6 間違った道へ

 奏斗は愛美からの連絡先を手に、複雑な心境に陥っていた。

 スマホで直接連絡先の登録をしあわなかったのは、無理矢理は嫌だと彼女が言ったから。


──逆効果だと思うんだ。


 奏斗は彼女の綺麗な字を見つめる。

 そして壁を伝い力なくストンと座り込んだ。


 あの頃は、愛美の声が好きで。

 その仕草に目を奪われて。

 彼女の性格に虜になった。


 でも、今の愛美は違う。

 取り込まれてはいけないと思うのに、彼女に心が奪われている。


「こんなの、ズルい……」

 どんなに抗おうとしても、抗えるわけがない。

 女は上書き、男は挿入。

 ファイリングされた恋愛の記憶が、輝いているというのなら尚更だ。

 これでは結菜に協力してもらったことも無意味。

 後悔したくないという想いが、なだれ込んでくる。


 奏斗はスマホを取り出すと、メッセージアプリを起動した。

 抗えない自分に嫌気はさすが、彼女に触れたい自分がいるのも確かだ。

『一緒にいた子、凄く奏斗とお似合いだったから、わたしも髪くらい染めようかなって思ったの』

 別れ際に愛美は髪を染めた理由を奏斗に告げた。

 自分の為に変わろうとしている彼女を突き放せるほど、非情じゃない。


──こんなの言い訳だな。


 奏斗は自分自身を嘲笑すると、彼女のIDを打ち込みメッセージを送った。

『知っているのは、家族と一緒に行動していたあの二人くらいなの』

 ”奏斗は特別”と彼女は言う。

 意思の弱い自分は、愛美に幻滅されてしまうのではないだろうか?


 彼女のアイコンを見ながら数分ほど経つと、

『ありがとう』

と言う言葉が返ってくる。

 なんと返答しようか迷っていると、

『まだ構内にいるなら一緒に帰ろうよ』

とメッセージが入った。

 特に誰かと約束しているわけでもない。先ほど別れたばかりの彼女に再び会うのは気が引けるが、OKと返す他ない。どの道、今靴箱へ向かえば出くわしてしまうだろう。

 奏斗は立ち上がると、荷物を持って靴箱に向かったのだった。



「ごめんね。予定あったかな?」

と愛美。

「いや」

 先ほどの雰囲気とは打って変わって、以前の時のような穏やかな表情をする彼女に複雑な気持ちになる奏斗。

 靴を履き替え構内から出ると、正門へ向かい歩いてゆく。

「そういえば、ご両親は大丈夫だったのか?」

 どんな会話をしていいのか分からず、そんなことしか切り出せなかった。

 半年以上も二人の間では時間が経っている。しかも付き合っていたとは言え、塾の帰りくらいしか会話をする機会がなかったのだ。


「うん。まあ、なんとかね」

 歯切れの悪い返答に、良い関係ではなくなったことが窺える。

「わたしが大学を出るまでは、現状維持。そのあとは分からないの」

「そっか」

 それでは家の居心地も悪かろうと思っていると、

「それでね。今、駅の近くで一人暮らししているの」

と愛美。

「ねえ、夕飯うちで食べていかない? わたし、結構料理が得意なの。奏斗に食べてもらいたいな」

 ここは断るべきなのだろう。

 付き合っているわけでもないのに、家に招かれて行くのは良くない。

 それは十分に分かっている。だが、もし自分を信頼して誘ったのだとしたら?


──何故こんなことで、いちいち迷ってしまうんだろう?


 この数時間で愛美が自分にとってどれほど特別な存在なのか、嫌と言うほど自覚させられる。どんな小さなことでも、彼女を傷つけたくない。

 軽蔑されたくないという想いが先立つ。


「それは楽しみだな」

 奏斗の言葉に愛美が嬉しそうに笑う。

 それはまるで、あの日の続きのようで。

「彼女さん、怒っちゃうかな?」

と言う彼女の言葉でこれは続きではないということを思い出す。

 付き合っていないことを告げないことが、ズルいということも分かっている。本当のことなんて言えるわけがない。


 このまま何もかも投げ出して、愛美と二人逃げてしまえたならどんなにか楽だろうかと思いながらも、奏斗は曖昧に微笑むしかなかったのだった。

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