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「君! 中は危険だから駄目だ! おい!」


 俺は消防士が制止するのを振り切り、下駄箱を抜ける。中はまだ煙が漂い、足元には砂のような細かな粒子が散らばっていた。スニーカーで歩くとざりざりとした心地で、俺はシャツの袖を軽く噛み、呼吸に気をつけながら階段に向かう。

 爆発だけなのか、それともどこかが燃えているのか、それもよく分からない。ただ大きな振動を感じたのはあの一度切りだったから、二つ三つと仕掛けてある可能性は低いと見てもいいだろうか。

 階段の踊り場で倒れている生徒がいた。同じクラスの細貝美和だ。確か今は副委員長を務めている、真面目さがその古式ゆかしい三つ編みにも出ている。


「大丈夫か」


 返事をしたようだったが声は出ていない。俺が抱き起こすと小さく咳き込み、それからレンズの割れた眼鏡から、その円な瞳を向けて言った。


「桂木さんたちが……」

「未央がどうかしたのか?」


 言葉を探すように俺を見ると、彼女は黙って首を横に振る。


「おい! 君!」


 背後から先程の消防隊員の声がした。


「彼女、お願いします!」

「君も要救助者なんだぞ!」

「お願いします!」


 細貝美和の体をゆっくりと置くと、俺は二階に駆け上がる。

 一階部分より更に煙が酷く、視界がほとんどない。


「おい! 誰かいるか!」


 別の消防隊員の声だ。一人だろうか。


「誰かいますか?」


 もう一人。

 教室に近づくと明らかに温度が上がった。机や壁に貼られた紙なんかが燃えているのだろう。それに壁紙も。妙な臭いが漂っている。

 天井は大きく開き、上へと煙が昇っている。微かに空は見えたが、放水の雨がどこからともなく降り注いでいて、とても見上げてなんていられない。


「そこにいるのは生徒か?」


 俺に呼びかけたのだ、と思った。けれど次の瞬間、


「おい、君、何を?」


 呻き声に続いて、倒れた重い音が聞こえる。


「どうした?」


 もう一人がそちらに寄っていくが、


「何だ? え」


 再度、重く倒れた音が響いただけだ。

 俺はこの場に異質な人間が潜んでいることを理解し、爆発現場ということだけでなく、緊張感を高めた。

 煙の奥を睨む。

 だがあまり長居はできない。姿勢を一度低くし、重く沈んでいる空気を吸い込むと、俺は一気に駆け出す。

 影があるのは分かっていた。

 教室の黒板の前だ。窓側は大きく破壊され、そちらにも煙が流れている。

 と、その影が突然発光した。

 あの夢で見た光とよく似た球状のそれは影と重なると、そのまま吸い込むようにして一度影を消し去り、それから風になった。不意の突風が、教室に漂っていた煙を一気にはらう。

 そこに立っていたのは、金髪の彼女だった。全裸ではない。足元までを覆う透けた紫色のローブをまとっていて、影になってその優美なスタイルが映っていた。ローブには腰の辺りまで大きくスリットが入っており、はためいたところから彼女の脚どころか大事な部分までが露出してしまいそうになっていたが、彼女に気にする素振りは見られない。その紅色をした大きな瞳を二つ、こちらに向け、口元に微笑を湛えている。


「君が、やったのか?」


 煙が晴れた二年五組の教室の、辛うじて残っている床の上に、何人もの生徒が倒れている。その中の一つ、窓際で落ちそうになっているのは猛田信春を思わせたし、一番前の席のところにうつ伏せになっているものは桂木未央を想像させた。ただシャツが飛び散り、下着が露出し、肌も赤く焼けただれてしまっていて、この場からでは判断はつかなかった。


「さあ」


 彼女は寂しげに、息を吐くようにそう答える。


「君がやったのかと、俺は尋ねている」


 俺は彼女をやや睨むようにして目線を向けつつ、ゆっくりと歩く。まずは窓際の猛田。背格好はそうだが、断定はできない。息はしていないし、脈も――ない。ガラス片を被っていたがその横顔は猛田としか思えなかった。

 続いて前の席の未央だ。必然、金髪の彼女との距離も縮まるが、彼女は何も答えないまま、ただこちらの動向を観察している。

 猛田より更に酷い状態だった。脈は当然感じられない。呼吸もしていない。顔は赤く焼け、未央かどうかと問われても確信をもって答えられない状態だ。それでも体型や倒れている位置からは、彼女だとしか思えなかった。


「悲しいですか」


 金髪の女性が問う。


「悲しいですよね」


 俺の沈黙を肯定と捉えたのだろう。彼女は続けてそう言うと、俺の前へと歩み出て、まるで今から抱き締めるのかと思うように両腕を広げた。


「あなたには力があります。もし望むのなら、まだやり直すことができる。どう、なさいますか」


 一つ一つの言葉を、まるで赤子にでも言い含めるかのようにして紡ぐと、俺に母性の塊のような優しい表情を見せ、小さく頷いた。

 最早その意味を理解しようとは思わなかった。ただ何かを“やり直せる”とすれば、神でも悪魔でも天使でも、それこそ名も知らぬ、誰かから姫様と呼ばれる金髪の女性でも良い。その願いを叶えて欲しい。

 だから俺はただ頷いた。


 ――ああ、頼む。


 その言葉に彼女はゆっくりと瞳を閉じて「分かりました」と唇を動かすと、続けてこう言った。


「我がマイロード」


 刹那、彼女を赤い光が包み込む。その胸の前で組んだ手に炎にも似た真紅の光が集約されると、それは大きな剣の形を成し、無言のまま、彼女はそれを振り上げ、俺目掛けて、躊躇ちゅうちょなく一気に振り下ろした。

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