3 悪魔の囁きに

「どうしたんだ? そんな浮かない顔して」

 午前の講義が終わり靴箱の近くで待ち合わせをしていた。

 何故、靴箱の向こう側はガラス張りの中庭なことが多いのか?

 ぼんやりとそんなこと考えながら。


 相変わらずスタイリッシュな格好をし、颯爽と歩く彼はかっこいいし目立つ。大方その身長と髪色のせいだろうが。


 チラチラと奏斗の方を見ている女子学生の視線が気になる。

 一応、わたしの彼氏なんですよ! と強気に出たかったが断念。奏斗がモテるのは今に始まったことではない。

 心配そうにこちらを覗き込む彼。

「負け戦だなあ、と思って」

 結菜は思わず心の声を口にしてしまう。

「負け戦?」

「いや、こっちの話。負け戦だからって戦わないわけにもいかないしね」

「一体、何と戦っているんだよ」

 スッと差し出される手。

 一緒にいてなんとなく理解したのだが、奏斗は手を繋ぐのがとても好きらしい。結菜は周りの目を気にしながらも、おずおずと差し出された手を握る。

 向かう先は駐車場だ。


「これやる」

「うん?」

 奏斗は車まで行くと後部座席から手提げの紙袋を取り出し、それを結菜に向ける。お洒落なロゴの入った紙袋。若者向けのリーズナブルな価格のブランド店のもののようだ。

「えっと」

「なんだか風邪ひきそうだから」

と彼。

 荷物を後部座席へ置き、受け取った紙袋から中身を取り出す結菜。

「え、可愛い!」

 それは首元にファーのついたポンチョスタイルのコート。

「チェスターコートとか着そうじゃないし。パーカーコートと迷ったんだが、温かそうだし?」

 何故、疑問形なのか謎だが。

「そういうのなら着るかなと思って」

「あ、ありがとう!」

 ”貰っていいの?”と聞こうとしてやめる。つっかえしたところで困るだけだろうし、何より奏斗がプレゼントしてくれることが嬉しい。


「元気になったようで何より」

 奏斗が儚げな笑みを浮かべる。

 その表情を見るたび、結菜はドキリとしてしまう。

 彼は年上の元カノとどんな会話を交わし、どんな風に接していたのだろう?

「奏斗くんって、手を繋ぐの好きだよね」

「そう? 結菜は嫌い?」

 てっきり”好き”だと言うのかと思っていたので意外だ。

 まるで今まで無意識だったかのような反応。


 紙袋を広げる彼。結菜はコートを畳んで押し込み、彼を見上げる。

「あの……」

「ん?」

 奏斗から元カノとのことを聞いてから、自分は少しおかしいと思う。その面影を彼の中に”視て”しまっているから。おそらくそれは妄想で、自分が作り出した幻覚。

 断言することはできないが、今までのことを総合するとその答えしか浮かばない。


──奏斗くんの年上の元カノさんは、奏斗くんのことをとても愛していた。


 好きだと言ったことも言われたこともないと言っていたけれど、奏斗が言わなかったのは自覚がなかったから。

 元カノが言えなかったのはきっと……好きから始まった恋人関係ではなかったし、期間限定の関係だったからに違いない。

 今も好きだから風花と連絡を取っている。

 その結論が一番腑に落ちる。


 この話をしたら彼はどんな反応をするのだろう?

 信じないか。

 それとも、彼女のところへ行ってしまうのだろうか?


 奏斗は手を繋ぐのが好き。

 そう感じていたが、もし無意識に”離れてくのが怖いから”手を繋いでいるのだとしたら。手を繋ごうとするのは、無意識のSOSなのかもしれないと思う。


──教えてあげたなら、奏斗くんは救われるかもしれない。

 でも、言いたくない。今、とても幸せだから。

 わたしはズルい。


「どうかしたのか?」

 黙っている結菜にしびれを切らしたのか、その先を促そうとする奏斗。

 ふと昨日彼が言っていた、

『俺は結菜を好きになりたいんですよ』

という言葉が脳裏を過る。

 おそらく彼が選び取りたい結末は、結菜との未来。

 決して叶わなくとも。


 結果的に奏斗を傷つけることになったとしても、その願いに便乗してもよいだろうか?

 悪魔が耳元で囁く。

 結菜は抗えなかった。


「キス。したいって言ったらどうする?」

 結菜の質問に瞳を揺らす彼。まさか結菜からそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。

 彼は拒まない。

 結菜は何故か根拠もなく、そう感じていたのだった。

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