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「流石に自分で歩きたいんだが」


 そう蘇芳エルザに頼み込んで、何とかビルギットの肩から下ろされたのは大通りに出る少し前のところだった。既に公衆の門前で女性に担ぎ上げられる姿を晒して十分以上になる。羞恥心はどこかに捨ててしまった覚えはないが、体のそこかしこに諦めという文字が刻まれていた。

 くすくす、と笑う同じ学校の制服を着た女子生徒の集団を追い抜き、早足で学校に向かう。

 一人になったつもりだった。

 けれどビルギットだけでなく蘇芳エルザも息一つ乱さずに俺に付いてくる。


「どうかされましたか?」

「いや、何でもない」


 ビルギットは見た目から明らかに鍛えている人間だと分かるが、蘇芳エルザはその肉付きの良さや一見するとおっとりとして見える雰囲気からは想像できないほど、運動能力が高い。俺なんかよりもずっと体力も筋力もあるのではないかと思わせられる。

 同棲を始めて既に五日。最初はベリーダンスかサンバの衣装のようなある意味で露出度の高いの布を巻き付けたような服装のビルギットが一緒に歩いていることが、周囲の注目を非常に集めていると思っていたのだけれど、昨日は彼女が不在で(おそらくは俺が珍しく朝早めに目覚めた為だ)、それでも注目を浴びていたから、結局は蘇芳エルザという人物こそが諸悪の根源だったと判明して、俺は諦めの境地を手に入れていた。


「あ、おはよう。信永。それに蘇芳さんと紅石さんも」


 未央の、俺の隣の二人を見る目が相変わらず恐い。

 彼女は未だに蘇芳エルザの同棲を許していない。というよりも、俺の蘇芳エルザに対する態度が曖昧なのがどうも気に入らないようなのだ。幼馴染特権というものがあるのかどうかは知らないが、とにかく何かと俺の世話を焼きたがる。蘇芳エルザが現れる以前なら、そういう依存の形であっても桂木未央の精神の安定に繋がっているからまだ良かったが、これを機に未央の精神状態が悪くならないか、やや不安があった。


「おはようございます、桂木さん」

「おはようございます、桂木未央」

「いつも気になるんだけど、紅石さんは何故わたしだけ呼び捨てなの? 何か気に入らないことでも?」

「いえ。下々の者に対しては敬称に当たるものは付けないのが当たり前なので」

「下々、ね」

「あー、未央。昨日の数学の宿題なんだけど」


 険悪な雰囲気にならないよう、関係のない話題で割って入る。


「明日までだからまだいいでしょ。それより、昨夜の少女暗殺機構なんだけどさ」


 いつものように未央は深夜アニメの話題に切り替える。俺はそれに相槌を打ちながらも、笑みを浮かべて一歩後ろを歩く蘇芳エルザのことを気にしていた。

 制服姿が随分と馴染んでいるけれど、一国のお姫様がこんな日本の通りを、警備もほとんど付けないで歩いているというのは何とも違和感がある。ビルギットがいくら訓練された衛兵であったとしても、一人で出来ることなど知れている。複数で計画的に襲われでもしたら、たちまちに蘇芳エルザの身は危険に晒されるだろう。

 同棲することが決まったその日、蘇芳エルザは未央や猛田のいる前で自分は姫だと告白した。何故日本に来たのか、それも俺の家で同居することになったのか、その経緯については国家機密で話すことは出来ないと言いつつも、俺以外の二人に姫であるということを暴露してしまったことについては大丈夫だと言っていた。

 どれもがその場を取り繕う為の方便な気がして、本当の目的はどこにあるのだろうと勘繰ってしまう。

 ビルギットはまだ直情的で嘘偽りを口にして行動するタイプには見えないのだが、蘇芳エルザに関しては全く読めない。誰に対しても笑みを絶やさず、知らない間に彼女のその雰囲気に取り込まれてしまう。


「それがもうね、ここっていうところでいつも相方の少女が助けに来てたんだけど、今回はいつも逆で、助けに来る方がピンチだったの。二人が喧嘩しちゃって、本当に絶体絶命ってところで助けに来た主人公のシルエットが出てエンディング! 最高じゃない?」


 あまり彼女のことをよく思っていない未央だって、蘇芳エルザが嫌いにはなれないし寧ろ大好きだし、ただ同棲はちょっと許容しかねるというだけなのだ。

 彼女を否定する人はいない。怪しんでいるのも俺くらいなものだが、その俺自身、いつの間にか蘇芳エルザと同棲してしまっている。そもそも俺の今までの人生からすれば、そういったことにはならないはずなのだ。


 ――やはり、おかしい。


「どうしたのよ、信永」

「いや、最近妙なことが多いなと思って」

「妙? あ、そうだ。妙といえばさ、市立病院の放火事件、昨夜犯人が焼死体で発見されたらしいんだけど」

「何だよ、病院の放火事件て」

「知らないの? 先週あったじゃない。あ、ちょうど蘇芳さんといちゃいちゃしてた日だから気づかなかったか。ははーん」

「いやいや、俺はその日確か病院に」


 何だろう。違和感が仕事をしていた。


「病院?」

「いや。それより放火って、大丈夫だったのか?」

「ヨオンモールの放火と連続放火だったらしいんだけど、でも全然怪我人とかはいなかったんだって。なんか迷惑な人だよね」

「あ、ああ。そうだな」


 蘇芳エルザを見ると、小首を傾げただけで今未央が語った話に関しては特に思うところはないようだ。


「おーい、信永! 未央! 蘇芳ちゃんにビルちゃんも。早く来いよ」


 横断歩道の向こう側から、猛田が大声を上げ、手を振っている。それはただの挨拶ではなく、どうも何かあったことを知らせたいようだった。

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