5

「姫様!」


 顎を押さえつけられながらもビルギットは反応した。両手をじたばたとさせ、何とか俺の体を引き剥がそうとするが、やはり上に乗っている方が強い。しかも体重差もある。それに喉というのは人間の急所でもある。押さえられている状態では恐怖心が勝る。


「ビル。やめておきなさい。その方はわたしたちのマイロードなのですから」


 まただ。マイロード。そのワードが出た途端、ビルギットは何とも言えない、泣きたいのか、苦しいのか、分からない表情をしてからお姫様に「本当ですか?」と尋ねた。


「ええ、本当よ。だからわたしはここに来たのです。この世界に、転生してきたのですから」

「それは自ら選び、転生なさったということですか!?」

「ごめんなさい、ビル。でもね、もう時間がなかったのよ。わたしが転生しないと、マイロードが助からないから」

「それは、世界を救う為ですか? それともマイロードを助けたいからですか?」

「両方、というのは欲が過ぎるかしらね」


 彼女は苦笑した。

 俺はその意味が全く分からない。

 けれど二人の間では会話が成立しているようで、ビルギットは諦めたように鼻を鳴らすと、俺に向けてこう言った。


「わかった。貴様があのマイロードだというのなら、私が貴様を害することはできない。約束通り、手を出さないでおいてやる」

「上から目線なのは気になるが、ようやくまともな会話というのができそうで嬉しいよ」


 僅かに俺の右腕が緩んだ途端、ビルギットは俺の体を押しのけ、姫様の前へと陣取って膝を立てて座った。身軽、というよりも相当鍛えられていると見ていい。


「それで、あんた。俺のことは知っているようだが、俺はあんたを、いや、あんたらのことを何も知らない。そもそもそのテンセイ? だとかマイロードだとか、よく分からない用語が沢山出てきたが、一体何だ?」


 てんせい、という発音にすぐさま「転生」を当てる人間はどれくらい存在するだろう。少なくとも俺は「天性」が精々だ。


「マイロード。あなたは知る前に、まず己がこの世界の人間ではないことを受け入れてもらわないといけません」

「いや、話の最初からとても受け入れられそうにないのだが、そもそもこの世界とは何だ?」

「あなたが今まで、およそ十七年過ごされた、この街、この国、この世界の話でございます」

「それなら俺は一体どこで生まれたというのだ?」


 確かに小さい頃の写真が俺には存在しない。それは物置小屋が全焼した時にアルバムが燃えた為だと、親父からは聞いている。それでも母親が俺を産んだ病院も、通った保育園や小学校、中学、高校も、この街のものだ。


「元はもっと遠く、暗く、誰もが知り得ない。そういう場所です。そこからあなたは幾度となく転生を繰り返し、やっとここに育成の地を見つけられたのです」

「あんたが言うような、そんな記憶は微塵みじんもないのだが、それでもその転生とやらを繰り返して俺の今があると、こう言いたいのか?」


 馬鹿げた話だ。付き合ってやる義理はない。

 真面目に語っている姫様たちには悪いが、俺の脳内では既にどうやって彼女たちにお引取り願おうかと思案を始めていた。


「記憶がないのは当然です。転生というのは生まれ変わり。稀に生前の記憶を持っている者もいますが、それも幼い頃に失われてしまいます。ですが、アガスティア時空には全ての記憶が残されています。ですからもし、どうしても転生前の記憶を知りたいと仰るのであれば、確かめることも可能ではあります」

「その何とか時空には簡単に行けないのだろう?」

「はい」

「詐欺の手口だな」

「と、申されますと?」

「行って確かめることができない場所、あるいは人、そういったものを使い、本当はそんなもの存在しないのに恰も存在しているかのように相手に言って信じさせる。相手は確かめようがないから、信じるか信じないかという二択を迫られることになるが、多くの者はそれまでの丁寧な説明や対応から、それが本当に存在していると信じるしかなくなってしまっている。そういう状況を作り出すことまで含めて、詐欺だ、と言うのだが」

「つまりわたしたちは詐欺師だと?」


 ああ、と俺はうなずき、二人の女性の表情を観察する。ビルギットは相変わらず俺を睨みつけていたが、姫様の方はやや目を細め、寂しそうに首を横に振った。


「マイロードが信じられないのも理解はできます。けれどこれは理解するかしないか、という問題ではないのです。受け入れるか、受け入れないか。その選択しかありません」

「じゃあ俺は受け入れない。今の自分は今、この世界だけのものだ。もし仮に他の世界とかいうものが存在し、そこから転生というよく分からないものによって生まれ変わってこの世界で成長したとしよう。どうせそのままこの世界で一生を終えるのだから、どちらを選んだところで俺の人生への影響は些末さまつなものだろう?」

「今は受け入れられないというのでしたら、仕方ありません。けれど、遠からずあなたはご自身の転生を受け入れることになるでしょう」

「その予言めいた発言には根拠があるんだな?」


 ええ、と彼女は短く頷く。だがその内容を説明する気はないようだ。


「知ることは世界を広げます。けれど、世界の広がりは危険を増やすということでもあります」

「だから俺は知りたくないと言っている。受け入れることと知ることは同義だろう?」

「いえ。もうあなたは自分が転生者だと知ってしまった。それを受け入れるかどうかというのは、別の問題です」

「だから詐欺だと言ったんだ。相手に教えてしまってから知ることは危険ですというのは、卑怯なやり方じゃないか?」

「おい! 貴様! いくらマイロードといえど、姫様に対する口の利き方を気をつけないと許さんぞ!」


 ビルギットは今にもはちきれそうなほど、全身から殺気が立ち上っている。彼女にとってはマイロードよりも圧倒的に姫様の方が崇拝対象なのだろう。


「ともかくもう俺の答えは出た。俺は転生どうこうというのには興味がない。君たちがその転生者だとしても、俺には関わらないでくれ。ただでさえこの名前の所為せいで色々といちゃもんをつけられる人生なんだ。俺はもっとひっそりと、何事もなく、自分の趣味を楽しめる人生を生きたいんだ」

「それは……残念です」


 姫様の言葉は上滑りするような残念ではなく、本当に心の底から吐き出されたような残念という気持ちそのままの発声だった。


「すまない。これでも俺は真面目な学生を気取っていてね。そろそろ学校に行かないと、というか、もう遅刻だな」


 既に時刻は八時半を過ぎていた。それでもまだ一時間目には間に合うだろう。

 俺は部屋のドアを開け、彼女たちに出ていくよう促す。


「姫様。こんな奴がマイロードのはずがありません。きっと人違いをなさっているのですよ」

「ですが、ビルギット。わたしは転生の残り香を追いかけてやっとここに辿り着いたのです。ここが転生の終着点なのです。そこに、この方がいました。その魂の色は紛れもなく我がマイロードでした」


 彼女の栗色の瞳は真っ直ぐに俺に向いていたが、俺は敢えてそれから目を逸らし、顎を上げる。


「さあ、君たちの国とやらにお帰りいただこう」


 二人が諦めるように立ち上がったその時だった。

 窓ガラスが盛大に割れ、投げ込まれた何かから煙が立ち上る。

 一瞬爆弾かと身構えたが、一気に部屋中に煙があふれ、俺はむせ返り、息もできなくなった。

 と、その腹部に何者かが拳をめり込ませる。

 俺の意識は急激に薄れ、かすかに「マイロード」と彼女が叫ぶ声が聞こえた。

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