級制度によって多くの屈辱を受けてきた可能性もある。それらに対して簡単に「分かる」と言うことは楽だが、ずっとそれが現実だった身からすればそんな簡単に分かられても溜まったものじゃないだろう。だから俺はこういう時、簡単に「わかる」とは口に出来ない。


「腕を捻じりあげたり、床に組み伏せたり、そういうことはされたがな」

「え? 信永、そんなことしたの? ビルちゃんに!?」

「それは彼女が襲ってきたからで正当防衛というか」

「えー! ビルちゃん信永を襲っちゃったの? かなり肉食系な感じ?」


 どう勘違いしたのだろう。未央は楽しそうに目を輝かせている。


「てことはあれか、彼女じゃなくて、蘇芳ちゃんのライバルってことか? そうだろ、なあ信永」

「ら、らいばる? 私が? 姫様の?」

「それも違うからな」


 俺は更に勘違いしている猛田に対し、慌てて否定の声を投げる。それはビルギットがつい口にしてしまいそうになる「姫様」という言葉をかき消す為でもあった。

 事前に蘇芳エルザに頼まれたのだ。


 ――わたしが姫だということは、桂木さん、猛田さんのお二人にはご内密にお願いします。


 と。

 それは俺に対しての自分が姫様だという告白でもあったが、どうも向こうは俺が既に知っていると思い込んでいるようだ。それとも彼女が言う“俺のことを知っている”に含まれているのだろうか。


「それで、蘇芳さんのことが心配で俺の家に様子を見に入っていた、という訳だ」

「信永、それってさぁ……やっぱり同棲することが決まってるってことだよね?」


 未央の視線が痛い。


「だから何度も説明したろ? 俺は聞いてないし、もし相談されてたら幾ら俺の両親が傍若無人だろうと絶対に反対してたからな。だいたいビルギットさんだって同棲には反対なんだよな?」

「当然……いや、賛成、している」


 おかしい。

 と思って視線を辿ると、にこやかな蘇芳エルザの笑顔が真っ直ぐ彼女に向けられていた。


「とにかくだ、ちょっと待ってくれ。今母親に連絡取ってみるから」


 立ち上がり、廊下に出ると携帯電話を操作する。いくら出張中とはいえ、繋がらない場所にはいないだろう。


「おかけになった電話は電波が届かない場所にあるか電源を――」

「おい!」

「どうしたの?」

「電話、繋がらないわ」

「じゃあ諦めて同棲するしかないの?」


 未央の溜息混じりの声に、俺は頷くべきだろうかと逡巡する。


「あの、蘇芳さんたちさ、今どこに泊まってるの? ホテルか何か?」


 できればそっちでもう一、二泊してもらっている間に対策を考えたいものだが、俺の問いかけに対し、蘇芳エルザも紅石ビルギットも互いに視線を合わせ、考え込んでいる。


「いや、ほら、どこかに宿泊している訳だろう? 今日だってそこから学校に来たりしたんだろうし」


 蘇芳エルザは真っ直ぐに俺を見つめていた。その栗色の瞳は純粋だし、とても美しいとは思う。ただその視線の意図がさっぱり分からない。


「あ、そうだ。どうせだから未央の家に泊まればいいんじゃ」

「そうよ! それがいいわ! ねえ、蘇芳さんたち、そうしなよ。ちょっと狭いけど、女子会楽しそうだし」

「女子、かい?」

「女の子同士、色々と男子には話せないことがあるでしょうよ。そういうのをお菓子とお茶を囲んでだらだらとお喋りするの。楽しいよ?」


 そうしてくれれば助かるし、寧ろその案を受け入れて、ちゃんとした住処が決まるまでの間、未央の家に居候してもらいたい。


「私は構いませんが……」


 ビルギットも賛成のようだ。しかし彼女は蘇芳さんの表情を伺うように、何とも小さな声だ。


「桂木さんのお申し出は大変嬉しいし、わたしもその女子会というものに興味があります。けれど、信永さまと共に暮らすというのはわたしにとって何よりも大切にしなければならないこと、それは運命という言葉よりずっと重い、わたしの人生なのです。ですから、申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」


 丁寧な言葉の中に、蘇芳エルザの覚悟とも思える内容が含まれていた。何故それほどまで彼女は俺と一緒にいたいのだろうか。いや、俺と一緒にいなければならないのだろうか。

 それを考えているところで、玄関のインターフォンが鳴った。

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