6 聡明な彼女

「奏斗くんは……たぶん、とても傷ついていて。その傷から立ち直れないでいるのだと思うの」

 立ち直るためには、原因の彼女に会うべきだと結菜は言う。

「会って疑問をぶつけて、言いたいこと言わないと先に進めないと思う」

 結菜の言うことは正しい。

 そう思えるのに、奏斗には”やってみる”と前向きに言うことができなかった。


 車を高台の駐車場へ停めると奏斗は黙り込む。

 すると彼女は、

「こんなこと言いたくはないけれど、奏斗くんはその人の口からはっきりと”遊びだった”と言われることが怖いのでしょうか? その人のことが好きだったから」

「え?」

 確かにそんなことを言われるのはショックだし、立ち直れないとは思う。

 だが一言も”好きだ”とは言っていない。

「わたしは奏斗くんが好きなので、これは考えたくはないのですが。もしかして……今も好き、とか」

 上目づかいで不安そうに続ける結菜。

「ちょ……ちょっと、待ってくれよ」

 彼女の言葉に奏斗は慌てた。


 自分でも花穂のことをどう思っていたのか、わかっていないのだ。

 いずれは向き合うべきだとは思うが、今は避けたい。


「その方とは半年以上も前に別れたわけですよね?」

 花穂と別れたのは三月の終わり。今は秋。

 むしろ一年も経っていないのに、なぜこんなややこしいことになっているのだろうか。

「なのに、なぜ今さら奏斗くんは思い出の曲を探しているわけですか?」

「いや……思い出って。突然聴きたくなったとかじゃ、なくてだな」

 動揺を隠せない奏斗に、結菜は更なる打撃を与える。

「恋しいのではないでしょうか? その方が」

 奏斗は車のハンドルに突っ伏した。

「だから聴きたくなった。そういうことだと思うんですよ」

「探偵さん……。もう、やめて……」

 奏斗は呻く。

「真実はいつも一つ!」

 ここは、”そやかて、工藤”と反論するべきか。


 ”結菜が敬語で話し始めたら、ロクなことが起きないな”と思いながら、

「探偵さん、俺は結菜を好きになりたいんですよ」

とチラリと彼女に視線を向ける。

「わ、わた、わたしを好きに?」

 何故そんなに動揺するんだと肩で笑う奏斗。

「なんでそんな笑うんです? 失敬な」

「失敬って、おま……」

 笑いが収まらない。


「はい、結菜。我々の関係は?」

「恋人……ですね」

「だから俺が結菜を好きになりたいと思うのは、不自然じゃないはず」

「それは……確かに。って納得するとでも思います? 不自然極まりないですよ!」

 拳を振り上げ拳をあげる結菜に、自分を庇うように軽く手のひらを頭に掲げた奏斗。

「なんでそんな怒るの」

 ”両想いになるの嫌?”と問えば、

「そんなの、なりたいに決まってるじゃないですか。喉から手が出るほど欲しい案件ですよ」

「案件って。使い方間違っているぞ」

 問題抱えてどうするんだと指摘すれば、

「細かいこと気にすると禿げますよ」

と言われてしまう。

 理不尽である。


「わたしは奏斗くんには笑っていて欲しい。心から」

 敬語の呪縛から解かれたのだろうか。

「結菜といれば毎日笑っていられると思う」

「我々は、漫才師目指してるわけじゃないの!」

 結菜の抗議にも慣れつつある。

 奏斗は彼女の髪に指先を伸ばすと、

「俺のこと好き?」

と問う。

 結菜はそんな奏斗を見つめ、息をのんだ。

「どうして、俺が結菜を好きになりたいと望むことに否定的なの」


 きっと好きになったところで、祝福はされない。

 叶いもしない。

 何より愛美が許さないだろう。

 そんなこと、自分が一番わかっている。


──俺はきっと幸せになんてなれない。 

 他人を不幸にしておいて、幸せになれるわけがない。


 髪に触れた指先を結菜の手が握りこむ。

「否定的なわけじゃなく、建設的じゃないと思う」

「俺が逃げてるって言いたい?」

 彼女は否定も肯定もしない。

「あの時、奏斗くんは『どんな結末になっても自己責任』と言っていた。わたしはそれを奏斗くんらしいなって思ったの」

 ”知り合って長いわけでもないのに”と付け加えて。

「わたしは、奏斗くんが好き。両想いになれたら嬉しいけれど、そんな簡単なことじゃない気がしてる」

 それはまるで、近い将来に終わりが来ると予見しているようで。

 奏斗は静かに目を閉じたのだった。

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