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 ヨオンモールはよく目立つ四階建ての建物だ。白い部分とベージュの部分の大きな外壁があり、雑貨店から衣料店、食料品スーパーから映画館まで完備されている。とにかくここに来れば大抵のことは事足りるので、何かあればモールに足を運ぶ学生は多い。

 土曜日の昼過ぎということで、流石に人は多かった。

 俺たちはフードコートのエムドーナッツに入り、そこで軽食をとってから色々と見て回ろうという段取りになったのだが、


「席がない」


 店内席は元より、フードコートスペースのテーブル席も全て埋まってしまっていた。


「どうするよ」


 既に俺たちの手には各々の飲み物とドーナツやパイ、それにピザが一枚、準備されていた。


「立ったまま食うか?」


 猛田と俺だけならいいが、今日は未央も蘇芳さんも一緒だ。流石にそういう訳にもいくまい。

 よく観察すれば食べている最中の人ばかりではなく、二割程度は既にドリンクもほとんど空にして、お喋りに興じているだけの人間もいる。どれか空かないだろうかと期待の目で眺めていると、何を思ったか、蘇芳エルザがある四人席の前へと歩いていった。


「何?」


 未央が気になって呼び止めようとしたが、俺はそれを制し、黙って様子を伺う。


「こんにちは」


 席にいたのは四人の男性だ。三人が違う高校の制服で、一人は明らかに年上に見えた。彼らは自分たちに声を掛けたこの美女に対し、何とも下品な笑みと喉の奥を鳴らした笑いを漏らした。


「どうしたんだい、お嬢さん」


 答えたのは一番年上に見える男性だ。オレンジと青の派手なシャツに穴の開いたジーンズを履いている。髪は数ヶ月前に金色に染めたと思われる、プリン柄だ。

 だが彼女は笑顔を向けたまま、何も答えようとしない。


「何だ。俺たちに見惚れて何も言えないか?」


 妙だ、と気づいたのは制服の一人だ。他の三人の顔を見ながら、きょろきょろと視線が動く。


「あー、その。何だ。そろそろ次行くぞ」


 と、何故かプリン頭が立ち上がり、他の三人もそれに従い席を立った。

 彼女はただお辞儀をしただけで、その四人を見送ると、俺たちを振り返り、


「ここ、空きましたよ」


 と笑顔を見せた。




「ねえ蘇芳さん。さっきのあれ。何だったの?」


 未央の右隣に蘇芳エルザ、その対面に俺、隣に猛田という席順で座り、猛田はピザをがっついていた。


「あれ、とは何でしょうか、桂木さん」

「いや、その、何もしてないのに席を譲ってくれじゃない? でも何もしなかった訳じゃないでしょう? ひょっとして蘇芳さんの知り合いだったり?」

「いえ。全然知りません」

「ならどうして席空けてくれたんだろう」

「あの方たちがお優しかった、ということではありませんでしょうか」


 確かに見た目や雰囲気だけでその人間を理解したつもりになることはいけない。ただ未央が苦笑を浮かべたように、あれは彼らの優しさから席を立ったというものではなかった。明らかに何か別の力が働き、彼らはそれ故に席を譲った、いや、譲ったというよりはその場から逃げ出したように見えた。


「まあいっか。それより蘇芳さんも食べなよ」

「わたし、こういったものを食べるの、初めてなのです」


 蘇芳エルザはそう言って、隣の未央や俺にならって箱から出したドーナツを紙ナプキンで挟み込み、小さな一口で齧りつく。彼女の栗色の瞳は大きくなり、口元を隠して「おいしい」と漏らした。


「ドーナツが初めてって、蘇芳さん、どこの国なんだっけ?」

「セント・メモワール島という小さな島国です。地図にも載っていないと、同級生の坂口さんから教えてもらいました」


 坂口梨華さかぐちりかは新聞部に在籍する自称情報通だ。実は俺もあれやこれやと根も葉もない話を書き立てられた側なので、その名前に対してあまりいい気はしない。


「日本とはだいぶ違うの?」

「ええ」


 そう答えた彼女の表情が一瞬陰ったが、未央は気づかずに話を続けた。


「日本も島国っていわれてるけど、うちの県は海もないし、周囲は建物ばかりだし、あんまり島って感じじゃないんだよね」

「じゃあ夏休みにどこかの離島にでも遊びに行ってみるか? ほら、猫だらけの島とかあるだろ?」


 口の周りにピザソースをべったりとつけた猛田がそう言ってからかう。


「猫は好きだけど猫アレルギーなの。猛田知ってるでしょ?」

「猫、というのは、何でしょうか」

「え? 蘇芳さん、猫知らない? あのニャアって鳴く四足歩行の動物」

「動物は沢山いますが、そう呼ばれているものは知りません。そもそも危険ではありませんか?」

「そりゃあ熊だ猪だっていう野生動物なら分かるけど、ペットで飼ってるようなのだとそこまで危険って感じじゃないなあ。そうだろ、信永?」


 急に猛田から話題を振られ、俺は口の中に入れたチョコパイを慌ててオレンジジュースで流し込む。


「人に懐いているという意味では危険性は低いが、猫ならよく爪で引っかかれるし、犬なら間違って噛んでしまうことだってある。危害を加えないと考えるのは、そういう事例が少ないのと経験がないからで、動物に限らず他の生き物というのは人間が思っている以上にリスクを抱えていると考えた方がいいんだ。それに最近は飼い主がちゃんと予防接種をさせていたりするものの、それでもまだまだ色々な病気の要因になっている。狂犬病に関しては死者も出るからな」


 はいはい、という猛田の反応は俺の講説を聞き飽きたというポーズだが、意外とそれを聞きたくて話を振っているところもあるのではないかと思っている。一方未央は「それは分かるけどさ、でも考えすぎじゃない? 猫だよ?」と、呑気な反応だ。猫カフェに行って湿疹が出ても「猫かわいかったー」という彼女にとっては、危険のきの字も感じられないのだろう。


「凰寺さまは、その、猫はお好きですか?」

「俺? 俺はどちらでもない。自分に危害を加えないなら傍にいてもいいが、奴らは気まぐれだ。約束を守らない奴に対してはそれなりに対応しなければならない。もし今ここに誰もが愛らしいと可愛がる猫がいたとして、それが将来的に俺に何か危険をもたらすリスクを孕んでいるのなら、俺はすぐにここを立ち去る」

「信永は相変わらずで俺は嬉しいよ」


 猛田は「これラストピースだけど、いい?」とピザに手を伸ばしつつ、そう言って笑った。

 蘇芳エルザは「そうですか」と、俺の話した内容を理解したのかどうかよく分からない様子だったが、未央が「これ、半分こするから、そっちもちょうだい」と、女子特有のシェアごっこを始めたので、それに付き合って自分の食べていたもちふわリングを半分に割った。

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