転生3

1

 六月四日、朝。ただ眠いということだけを、俺の思考は考えていた。


「おい。担任来てるぞ」


 猛田に背中を突かれ、俺は目を擦り、何とか意識を教壇へと向ける。一瞬、一番前の席に座る未央がこっちを見ていたような気がしたが、俺の視線はそこを素通りし、担任の高峰の隣に立つ、随分と日本人離れした金髪の女子が白シャツにグレィの地味なスカートという、うちの制服姿に見を包み、恥ずかしそうに両手で鞄を持ちながら立っている姿へと、吸い寄せられた。

 そのシャツのサイズが、彼女には窮屈きゅうくつに見える。特に胸元がきつそうだ。

 俺は何度か夢で見たままの金髪の彼女が転校生としてそこに立っていることに、何とも言えない違和感を覚えていた。


「蘇芳さんはご家族の都合で日本に来られてまだ日が浅いそうですが、日本語の能力に関しては日常会話にほぼ支障がないので、そこは気にすることなくみなさんから話しかけてあげて下さい。それでは、蘇芳さん。自己紹介と、何かあれば」


 黒板には『蘇芳すおうエルザ』と書かれていた。高峰の字ではない。丁寧でやや丸みを帯びた、それでいて書き慣れていると思われる綺麗に整った文字だ。

 彼女は小さく咳払いをしてから一度俺を見ると、微笑を作り、軽く頭を下げる。


「みなさま、お初にお目にかかります。わたしは蘇芳エルザと言います。この度、こちらの学校にお世話になるという機会を得まして、こちらの世界での学生生活というものを楽しめると、少し気分が高まっています。ここではわたしのような外見の者を“外国人”と呼ぶそうですね。確かにあなた方とは国も世界も異なります。ですが、同じ人間なので、仲良くしていただければと存じます」


 気品という言葉に容姿を与えると、彼女のような人間になるのだろうか。

 俺の頭に浮かんだのはそんな考えだ。

 転校生というだけでも浮足立った空気が教室に充満していたのに、それに加えて彼女の容姿とその雰囲気、言葉遣い、ふとした仕草から与えられる視神経への影響は、生徒たちをカリスマ性へと吸い寄せられる大衆へと変えていた。

 夢の中ではどこかの国の姫だ、と褐色のビルギットに呼ばれていた。確かにこの気品と魅了を兼ね備えた存在は、そう呼ばれるに相応しい。

 ただ俺は夢とはいえ、以前彼女と出会っているからなのか、それとも生来の性格ゆえか、単純に彼女に心を許す気にはなれない。

 いや。

 目を閉じると脳裏に妙な光景が映る。

 教室の天井が抜けていた。壁は崩れ、窓は割れ、机や椅子は散乱していて、床には多くの生徒が倒れている。その中には猛田も未央も含まれていて、俺は呆然と立ち尽くしている。教壇脇に今のように彼女が立ち、何かを口にして微笑み掛けると、その手に光の剣を持って、俺目掛けて振り下ろした。

 夢だ。

 目を開ければ拍手が彼女に向けられていた。


「それじゃ、今日は一番後ろの席に」


 いつの間に机と椅子が現れたのだろう。猛田の一つ後ろにそれが置かれていた。

 彼女は「よろしくお願いします」と改めて深いお辞儀をすると、まるで何か受賞式にでも出たかのように拍手と称賛の雨を浴びながら、ゆっくりと後ろに歩いていった。

 俺たちの横を通り抜けるその一瞬、彼女はそれまでとは違う表情を俺に向けたが、すぐ微笑に戻ると、浮かれた猛田に「お願いしますね」と挨拶をしてから、席に就いた。

 転校生の前の席、それもあまりにも輝きに満ちた人物が座っているというのは、想像しなくても全生徒からの注目を浴びる。にもかかわらず猛田はへらへらとして何度も後ろを振り返っては「分からないことがあったら何でも聞いて下さいよ。俺が手取り足取り教えますから」と自分を売り込んでいる。

 他の生徒も席が隣、あるいは前後だったなら、そう変わらない態度だったかも知れない。こそこそと近くの生徒同士で何やら話し合っている。

 それに対して担任の高峰は軽く咳払いをし、出欠を確認し、今日の報告事項を伝えた。

 ただクラス三十名の生徒の中で俺だけだろう。品があるとか、見た目が良いとか、そういった外見的なことではなく、あの夢の所為もあるだろうが、微笑の裏側に何か隠されているんじゃないかと、生存本能に根ざした危機感が働き始めていた。

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