7

 軽く空腹を満たすと、俺たち四人はテーブル席に居座ることなく立ち上がり、ゴミを処分してからまず未央の願望を満たす為に二階の文具店、それから四階の書店に向かうことにした。

 エスカレータに俺と猛田、次に未央と蘇芳さんという並びで乗ったが、蘇芳エルザはそれも初体験だというので、彼女は一度二階まで上がった後、今度は下りのエスカレータに乗り、もう一度上がってくるということを三度、繰り返した。


「日本、楽しいですね」

「エスカレータで喜んでくれるなら、そこら中エスカレータだらけにしてやるよ」

「それは迷惑だからやめろ」

「だって蘇芳ちゃんをもっと笑顔にしたいだろ、信永も」

「何事も限度と適度というものがあってだな」

「はいはい。耳にタコざんすよ。それより蘇芳ちゃん」

「何でしょうか、猛田殿」


 いつの間にそんな呼び方を教えたのだろうか。


「信永のどこが気に入ったのさ」

「おい猛田」

「いや、だってお前も気になるだろ?」

「仮にどこかを気に入ってくれてたとして、お前に言う義務はない」

「こいつ、いつもこんな風だけどさ、俺は知ってるんだぜ。信永がいつだって俺たちのことを危険から遠ざけようって気遣ってくれていること」

「それはただの思い過ごしだ」

「いやいや、だってよ。さりげに道路側歩くし、工事現場を敢えて避けるルートを選んでるし、この前だって後から知ったんだけど、コンビニ強盗が入った時間、あの時俺がコンビニ寄ろうって言ったのに用事があるからって寄らせなかっただろ?」


 そのコンビニ強盗の話に俺は聞き覚えがなかった。


「だからさ、こういう我関せず的な素振り見せておいて、実は色々と考えてる優しい奴なんすよ」

「流石です、凰寺さま。やはり、あなたはわたしが見込んだ方」

「そのコンビニの件は偶然だし、俺は自分の身に降りかかる火の粉を避けたいだけだよ」

「またまたぁ。こいつ案外照れ屋なんだよなあ。蘇芳ちゃんもこいつの傍にいるといいぜ。安全だけは保証できるから」

「そうですね」


 蘇芳エルザはその栗色の瞳を細め、俺を見てから少しうつむく。

 二人の間に何とも言えない空気が漂ったような気がしたが、それについて考えようとした俺の思考は、突然の叫び声により奪われた。


「何だ?」


 見ると一階の玄関ホールで、黒いスーツ姿の人間がポリタンクを持ち込んで、それを床にばらまいている。可燃性の液体だろう。

 周囲にいた人間は蜘蛛の子のようにさあっと離れ、そのスーツの人間だけがその場に残された。彼、あるいは彼女だろうか。その人物は何も言わずに一度二階、こちらに視線を向けると、指先から炎を出して見せた。それはあっという間に彼自身を包み、床へと広がっていく。

 場内は騒然としていた。


「おい信永」

「ああ」


 呆然と眺めている人も多いが、やはり一人が声を上げて慌て始めるとパニックが伝染して一気に阿鼻叫喚の図が完成する。


「未央は?」

「先に文具屋行ってるって、さっき」

「蘇芳さんのこと、頼む」


 猛田に非常階段で避難するよう言ってから、俺は奥の店舗が並ぶ通りに駆け出す。

 しかしあの黒スーツの人物、何故か俺たちを見てから火を放ったように見えた。しかもライターではなく、手品なのか、道具を使わずに発火したようにも見えた。

 嫌な感覚が背中に張り付いている。

 俺はそれを振り払うように大きく腕を振って走ると、文具屋のレジで会計を済ませていた未央に声を掛けた。


「未央!」

「何よ、信永。あんたたちが蘇芳さんと遊んでるから、わたし、さっさと買い物済ませちゃったわよ」

「それどころじゃないんだよ。火事だ」

「え? どこ?」


 まだ煙は漂ってこない。ただ遠くで火災報知器が鳴り始めたのが分かった。


「あ、ほんとだ」

「一階で放火があった」

「ええー! それ、大丈夫なの?」

「まだ大丈夫だろうが、とにかくここを出た方がいい」

「うん、わかった」


 俺は未央の手を掴み、非常口の案内板を見て走り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る