第39話 2004年 ~わたしはただ、眠りたいだけなのに……-2

 わたしは、歩き始めた。

 天使たち――私の分身たちも、のろのろとではあるけれど付いてくる。

 その天使の顔は、多かれ少なかれ、ひび割れていた。

 そして、一歩一歩進むごとに、ふわふわと、銀色が舞っているのがわかった。手を伸ばすと、その繊維状のものに触れた。確認するとそれは髪の毛だった。


 顔を上げる。

 天使たちは見るも無残に、頭髪が抜けていた。所々に禿が目立ち、そして肌のひび割れは今や全身に広がりささくれ立っていた。爬虫類の皮膚のように乾燥した、黒ずんだ皮膚が剥がれていき、中からは濃い肌色が現れる。それは無骨で隆々としてまったく別人のものだ。

 天使たちは悶え、そして変態が進んでいく。

 苦しいのだろう。高周波の雄たけびが、耳を素通りして脳髄を貫いてくる。

 手のひらに、銀色の髪が積み重なってくる。皮膚が舞い落ちてくる。天使たちが狂ったように宙で悶えているけれど、いつまで経っても銀の髪が降り止まない。叫びが一層高まってくる。周波数が上がりエネルギーに満ちた空気が震え、そしてどこかから熱気が吹き出してくる。

 熱い。

 なぜだろう。体が、熱い。

 銀の髪が降り積もる手を見やる。それは無残にひび割れていた。

 まとわりつく髪をふるい落とし、両の手で顔を覆う。そこには違和感しかなかった。

 みずみずしく艶のあるかつての自分の肌は今はなく、そこにはささくれ立った硬い鱗のような物質に覆われている。思わず顔をこすりつけると、ぱらぱらと手にその肌が張り付いてくる。

 恐る恐る、剥がれ落ちたあとの顔の皮膚を指でつついてみる。

感覚があることが、逆に恐ろしい。自分ではないその顔に、自分の感覚器官が反応している。そして、剥がれ落ちていく自分にはもはや、その触覚は反応しないのだ。

 とにかく、熱い。子宮が熱い。子宮?

 わたしは下を見た。自分の体を。

 いつのまにか、全身がひび割れ、もうすでに半分以上は自分のものではない肌が現れていた。黄金色の、無骨な皮膚だ。

 その隆起した肌のラインは、記憶のどこかにあるものだった。自分のものではなく、それでも何度も間近で目にし、そして触れたもの、それは――。


 そこにあるのは、男の体だった。

 今や八割がた崩壊したわたしのアイデンティティの中から生まれた新生児だ。これはわたしではないけれど、触れば反応するし自在に動くけどそれでもわたしではない。わたしのはずがないこれはおとこのからだなのだ、わたしはおんなのはずわたしはわたしはわたしはわたしはわたしは……。

 

 『 シルバーメタル

   シルバーメタル

   シルバー……   』


 シルバーメタルとはなんなのか。うっすらと見えてきた。銀色の光だ。

 そうだ。この道の先には銀色の光がある。両側からせり出してくる男性器が、なにかを訴えかけてくる。ふと、自分の体へ目をやる。わたしは見る。股間にあるのは性器だ。わたしのそこには男性器がある。わたしのからだは筋肉に覆われそしてすでに完成した男性器も所有したわたしはおとこのからだをゆうしたわたしはわたしはメタルの神にみいられていたはずのわたしはおんなだったはずのわたしはわたしはわたしは……。


 『 第一問 …… 』

 

 唐突に、声が降ってきた。

 それは人のものではない。どこか荘厳で、神々しい音声だ。

 あなたは誰? と、わたしは心の中で言葉を形作ろうとしたけれど、声に出す前にそこかで押しとどめられる。沈黙の中、外界からの声だけが空間を満たしている。


  【第一問】

   NWOBHMは何の略か。

 ① ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル

 ② ニュー・ワールド・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル


「これは、①です」

 反射的に答えると、ピコパンポコーンと軽快な音が鳴り響き、わたしという存在が一段上に上がったのが体感された。

 いつのまにかわたしは一人、目の眩むようなオレンジ色の街に佇んでいた。よく見ると、それらは全てレンガだった。まっすぐにどこまでも続く道も、その両脇にひしめく住宅群も、全て鈍いオレンジに彩られている。

 その道のずっと先に、かすかではあるが、ひときわ高くそびえる建造物が確認できた。白く、そして天を貫くように高く細く、生えている。


  【第二問】

   モーターヘッドでその大部分を作曲しているレミー・キルミスターは、ギター及びボーカルを担当している。さて、イエスかノーか?


「ノー」

 これにも即答。


  【第三問】

   ご存知、メタル界の伝説のバンドである、アイアンメイデンのボーカルについての問題である。二枚のアルバムに参加した初代ボーカルのポール・ディアノが一九八一年にアルコール及び薬物の問題で脱退した後、フロントマンとしてブルース・ディッキンソンが加入し、そのまま現在に至っている。さて、イエスかノーか?

 

 この答えはメタル愛好者であれば、誰でもわかる。一見して正しいように見える。しかし、答えは――。

「ノー」

 わたしが心の中でつぶやくと、正解の合図が響く。


 それから十問以上、二者択一問題が続いた。

 全て、脳と体と四肢の隅々に染みこんだ知識だった。

わたしはどの質問にもほぼ迷うことなく解答していく。


 と、今までの街の風景が一気に駆け抜けて背後に去っていく。同時に、うっそうとした木々や灌木、蔦類が、わたしを圧迫するかのように縦横無尽に生育していた。

 その茂みの中から、かすかに何かの気配が感じられた。それは知っている何物でもなくこの世の「存在」そのものであると、なぜだか認識できた。


『 よくぞここまでたどり着いた

  お前たちは、メタルの神に魅入られし者だ 』


 メタルの神に魅入られし者――。

 その言葉はわたしには甘美に響いてくる。


 『 さて、魅入られし者よ

   お前たちに最後の質問だ  』

 

 最後――。

 気を引き締めると同時に、その先になにがあるのだろうか、と疑問が湧いてくる。


『 お前は……

  ヘヴィメタルウォーリアーになる覚悟はあるか? 』


 なにを問われているのかわからなかった。

 ――ヘヴィメタルウォーリアー?


『 もう一度、問う 』


 わたしの困惑を見越しているかのようなタイミングで、さらに声が降りてくる。


『 お前は、ヘヴィメタルウォーリアーになる覚悟は、あるのか? 』


 質問に対する質問など、許されない。

 答えは、イエスかノーか、どちらかだ。

 ヘヴィメタルウォーリアーがいったいどういったものなのか、そんなことはわかるはずもない。それでも今は答えなければならない。


〈 イエス 〉


 わたしは、そう答えた。

 と、その刹那、周囲を取り囲んでいた動植物が一掃され、何もない空間だけが、残った。わたしという存在すら、その空間にはない。空間という表現もひょっとすると間違っているのかもしれない。そこには、何もないのだから。

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