8

 非常口を出ると、モールの駐車場には多くの人が溢れているのが見えた。俺と未央は行列に押し出されるようにして階段を下り、その一員となる。

 通りの方には消防車が駆けつけているのだろう。道を開けて下さいというアナウンスとサイレンが響いていた。


「猛田たちはどこだろう」


 これほど多くの人が同じ建物内にいたのかと思うと目眩がするが、猛田らしき人影は見当たらない。流石に無事に脱出はしただろう。ただ先程からずっと携帯電話が通じなかった。電波障害なのか、多くの人が使っていて混雑しているのだろうか。


「蘇芳さんたち、大丈夫かな」

「危険な状況にはなっていないと思うが、逃げ出す時にはぐれたりしていなければいいんだが」


 ――何だ。


 背中に張り付いていた気持ち悪さが、その時弾け飛んだ。

 振り返ると、ショッピングモールの四階の一部の壁から煙が上がり、それが落ちてくる。爆発したように見えた。


「危ない!」


 咄嗟に未央の背中を押しやるが、見上げた時には既に頭上にコンクリートの塊が迫っていた。

 思わず頭に手をやり、伏せようとする。

 その刹那、光を見た。その光の中に人影のシルエットがあった。

 髪が長く、脳裏には夢で見た金髪の女性が過ぎったが、襲ってきた風圧でかき消され、俺の体は背中から強か地面に打ち付けられた。


 ――くっ。


 砂埃が舞い上がり、視界はふさがれる。


「信永! 大丈夫か?」


 聞こえてきたのは猛田の声だった。

 咳き込みながら何とか立ち上がり、近づいてくる足音の方向に顔を向ける。


「ああ、とりあえず、な」


 猛田は一人だった。

 視界が戻り、俺は周囲を確認する。足元には僅かばかりのコンクリート片が落ちていたが、精々拳程度の大きさで、誰も怪我をした人間はいないようだった。勿論俺自身も倒れた時に受け身を取ったことで両腕が赤くなっているが、多少のかすり傷が確認できる程度で、どうということはない。


「さっきの凄い音、何だったんだろうね」


 未央も怪我どころか、制服に汚れすら見当たらず、そのくりくりとした目をぱちくりさせながら俺に安堵の表情を向けていた。

 俺は今一度、モールの外壁を見上げる。鉄骨が剥き出しになり、明らかに何かがあり、破損した跡があった。ただそこから落ちたはずのものが存在しない。何かが吸い込んでしまったかのように、跡形もない。


「ところで信永。蘇芳さん見なかったか?」

「一緒にいたんじゃないのか?」


 猛田は首を横に振る。


「途中で見失っちゃってさ。どこ行っちゃったんだろうなあ」


 彼女ならどこにいても目立つはずだ。あの容姿、何より醸し出す雰囲気は遠くからでもそれと分かるだろう。

 俺は群衆に目を凝らす。


「蘇芳さーん!」

「蘇芳ちゃん? どこ?」


 未央と猛田は声を掛けながら歩いていく。

 そんな二人の背中を見送りながらも、俺はその場から動こうとはしなかった。妙な気配を感じたからだ。どこだろう。


「蘇芳?」


 振り返ると、彼女が立っていた。

 今まで近くにいた、とは思えない。

 しかも蘇芳エルザは新しい制服を着ていたはずなのに、どういう訳かその上着は汚れ、下のスカートは裾が千切れていた。


「どうしたんだ?」

「少し、転んでしまいました」


 彼女は微笑を浮かべたまま、申し訳なさそうに俺に言った。

 けれど転んだはずの彼女の着ているものこそ汚れていたが、彼女自身、その綺麗な白い肌も、金色の長い髪も、かすり傷一つ見当たらず、僅かに鼻の頭に土っぽいものが微かに付いていただけだった。

 俺はハンカチを取り出して、それを拭う。


「あっ」


 彼女が驚いたような表情をして、一歩、引いた。


「悪い。汚れていたから」

「そうですか。すみません」

「これ、使うといい」


 ハンカチを差し出すと彼女は元の笑顔に戻ってそれを受け取り、そっと鼻の頭を拭う。それから折り畳んで自身のスカートのポケットへと収める。


「綺麗にして、返します」

「ああ、いいよ。どうせ安物だ。使ってくれればいい」


 母親がやたらとハンカチだけは常に持っておけと、セールになる度に大量に買い込むので、派手なものから無地のものまでタンスの肥やし状態になっていた。確か未央も猛田も何枚か持っているはずだ。


「本当に、宜しいのですか?」

「ああ」

「それでは大切に使わせていただきます」


 彼女はそう言うと、一度収めたものを取り出し、慈しむように両手で挟んで、まるで祈りを捧げるように目を閉じた。その間、二、三秒だろう。けれど金色の睫毛が小さく揺れ、その唇が微かに動いていた。何を彼女は願ったのだろう。

 そんな風に見えたのは、俺の勘違いだろうか。


「あ、いたぁ! 蘇芳さーん」


 未央の声だ。

 戻ってきた彼女は蘇芳エルザに抱きつくと「無事で良かった」と無邪気に喜んだ。


「なーんだ、ちゃんといるじゃん」


 どこまで探しに行っていたのだろう。猛田は俺たちの姿を見て、苦笑を浮かべながら戻ってきた。


「でも、これではもう映画館とやらにも行けませんね」

「それどころじゃないしな。あ、そうだ。未央」


 残念そうに言った蘇芳エルザに頷きつつ、俺は未央の肩を叩いて、少し頼み事をした。


「え? まあ、いいけど」

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