転生7
1
「……さま! 信永さま!」
声が遠い。
「信永さま!」
ただ声を感知するということは、俺の意識がまだ、残っている証拠だった。
「信永さま! あなたは大丈夫です! まだ、ここに、確かに存在しています!」
はっきりと聞こえる。
まだ意識はぼんやりと闇の中を漂っていて、深い海の底に沈んだままのような感じだが、それでも上の方、仄かに明るくなり始める。
「信永さま」
「ああ」
俺の声が答えた。
「信永さま!」
それに嬉しそうに彼女の声が応える。
俺は漆黒の海の中を泳ぎ、徐々に上昇していく。ひと掻きする度に体に張り付いたどろりとした何かが剥がれていくようだ。いよいよ海面が近づいてきたのか、目蓋が温もりを感じるようになり、その皮膚に何かが当たるのが分かった。
「エルザ」
「信永さま! 良かった」
気づくと俺は蘇芳エルザのふくよかな胸に抱かれて、彼女の泣き顔を見上げていた。
「どうして泣いているんだい?」
「信永さまは、少し意地悪ですね。理由を分かっているのに聞くだなんて」
「いや、まさか泣いてくれるとは思わなかったものでね」
「冗談が言えるくらいなら大丈夫だろう。マイロード」
ビルギットだった。相変わらず険しい表情で周囲に気を配っている。
俺は体を起こすと辺りを見回し、ここが自分で創り出した神社に似せた異世界であることを確認する。記憶の中にあったガラクタを取り出してきて何とか形にしたようなものだったが、それでも案外気づかないものだ。
「ロゼリアは?」
「そこに」
それは先程まで俺が座っていた神社の本殿前の階段だった。そこに赤い光の剣を突き刺したまま、微動だにしない金髪の背中があった。
「本当に、成功したのか?」
「分かりません。ただ、今のところは紛い物の記憶の中をループしているようです」
メモワールの一族には記憶を僅かばかり操る力がある、と聞いていた。だからそれを使い、誘き出したロゼリアにある偽の記憶を植え付けてもらったのだ。彼女の認識の中では今、俺が自殺をしようとして死にきれず、そこに止めを刺そうとして自分の剣を持ち出して突き刺しているところだ。けれど偽の記憶の中の俺は死後にすぐ自分が死ぬ状況を創り出し、そこに居合わせたロゼリアは再び俺を殺そうと剣を持ち出して殺す。それは何度も繰り返され、さながら無限地獄の様相を呈しているはずだ。
彼女が殺すことを止めればそれが偽の記憶だと気づくだろう。しかしロゼリアは俺を殺すことを止めたりはしない。俺を殺せば殺すほど自分の願望に近づくと思っているからだ。
ただその状態を作り出す為にどうしても一度は自分で自分を刺す必要があった。いくら偽の記憶を植え付けるとはいえ、そう簡単に紛い物を信じてはくれない。だから精巧なフェイクの為のリアルを演じる必要があった。その為に、俺は細工をしたナイフと俺自身の認識をエルザに操ってもらい、実際に自分の胸を突き刺して死んでいく様を自分自身に認識させた。それは心臓を止め、意識を消し、完全な偽物の死を創ったのだ。
だがそれで本当に俺が死んでしまうと、俺の無意識がその状況を排除してしまう。どうしても今創り出したこの世界で意識を取り戻す必要があった。
「賭け事は嫌いなんだがな」
「どうしてですか? 確率に物事を任せるのがお嫌だから?」
「いや。何かに賭けるという状況がそもそもいけない。確率をいくら高めたところで1パーセントでも失敗の可能性があるなら、それは失敗するかも知れないということだ。そんな不確かなものに任せるくらいなら、他に何か手がないのか探した方が良い」
「本当に石橋を叩いて渡りたいんですね」
そう言ってエルザは笑う。
「軍人のビルギットなら少しはこの気持ち、分かってくれるんじゃないか?」
「信永殿は軍人の何たるかを理解していないな。軍人とはそういった頭を使うことをしない。行けと命じられればそこが炎の中だろうと水中だろうと、たとえ異世界だろうと行くものだ。頭を使うのは幹部やお役人の仕事だ」
実に脳筋な彼女らしい意見だった。俺は口元に笑みが浮かんでしまうのを我慢しながら、改めて自分の妄想の中に閉じ込められている金髪の女性を見た。
「この後、姉をどうされるおつもりですか?」
「彼女に話をつけることは可能だと思うか?」
「わたしには無理だとしか思えませんが、どうでしょう。信永さまであれば、あるいは」
「俺も正直自信はない。そもそも争い事は苦手なんだよ。それは暴力という意味ではなく、思想の異なる人間と協調点を見つける為の言い争いや論破合戦まで含めて、他人と衝突することが苦手なんだ」
「それは誰しも苦手なのではありませんか?」
「いや、そうでもないよ。なあビルギット」
彼女は何も答えず俺を睨みつけることでその返答としたようだ。
「まあ冗談は置いといて、異世界の創り方は何となく理解したから、次はエルザ。君の記憶を少し借りたい」
「わたしの、ですか?」
「ああ」
エルザは何故という疑問をそのまま表情にして再度「わたしの、記憶」と呟いた。
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