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 結局二人して体育の授業には遅れて行った。窓ガラスについては担任の高峰は特に叱ったりはしなかったものの、わざわざ付き添いで確認作業をすることになり、誰もいなくなった教室で、三人それぞれに腕組みをしながら「どのようにすればこれが起こるのか」という命題を考える羽目になってしまった。

 先生は「本当に誰も気づかなかったの? 誰か割ってしまったけどバレるまで黙っていただけじゃない?」と、生徒三十名全員に加えて転入生の蘇芳と、彼女を連れてきた高峰先生自身、それに加え、数学の生田目の、誰一人として窓が割れていることに気づかなかった可能性を疑っていた。ただ発言してから「それでも私も気づかなかったというのはおかしい」と、自分に疑問符を付け、考え込んでしまった。

 猛田は超常現象で気づかないうちに割れた説を出し、俺は認知できなかっただけで朝からずっと割れていた可能性を口にしようとして、けれどその可能性の低さに「分かりません」とだけ言ってしまった。


 薄曇りの下、この日は男子はサッカーを、女子はバレーボールをグループになってやった。やはり注目は蘇芳エルザで、彼女は唐突に佐久原萌香が放った足元へのスパイクを片腕で拾い、彼女を苦笑させていたが、それよりも蘇芳の体操着姿に対しての男子生徒の圧倒的な視線の吸収力に、佐久原は嫉妬していたのだろう。普段はそんな風に嫌がらせをするタイプじゃないのに、わざと大きく打ち上げ、男子生徒の方に取りに行かせたり、彼女が体を投げ出してレシーブするような位置に打ち込んだりしていた。

 ワンサイズ大きいはずの佐久原の体操着で、確かにハーフパンツはやや大きいと感じるものの、上着に関しては胸元の二つの突起がぐぐっと生地を押し上げ、やや窮屈そうに引っ張られている。お陰でジャンプする度にちらちらとへそが見え、それがまた男子の視線を釘付けにしていた。

 いつも男子からの視線を弄んでいる佐久原としては完敗と言っていいだろう。

 最後には回転レシーブを決めて土埃に塗れた蘇芳に、自ら手を差し伸べていた。



「ねえ信永。帰り、ヨオンに寄ってかない?」


 終わりのショートホームルームを終えると、未央がやってきた。


「何か買い物か?」

「ノートと、あと新刊出てるから」


 また漫画だろう。以前彼女の部屋を見せてもらった時には本棚二つ分が漫画で埋まり、更にダンボール箱にもあると言って奥から幾つも取り出してくるから「好きなんだな、本当に」と呆れると、彼女の漫画への愛情について日が暮れるまでお喋りが途切れなかったことを思い出す。


「じゃあついでに俺の映画にも付き合ってくれよ。来週で上映終了しちまうから、この土日のうちに見ておきたいんだ」


 一方猛田は映画、特にアクションやホラーが大好物だった。俺は虚構は虚構として楽しんでいるのだが、猛田の場合はどんなものでも入り込み、酷い場合には感情移入が過ぎて人目もはばからずに俺の胸で大号泣するなんて経験もある。

 そんなに付き合いづらいタイプとは思わないが、どういう訳か猛田はよく俺を連れて行く。猛田曰く「意外と友だち少ないタイプなんだよ、俺は」らしいのだが、俺と比較すればその猛田ですら友だちはいる方だ。


 クラスの連中は俺が見てもすぐにその視線を外してしまう。目つきが悪い訳じゃない。妙な噂がある訳でもない。この『凰寺信永』という名前が独り歩きしている所為だ。

 陰で“プリンス”やら“武将”やらと呼ばれて笑われているのは知っている。それだけならいいのだけれど「本能寺」というあだ名で実際に火を付けられたことがある。制服の上着を燃やされたのだ。流石にそれはやり過ぎだろうということで俺は容赦なく相手をとっちめた。正当防衛にはなったものの、全治三ヶ月から半年の人間を量産した俺に対し、以降面と向かって揶揄やゆする奴はいない。

 自業自得といえばそうなのだが、子供は無垢な反面、その程度を知らない。言葉も凶暴だし、時にその人間の人生を左右する出来事を歴史に刻んでしまうこともままあるのだ。

 だから俺は自分で全部の責任を負う代わりに、相手に対して情けをかけるといったことはしないようにしている。戦国時代ではないけれど、やられた時にやり返す力を持っていないと一生を台無しにされかねない。時代がいくら平和を謳おうと、自分の人生は自分で守らないといけないのだ。


「あの」


 とりあえず三人でヨオンに立ち寄ることになり、俺は鞄を手にする。未央が「それでね昨日のアニメの話の続きなんだけど……」俺の一歩前に出て振り向きながら、いつものようにお喋りを始めたところだった。

 その彼女の背中が、ぶつかった。

 鞄を両手に持ち、支柱のように立っていたのは蘇芳エルザだ。


「ああ、蘇芳さん。ごめん」


 反射的に謝った未央だったが彼女には目もくれず、蘇芳は俺だけを見つめている。

 目の前に立つと百六十くらいの身長だと分かる。栗色の瞳はどこかしっとりとして潤んでいる。暑いのだろうか、頬が僅かに赤い。それに今日一日みんなに見せていた堂々とした立ち振舞いとは何か違う。遠目にはもう少し大きく見えたのに、今は年相応というか、後輩生徒のような趣を感じる。


「蘇芳さん?」


 何も言い出さない彼女に未央は声を掛けるが、それすら届いていないようだ。蘇芳エルザはじっと俺に視線を向けたまま、何度か唾を呑み込む。その唇が小さく動くと、ようやく彼女は笑みを作り、こう言った。


「これからわたしと、デートをして下さいませんか……凰寺信永さま」

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