4 見たくない現実

「お兄ちゃん! プリン」

 家に着くなり、妹の風花に強請られ奏斗は肩を竦めた。

 そんな妹は、

「風花! お帰りが先でしょ!」

と母に怒られている。

「むー! プリンおかえり!」

 両手を突きだし催促するので、奏斗はくくくと笑いながら妹に紙袋ごと渡してやった。

 キッチンから顔を出した母が呆れている。


「あまり風花を甘やかさないでね」

と母。

 続けて”夕飯は?”と聞かれ、奏斗は罰の悪そうな顔をした。

「ごめん、連絡するの忘れて。夕飯食べた。これ、お土産」

 奏斗が手のひらに乗せたチョコレートの箱を母に差し出すと、彼女は少し驚いた顔をする。

「奏斗が連絡しないなんて、珍しいわね。何かあったの?」


 白石家は家族仲が良く、あまり干渉もしない家庭だった。

 そのため一時期奏斗が遊び惚けていた時も、特になにかを言ったりはしなかったのである。

 干渉するよりも、見守るのが我が家の方針らしい。

 もちろん、真面目な奏斗が突然友人宅へ外泊ばかりになり心配はしたようだ。それでも連絡は欠かさなかった為、自由にさせてもらっていたのである。


「今日、愛美に会ったんだ。すれ違った程度だけれど」

「そうなの」

 奏斗が高校時代に愛美とお付き合いをしていることは、母も知っていた。

 塾で会う程度だったため、特にお付き合いに関して何も言われることはなかったのだ。

 それでも春休みには遠出をするかもしれないと、母に言ってあった。

 奏斗の外泊が多くなった時、彼女と何かあったのだろうと察してくれたのは母。その後、奏斗の通うK学園の高等部では悪い噂も流れ、益々奏斗は荒れてしまっていた。

 それでも母は、温かく見守ってくれていたのである。


 噂により居心地の悪くなった学園で助けてくれたのが、当時の風紀委員長の”大崎圭一”。大崎家はセレブで有名であり、理事長の親戚にもあたる。

 彼の力により、奏斗の噂は表向きは沈静化されたが、結菜のように大学からK学園に入学した中にも知っている人もいるため”表向きの鎮静化”でしかないということは想像に難くない。


「まだあの子のこと好きなの?」

と母。

「分からない」

と奏斗。

「気になるなら、話しかけてみたらどうかしら?」

「迷惑じゃないかな……」

 奏斗にとって一番気になるのはそこだった。

「ちゃんと終われていないなら。この先ずっと引きずっていくことになるかもしれないわよ? 後で後悔しても遅い。チャンスがあるうちに解決しておくべきだと私は思うわ」


 母は正しいと思う。

 しかし奏斗にはその勇気が持てないでいる。


 自分の部屋に戻ると、荷物を傍らに置きベッドに寝転がった。


──愛美が好きだった。

 でも、あんな風に突き放して傷つけて。

 俺は自分に都合のいい”愛美像”を愛していたのかも知れないと思う。

 もしそうだとしたら?


 自分自身が嫌になってくる。

 相手に理想を押し付け、理想と違ったら違うじゃないかとそっぽを向くのか?

 そんなのは愛なんかじゃない。

 自分勝手な自己愛でしかない。


 愛美は意志の強い子だった。

 いつでも相手を立てるような、一歩下がったような子ではない。

 だから錯覚していたのだろうか?


──違うと思いたい。

 ちゃんと好きだったんだと。


 きっと自分は真実と向き合うのが嫌なのだろう。

 信じていたものが幻想だったと知るのが。


 奏斗は身体を起こすと、両手を見つめる。

 確かにこの手にあった温もり。

 現実から目を背けても、一歩も前に進むことはできない。


 奏斗はスマホの待ち受けを見つめる。

 そこにあるのは愛美から貰った写真。


『ねえ、奏斗』

『うん?』

『十年後ってどうしていると思う?』

 ずっと愛美が隣にいたらいいなと思っていたあの頃。

『さあ、どうしているかな? 分からないけれど、変わらず愛美とこうして一緒にいられたら幸せだろうな』


 嘘はなかった。

 あの日の言葉に。

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