転生4
1
「信永さま?」
蘇芳エルザの声がする。
「信永さま、そろそろ起きられないと学校に遅刻します」
「もう少しだけだ」
「少し、とはどのくらいでしょうか」
「五分」
「それでは遅刻します」
「なら三分」
「食事の時間がありません」
「休み時間にパンでも食う」
「もう、どうしてそう、いつもいつも屁理屈を考えられるのですか」
蘇芳さんの困った表情が目に浮かぶようだ。俺はそれを楽しい、と感じていた。
けれど、と脳内のもう一人の俺が呼びかける。いつから俺はこんなにも蘇芳エルザとの距離が近くなったのだろう。
「起きないなら、こちらにも考えがあります。ビル」
「何でしょうか、エルザ様」
「信永さまを着替えさせて学校まで運んでいただけませんか」
「御意」
ビル、と呼んだのは紅石ビルギットという、蘇芳エルザの従者だ。普段彼女はどこに潜んでいるか分からないが、蘇芳さんが声を掛けるとどこからともなく現れる。かつて武士や大名と呼ばれる人たちのいた時代に存在したと云われる忍者というのも、こういう風に主人と常に一緒にいたのだろうか。
と、俺は自分の両手が引っ張られたのを感じ、目を開ける。
「失礼します」
目の前にあったのはビルギットのベリーダンス衣装のような、布を張り合わせた胸元だ。彼女の顔は無表情に近く、俺のトレーナーを脱がしに掛かっている。
「な、何をするんだ」
「制服に着替えていただきます」
「自分で着替えるよ、もう」
「いえ、エルザ様の命令が最優先です」
はあ? ――と声を上げた途端、俺の体は強引に起こされ、灰色のトレーナーは宙を舞った。続いて下着のシャツも頭から引き抜かれる。
上半身丸出しになった俺を、部屋の入口で蘇芳エルザは見つめていたが、何を見たのだろう。頬を染めると視線を逸らしてしまった。
気づくと俺の下半身がパンツだけになっている。紺のボクサーパンツだ。ブリーフではない。朝だけあってなかなかに逞しい下半身だが、ビルギットは特に気にする様子もなく「失礼」と断ってから俺の両足を持って思い切り引き倒す。ベッドの上でなかったら強か後頭部を打ち付けていたことだろう。
制服のグレィのズボンを履かせると、今度は新しい下着のシャツを頭から被せ、続いてボタンシャツに腕を通させた。
手慣れたものだ。
前に回りボタンを全て留めると、左肩を腹部につけ、一気に俺を担ぎ上げる。
「び、ビルギットさん?」
「それではエルザ様、行きましょうか」
「え、ええ」
まだ顔の赤い蘇芳エルザは既にグレィのスカートと学校の白シャツという制服姿で、両手で鞄を持っている。
「も、もう起きたからいいだろ? 流石にこのまま学校に連れて行かれるのは勘弁だ」
ビルギットの上でそう言って暴れてみるが、彼女の動作はぴくりとも乱れない。しっかり鍛えられているのか、体幹が丈夫なのか、ともかく俺は担がれたまま蘇芳エルザと共に、我が家の急傾斜な階段を下りた。
「あら、おはよう、エルザさん。ビルギットさんもご一緒なのね」
階下で、食堂から母が顔を出した。
肩までの茶色に染めた髪が丁寧にアーチ状に編み込まれ、髪の毛だけでティアラを付けているように見える。化粧はほとんどしていないというが、肌の皺も目立たないし、血色がいいからか実年齢よりいつも若く見られると自分で言う。気分だけはいつまで経ってもどこかのお嬢様のようで、今日も着ているものは何とかというブランドのロココ調を意識した淡いピンクのふりふりのワンピースだ。仕事ではぴしっとスーツなのに、家では好きなものを着たいというのでロリータ系のファッションを好んでいる。
匂いからすると今朝はミートパイでも焼いたらしいが、俺はいつも日本的な和食がいいと公言している。ただ作るのは自分だからと言って、今までに俺の意見が聞き入れられたことはない。
「おはようございます、お母様」
「おはようございます、市乃様」
蘇芳さんはお母様と呼び、ビルギットは名前で呼ぶ。その差が何かは、俺にはよく分からない。
何にしても俺の母は蘇芳エルザたちが家にいることを何も不審に思わないどころか、まるで娘たちに接するかのように振る舞っている。ただ未央に対しても同じような態度なので、誰だろうと変わらないのかも知れない。
「信永。朝ご飯、どうするの?」
「俺は席についてゆっくりと朝食を食べることを拒否した訳じゃない」
「それじゃあ、これ、お願いします」
弁当箱の入った袋を蘇芳エルザに渡すと、母はいってらっしゃいと小さく手を振った。俺の意見はまたもや聞き入れられず、ビルギットに担がれたまま、凰寺家の玄関を潜って外に出た。
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