第45話 2015年 ~あなたは、へヴィメタルを愛していますか?-5
不気味に装飾された雑音と、それに続く雷雨――。
そんなオープニングを経て『シルバーメタル』のイントロが始まる。
ウィスキーのグラスを左手に、〈キング・オブ・メタル〉の歌詞カードを右手に、ソファに深く腰を下ろす。至福の瞬間だ。
瑠奈の耳に、ギリギリ感のある張りつめたギターリフが届いてくる。
初っ端から全力のハイトーンボーカルがかぶさってくる。
田中零の声だ。先日この家に来たときの落ち着いた話し方からは想像できないが、それもメタルボーカルにはよくあることだ。
ヘヴィメタルを愛しているか?
この問いに、楢崎は「もちろん」と即答した。そのときの表情にも、まったく含むところなく、純粋な気持ちの吐露に思われた。
それならばおそらく、楢崎も全力でヘヴィメタル症候群の謎を解こうとしているのだ。それなのに、まだ解決の糸口すらつかめていない。さらに世界にはもっと多くのメタル愛好者達が、こぞって謎を解こうとしているのだ。
酔いが回ってくる。
自分みたいな人間にいったい何ができるか――。
そう思うと、絶望的な気持ちになってくる。ただ一つだけアドバンテージがあるとすれば、水瀬春紀の存在だろう。
彼(彼女?)からは、まだなにか聞きだせていないことがある。そう思えてならない。
想像を巡らせている間に、スピーカーから流れてきていた、シルバーメタルが終わる。シン、という一瞬の静寂が、部屋に満ちる。
と、奥の部屋からの笑い声が、かすかにではあるが耳に届いてきた。
次の曲が始まるがそれを一時停止にして、瑠奈は体を起こした。
カラカラと、また楽しげな笑いが聞こえてくる。胡桃の部屋からだ。
ソファから立ち上がると、自然と足がそちらに向く。体が、ずっしりと重い。歩いていても、感覚が遅れてついてくるようだ。なぜ歩いているのか、その理由が、自分でもわからない。
胡桃の部屋の前にたどり着いた。
細くあいたドアから、そっと中を覗き込む。
ベッドに横になった胡桃は、携帯電話を耳にあてたまま、ゴロゴロと転がる。
あーん、まだ切らないで、おねがーい、と甘えたような声を出して、体を悶える。タオルケットから、その長い手足が見え隠れする。どうやら、今は下着しか身に着けていないようだ。そのこと自体は別になんということはない。
しかし、今ねえ、わたし裸なのよ、どうどう? と言うに及んで、姉としてはむむむ、と顔をしかめざるを得ない。
相手は誰だ? 酔いで鈍くなった感覚を必死に研ぎ澄まし、ドアに身を寄せる。胡桃の言葉を一語一句聞き逃さないよう、耳をそばだてる。
だから、こんど、ライブなのよ。見に来て来て。そうそう、うん、だからもちろんセーラー服。高校の軽音楽部のプチライブ。そうそう。学校でやるの。あーん、仕事とかそんなこといわず。先輩のためなら舞台で脱いでもいいわよん。
――水瀬春紀だ。間違いない。
どっと、不安感が、押し寄せてくる。いつのまにそんな仲になったのか。それに、彼は彼じゃなくて……子宮をもっているんだからそんな非生産的な……。いやいや、そういう問題ではない。
まだなにかを楽しげに話している胡桃の姿から、無理やり視線を引きはがした瑠奈は、その場を離れ、リビングに戻った。もう一度、ソファに体を預ける。
テーブルの上に置きっぱなしになっていたウィスキーのグラスを手に取る。氷が溶けて薄くなったその琥珀色の液体を、一気に胃の中に流し込む。
テーブルのリモコンに目をやる。オーディオと、テレビのものがある。どちらにするか。いつになく、迷いがあった。これだけ酔っているときは、いつもなら間違いなくオーディオだ。ブラックサバスで暗黒の世界にどっぷり浸かりこむか、もしくはクイーンズライチやドリームシアターの美しい空気感に酔いしれるか、はたまたメタリカかメガデスあたりで我を忘れるか。しかし今はどれを聴く気にもなれない。
そこまでを十秒ほどかけてのろのろと逡巡し、最終的にはテレビのリモコンを手にし、電源スイッチを押した。
なにも見たいテレビがあるわけではない。むしろ、テレビの音などただの雑音で、イライラさせるものでしかない。しかし、とにかく気を紛らわせる、というただ一点においては役に立つこともある。
しばらくぼんやりと、その画面を見るともなしに見て、流れてくる音声を聞くともなしに聞いていると、
「あれ、お姉ちゃん、珍しいね。そんなバラエティ番組見てるなんて」
いいながら現れた胡桃は、ちゃんとパジャマに身を包んでいた。
テーブルの横に胡坐をかいてテレビのリモコンを取り、無造作に音量を上げる。
「ヘヴィメタル症候群のこと、なにかわかった?」
こちらに目を向けることもなく、胡桃が訊ねてきた。
一言では答えにくい。わかったこともあったが、根本的には何も解決していない。いかんせん、今は思考が鈍く何も答えられない。しかし、一つだけいえることがある。それをいうべきかどうか、考える前に口が動いていた。
「水瀬さんは、男じゃないみたいよ」
胡桃が、こちらに顔を向けてきた。
「女から男に変わった、と、そう単純なことじゃないみたい」
我ながら、衝撃的なセリフをあっさりと口にしてしまった、と少し後悔したのだが、ああ、まあ、それはそうかもしれないよね、とすでに視線はテレビに向けている胡桃が、
「なにせ、あの人はヘヴィメタルウォーリアーだからね」
「ん? なに?」瑠奈は訊き返す。
ちら、とだけこちらに視線を向けた胡桃が、
「だから、ヘヴィメタルウォーリアー」
「だから、それなに?」
「あれ、知らないの? お姉ちゃん。ハルキさんはヘヴィメタルウォリアーになったんだって」
「いや、だから、ヘヴィメタルウォーリアーってなんですか? っていってるの」
「ん? だから、ハルキさんのこと」
だから――。
と、いいかけて、やめた。
これ以上、禅問答のようなことを続けていても仕方がない。所詮、胡桃自身も何もわかっていないに違いない。なぜか本人はそれで納得しているように見えるけれども。
瑠奈は立ち上がる。
「お姉ちゃん?」
「今日は先に寝させてもらいます」
「うん。お休み」
「胡桃も、あんまり夜更かししないように」
冗長にはーい、と答えた胡桃は立ち上がり、瑠奈がいなくなったソファに横になって、テレビのリモコンを手に取る。今度は少し、音量を絞ったようだ。瑠奈の安眠を妨害しないための優しさなのだろう。気にしていますよ、というアピールなのかもしれないが。
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